故郷を離れる20歳
この春、故郷である被災地を離れる女性がいます。
宮城県石巻市に住む近彩乃さん(20)です。
石巻市で生まれ育ち、高校卒業後も、仙台市にある短期大学に市内から1時間以上かけて通っていました。
そんな中、石巻を離れることを決断したのです。
「活躍する場」がない…
近さんは、本当は地元を出て行きたくないと言います。
自然豊かで、人も温かい。
家族も親戚も友人も、多くが石巻にいます。
そんな近さんが街を出て行くことを決めたのは、夢を実現させるためでした。
その夢は、ウエディングプランナー。
しかし近さんの通う短期大学には、石巻市での求人はありませんでした。
就職活動を行った結果、東京に本社がある会社への就職が決まり地元を離れることになったのです。
いつかは、石巻市に戻りたいと考えているそうです。
近さん
「自分のやりたいことを優先したときに、石巻以外で就職するっていう選択肢の方が多い。町の高齢化も進み、若い人たちが活躍できる場所がすごく少なくなってきています。震災からの復興は、震災前の元に戻そうっていう意識が強いと感じていて、これからは復興ではなく、新しい街になるための取り組みを進めた方がいいと考えています」
震災後 深刻な人口減少も
近さんのように、被災地を離れる人はあとを絶ちません。
人口は、2010年から2022年までの間に岩手県と福島県では10%、宮城県では3%減っています(総務省調査)。
全国の人口減少の率は1%。
それを大きく上回っています。
さらに沿岸部では、宮城県女川町で40%、岩手県大槌町で31%、福島県富岡町で24%の減少と、深刻な状態になっているのです。
“現役世代”にアンケートすると…
なぜ、多くの人が被災地を離れるのでしょうか。
このうち働き盛りの世代の意識を探ろうと、NHKはアンケートを行いました。
対象は、岩手・宮城・福島の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住む20代から50代のあわせて1000人。
“現役世代”の中核を担う人たちにインターネットで聞きました。
聞いたのは、「将来にわたって今の街に住み続けたいか」という率直な質問です。
「住み続けたい」8割
その結果、「今の街に住み続けたい」と答えた人が8割近くにのぼりました。
将来にわたって今の街に住み続けたいですか?
・住み続けたい 41%
・どちらかと言えば住み続けたい 36%
・どちらかと言えば住み続けたくない 14%
・住み続けたくない 8%
さらに、「住み続けたい」、「どちらかと言えば住み続けたい」と答えた人に複数回答で理由を聞きました。
「土地に愛着がある」という回答が62%と最も多く、次いで「親戚や知り合いがいるから」と答えた人が31%でした。
今の被災地に足りないものは?
「住み続けたい」人が多い中、なぜ被災地で人口が減っているのでしょうか。
その意識も探るため、「若い世代が住み続けられる街にするために足りないと思うもの」を複数回答でたずねました。
「仕事や産業」という答えが6割を超えました。
次いで、「商業施設」、「交通機関」、「子育て支援」、「保育所」の順でした。
宮城県内の沿岸部で取材を進めると、「住み続けたいが、街の将来に不安がある」という声や「自己実現のために、地元を出ざるを得ない」といった声が聞かれました。
「復興は次のステージに」
こうした結果について、社会心理学が専門で兵庫県立大学の木村玲欧教授は、復興が「次のステージ」に入ってきたためだと分析します。
兵庫県立大学 木村教授
「震災の復旧復興の中では、これまで、人が継続的に生活できる街にするべく復興が進んできましたが、次のステージに入ってきていると感じています。持続可能な街として発展していくためには、新しい世代の若い人たちが住み続けたいと思うような魅力とともに、仕事をできる街にすることが必要だと思います」
住み続けたいけれど…
取材を進めると、今の被災地に住み続けることに、多くの人が不安を感じていました。
