みんなで卒業式ができなくても
きょうがあなたの卒業記念日

「担任の土田です。卒業証書をお届けにあがりました」

12年前に福島市内で取材した映像には、教え子の家を1軒1軒訪ね、卒業を祝う先生が映っていました。

「卒業おめでとう」

玄関先で卒業証書を読み上げ、児童に手渡します。

わずか5分間、自宅で行われたささやかな卒業式でした。

この年、東日本大震災と原発事故の影響で卒業式ができない小学校がたくさんありました。

(映像センターカメラマン 腹巻尚幸)

自宅で卒業式を行った土田稔先生は、59歳になった今も福島市内で教壇に立っています。

受け持っているのは5年生。

みんな震災のあとに生まれた子どもたちです。

ふるさとを好きになってもらいたい

12年前の震災や原発事故の経験を子どもたちに伝えるとともに、ふるさとを好きになってもらえるような授業を心がけています。

取材で訪ねた日は、国語の授業で福島の方言について取り上げていました。

土田先生
「地震と津波と、あと風評被害とかね、放射線もありましたけど、どんどん福島って名前がほかの県の人に避けられているような時もありましたので。そんな思いもあって、福島を自慢して、自信を持って福島出身ですって言ってもらいたいという気持ちはやっぱりどこかにありますよ」

時間が止まってしまった…

2011年、土田先生は福島市の渡利小学校で6年生の担任を務めていました。

3月11日は、6年生が楽しみにしていた保護者と先生へ感謝の気持ちを伝える謝恩会の日でした。

地震が起きたのは、体育館で会の準備をしていたときでした。

揺れがおさまるのを待って、雪がちらつく中、校庭に避難したそうです。

余震が続き、怖い怖いと泣きながらうずくまる子どもたちを必死になだめたといいます。

あたりがすっかり暗くなった頃、やっと全ての児童が保護者のもとへ帰ることができました。

翌週から学校は休校に、さらに原発事故が発生。

授業を再開できる見込みはなく、卒業式の中止が決まりました。

土田先生
「あの日で時間が止まってしまったように、無念さを感じながら、ただ教室を片付ける日々でした」

卒業証書は手渡してあげたい

みんなで卒業式ができなくても、せめて門出を祝ってあげたい。

6年生の担任3人で、卒業式に向けて用意していた卒業証書や記念品を児童に直接手渡すために動き出しました。

手分けをして、105人の児童に連絡を取りました。

土田先生のクラスは35人、中には福島から離れて自主避難をしている子どももいました。

3月が終わる頃にようやく連絡が取れた田口瑠佳さん。

親戚が暮らす会津若松市に避難していて、なかなか連絡がつかなかったのです。

ささやかな卒業式

3月31日、土田先生は避難先から戻った田口さんの自宅を訪ねました。

田口さんは、卒業式のために用意した友達とおそろいの服を着て、はにかんだ笑顔で出迎えてくれました。

「卒業証書 田口瑠佳 卒業おめでとう」

両親が見守る中、少し緊張した表情の田口さんに卒業証書を手渡しました。

「きょうが瑠佳さんの卒業記念日です。中学校でも自信を持ってがんばってください」

きちんとした式で送り出してあげられない申し訳なさと、田口さんの新たな門出を祝う気持ちを込めて伝えました。

わずか5分間。

玄関先でのささやかな卒業式でした。

土田先生は1週間かけてクラス全員に卒業証書を手渡し、担任としての仕事を終えました。

土田先生
「ずっと節目を持たずに卒業式の日から1週間以上過ごしてきて、私もそうだし子どもも学校が本当に終わったのか、自分が卒業したのか分からないような状態で過ごしていたので。そこでようやく区切りをつけて、そこを足場にして次に向かってくれよ。卒業の記念日だねっていう思いで渡しました」

子どもが安心できる場所を

12年前、玄関先で卒業証書を受け取った田口瑠佳さん。

24歳になった今は宮城県岩沼市でNPOの職員として働いています。

経済的な事情などで塾に通えない子どもの学習を支援しています。

午後6時。

学校を終えた子どもたちが、次々と施設にやって来ます。

田口さんは生徒の隣に座り、子どもがつまずいたところや学校で質問しにくい疑問に、やさしい口調で答えていました。

田口さん
「勉強だけでなく、子どもたちにとって一番は安心と、それこそ話したいことがあってもなくても、何となく、きょう行ってみようかなとか、ちょっとだけ顔出そうかな、話してみようかなっていう場所にしたい」

節目を実感できた卒業式

田口さんは東日本大震災のあと、中学と高校で不登校になった時期がありました。

大学生の時にはコロナ禍で、孤独で不安な生活が続きました。

卒業後、子どもの頃からの夢だった教師になることができたものの、体調を崩し、退職せざるをえませんでした。

順調な人生とはいえないけれど、あのとき先生が卒業証書を届けてくれたことはとても大切な思い出だといいます。

田口さん
「不安なことがすごくたくさんある中で、明るいニュースでした。卒業式ってやっぱり節目だなって。大学の時もコロナ禍で、卒業式は両親も後輩もいなくて、あまり卒業したという実感がなかったので、小学校の時、両親に見てもらえたこと、直接手渡ししてもらったことで卒業を実感できてよかった」

今、NPOの仕事で子どもたちと向き合う中で、あの日の土田先生の行動の意味を改めて考えるようになったといいます。

田口さん
「今の仕事でも、子どもが大人になって振り返って、つらい時に寄り添ってくれた人がいたんだって思ってもらえるようにしたい。子どもがつらく大変な時に、何か少しでも明るいことだったり、その子のプラスになることを意識して接していきたい」

笑顔を浮かべながら話してくれた田口さんの姿が印象的でした。

ずっと見守り続けたい

およそ30年の教員生活で経験した、震災とコロナ禍という子どもたちの非日常。

まもなく定年をむかえる土田先生は、あの日と同じように子どもたちをしっかりと卒業させることが自分の役目だと話してくれました。

土田先生
「いろんな節目をしっかり子どもたちに作ってあげるのは大人の責任かなと思う。本当に当たり前に生活して、当たり前に友達と遊んで、当たり前に卒業をしていく。それをずっと見守っていきたい」

取材後記

NHKには、東日本大震災の発生直後から、被災した各地を撮影した映像が残されています。

被害の状況を伝える映像とともに、土田先生のように、不安や混乱が続く中でも「誰かのため」に行動した人の姿も記録されています。

今は子どもと向き合う立場になった田口さんへの取材で、土田先生の思いが卒業証書を通してしっかりと受け継がれているように感じました。

私もカメラマンとして過去の映像から感じた「優しさ」を忘れずに、被災地で暮らす人の取材を続けていきたいと思います。

顔写真:腹巻 尚幸

映像センターカメラマン

腹巻 尚幸

2012年入局
福井局と札幌局で、原発事故で外で自由に遊べない子どもを支援する団体や福島から移り住んだ子どもたちを取材
子どもたちの目線にたって震災を取材していきたい