震災から12年 ふるさと福島に貢献したい
移住農家の思い

「栽培の技術をレベルアップして、ふるさとに還元したい」
東日本大震災後、福島県から長野県に移住し、農園を営む男性は力強く語ります。決して楽なものではなかった慣れない土地での12年間。それでも前に進めたのは、遠く離れても色あせないふるさとへの思いがあったからでした。
(長山尚史)

原発事故で生活が一変

伊那市で農園を営む佐藤浩信さん

長野県伊那市で農園を営む佐藤浩信さん。伊那市の山沿いの地域に約3.5ヘクタールの土地を借りてりんごや桃などを栽培しています。

伊達市に住んでいたころの写真(写真提供:佐藤浩信さん)

佐藤さんは福島県伊達市の農家に生まれ、約40年前から果物の栽培を手がけてきました。精魂込めて育てた桃などは品質への評価が高く、贈答用として百貨店とも取り引きされていました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故(2011年)

生活が一変したのは、東日本大震災の津波による東京電力福島第一原子力発電所の事故がきっかけでした。事故後、家族と県外に避難した佐藤さんのもとに、取引先から思わぬ電話がかかってきました。

佐藤浩信さん

百貨店2社から「もう取引中止です」と連絡が来た。事故の影響を気にしている人は百貨店のお客さんは多いと思うので、「売り上げは戻らないだろうな」と感じた

風評被害はさらに深刻になるだろうと直感した佐藤さん。このままでは生活が成り立たなくなると危機感を覚え、農業の拠点を県外に移すことを決心します。

再出発は苦難の連続

伊那市内の農地

取引先から紹介してもらったのが、震災の少し前に仕事の関係で訪れたことがあった長野県伊那市の農地でした。中央アルプスや南アルプスの美しい風景に魅せられ、その年の4月には妻とともに移住します。福島から持ってきた小さな桃の苗木18本だけが支えの再出発でした。
当初は懐が苦しく、伊那市内で農業の手伝いをしながら、農園の運営資金を集めました。そして何よりも佐藤さんを苦しめたのは、ふるさと福島との気候の違いでした。伊達市に比べ、伊那市の冬の寒さははるかに厳しく、桃の栽培は苦労の連続でした。

佐藤浩信さん

寒すぎて枝の老化が早く、福島だと何年も使える木がもたない。桃は小さいし、熟さないし「桃はつくることができない場所だ」と思った

それでも栽培方法を工夫し、ここ数年でようやく満足できる桃を収穫できるようになりました。

“長野県らしい”果物も

長野県への移住をきっかけに、佐藤さんは新たな果物の栽培を始めました。

それは長野県が全国有数の生産量を誇るぶどう。農園で「シャインマスカット」や、長野県が開発した新品種「クイーンルージュ」を育てています。
さらにワイン用ぶどうの栽培にも挑戦。県内のさまざまな産地を回り、実際に畑で手を動かしながら栽培方法を学びました。技術を高めるにつれ、佐藤さんの胸の中に「長野県で得た知識をふるさとの農業の復興に生かしたい」という思いが湧き上がってきました。

ふるさとで技術を伝えたい

ちょうど福島県では、震災後の農業の活性化につなげようと、新たな特産品としてワインづくりが広がりつつありました。一方で佐藤さんは、長野県に比べて福島県にはワインづくりの指導者が少ないと感じていました。

ワインブドウの学校(画像提供:佐藤浩信さん)

そこで立ち上げたのが「ワインブドウの学校」。ワイン用ぶどうに特化して、その栽培方法を学ぶ講習会です。2年前から福島県郡山市のぶどう畑を借りて始めました。春には枝のせんてい、秋には収穫と、毎月、佐藤さんがつきっきりで指導します。長野県と福島県の往復生活は、体力的に厳しかったものの、やりがいのほうが勝ったと話します。

佐藤浩信さん

福島でぶどうの木をなんとかしたいという思いで始めたが、教えるからには勉強もしたし、いろんな栽培の現場にも出た。生徒たちとともに学ぶ中でこの2年間はいい刺激になっている

ワインブドウの学校(画像提供:佐藤浩信さん)

2年間で約40人が学んだ「ワインブドウの学校」。生徒の中には、福島県でこの春からぶどう栽培を始める人もいます。また、農業とは無縁だった主婦なども参加しました。佐藤さんが始めたぶどう栽培の輪は着実に広がっています。震災から12年。長野県での生活が長くなる中でも色あせないふるさとへの思いが、福島県の農業の活性化に一役買っています。

佐藤浩信さん

長野県で学んだ技術が福島県に移行しているので、もし長野県に来なかったらぶどう栽培はやっていなかったと思う。福島県や東北のために役に立ちたいし、自らの栽培技術をレベルアップして、それをふるさとに還元したい。自分には栽培技術しかないから、それだけを考えている

取材後記

長野県と福島県を行き来する2拠点生活を送る佐藤さん。農園に取材に伺ったとき、枝をせんていする素早さに驚かされ、「このスピード感が忙しい生活を支えているんだな」と実感しました。「長野県と福島県で果物をつくる経験をしたので技術力は以前より上がっている」と話す佐藤さん。苦労の多い12年間を過ごしながら、自身の環境をどこまでも前向きに捉えています。「将来的には福島県に戻り農業を本格的に再開したい」そんな佐藤さんの願いが少しでも早くかなうことを私も願っています。

顔写真:村上 浩

長野放送局記者

長山 尚史

鳥取局を経て去年8月から長野局
茨城県と福島県の県境の町出身で高校時代に東日本大震災を経験