そのひとり、南三陸町に住む小坂翔子さん(36)です。
3人の子どもを育てています。
東日本大震災では、津波によって家族が営んでいた薬局が流され、自宅も大きな被害を受けました。
甚大な被害の中、小坂さんの父親は薬局が「地域に欠かせない」と考え、震災から1年足らずで再建。
夫も働く薬局には、10キロ離れた場所から通い続ける人もいます。
小坂さんはこの街に住み続けて、家族と薬局を支えていきたいと考えています。
子育ての環境に不安
一方、小坂さんは、子育てをする環境などに不安があると言います。
小売り店は震災前の4割ほどに減少。
本屋やクリーニング店は町内になく、ふだんの買い物に車を欠かすことができません。
町内には産婦人科がなく、3人の子どもは、車で1時間かかる別の市の病院で出産しました。
さらに町内の病院には常駐する小児科の医師もおらず、子どもが夜中に体調を崩してもすぐには診てもらうのは難しい状況です。
小坂さんの同世代の人たちの中には、街を離れる選択をする人も多いといいます。
小坂さん
「結婚や出産のタイミングで南三陸を離れる友だちは多いです。産婦人科がないのは本当に不便で、人口が減ってしまうのは仕方ないと思いつつ、さみしい気持ちです。南三陸には自然があって、人がのんびりして、私にはこの環境が合っていると感じていて、いろんな不安はありますが、今はここで暮らしていきたいと思っています」
「復興を見ていきたい」
一方、取材を進める中で、みずから動いて街の魅力を伝えようとする人にも出会いました。
岩手県大船渡市に住む、佐藤真優子さん(43)です。
佐藤さんは、東京都の出身。
学生時代、大船渡市の大学に通い、卒業後は東京で働いていました。
大船渡市に住む夫との結婚をきっかけに、2006年、再びこの街に戻ってきました。
自然豊かで人が親切なこの街に住むことを、進んで決めたと言います。
震災では地域の親しい人も亡くなり、思い出深い母校の大学も大きな被害を受け、キャンパスは県外に移転。
それでも、この街を離れることは考えませんでした。
佐藤さん
「(移り住んだ)当時は迷いはなく、むしろ楽しみで『ただいま』って感じで来ました。震災でも家が幸い無事だったので、転居することも特に考えませんでした。その後の大船渡の復興が気になる、一緒に見ていきたいという思いでずっとここにそのまま住んでいます」
みずから仕事も
佐藤さんは新しい取り組みも始めています。
おととし、自宅の隣にアクセサリーの工房を構えたのです。
材料は、海岸を歩いて拾い集めたり、漁師などからもらったりした、サンマのうろこや貝殻、うにのとげなど。
手作業で、ペンダントやイヤリングを作っています。
今では、県内の土産物店などで、取り扱われるようになりました。
佐藤さんは、人口が減り続ける中でも、自分が街にできることを考えていきたいと言います。
佐藤さん
「学生のころからこの地域の皆さんには本当にお世話になっています。アクセサリーを作ってこの地域の魅力を発信したい。実際に住んで、人口も増やすことで、この街に恩返しできたらと思って、ここでの生活を続けています」
取材後記
東日本大震災の発生から12年。
被災地の復興が進む一方で、地域のにぎわいを取り戻していくのは簡単ではありません。
しかし、今回のアンケート結果で、ほとんどの人が「街に住み続けたい」と考えていることには、希望を感じます。
その声にどう応えていけるのか。
これからが大切になってくるのだと思います。
社会部記者
勝又 千重子
2010年入局
山口局、仙台局を経て現所属
宮城のはらこ飯とせり鍋が大好きです
仙台放送局記者
岩田 宗太郎
2011年入局
宇都宮局、科学・文化部を経て2022年8月から現所属
仙台では、ホヤをさばいては味わう日々を過ごしています
仙台放送局記者
山内 彩愛
2022年入局
祖父の故郷である宮城県に去年赴任
東北の日本酒と海の幸も勉強中
盛岡放送局記者
梅澤 美紀
2020年入局
日々の癒やしは温泉と日本酒