岩手 陸前高田 思い出の品「一刻も早く」と
「少しでも長く」

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市を拠点に、がれきの中などから見つかった写真や物品などの“思い出の品”の管理と返却を続けてきた団体があります。
これまでに返却した写真は20万枚超。
それでも多くの写真や物品が持ち主のもとへ帰るのを今も待っています。
「一刻も早く持ち主の元へ」と始まった取り組みは12年。
活動が長期化する中で新たな展開も見せ始めています。
(NHK盛岡放送局 大船渡・陸前高田支局 記者 村上浩)

“思い出の品”返却会

災害公営住宅 県営栃ヶ沢アパート(陸前高田)

陸前高田市にある県内最大の災害公営住宅・県営栃ヶ沢アパートで行われた「思い出の写真」の返却会。写真はいずれも震災後にがれきの中などから見つかったものです。
住民たちはパソコンで写真を確認。
この日も、夫の育ての母の写真を見つけた女性がいました。
震災後、地元を離れ青森で暮らしているといいます。

よく写真が残っていたと思う。もう100歳になったけど、電話するたび「高田に帰りたいと泣く」

返却会を主催したのは「三陸アーカイブ減災センター」。
写真などの“思い出の品”の保管と返却活動を続けています。
代表理事を務める秋山真理さんは、この団地で去年11月から始めた返却会には毎回10人以上が訪れ、毎回、なにがしかの写真が見つけていると話します。

三陸アーカイブ減災センター 秋山真理代表理事

三陸アーカイブ減災センター 秋山真理代表理事
「きょうは初めての方も3人来ました。まだまだ探したい方がいるんだなと実感しています。お声がかかれば可能な限りうかがいます」

“ニッチな分野”

陸前高田市にある拠点

三陸アーカイブ減災センターは陸前高田を拠点にこれまでに写真20万枚と1500点を返却。
今も7万枚の写真などが持ち主を待っています。
一方で震災から10年を区切りに市からの委託は終了し、寄付金を募りながら自主事業として継続していますが、補助金などの申請にはハードルが高いと言います。

“ニッチな分野”で、福祉かって言うと福祉でないかも知れない。
例えば思い出の品が持ち主の元に返ることで何か良い形で心の変化があるだとか、そういったところを目に見える形で示しにくい。
エビデンスとして示して補助金とか助成金に結びつけていくのは試行錯誤している段階です。

“今できることを始める”

野田村で写真の保管・返却を続ける「チーム北リアス写真班」

苦しい状況の中でも秋山さんたちの活動には広がりがあります。
この日は岩手県北部の野田村で被災写真の保管と返却を行っている団体の拠点を訪問しました。
この団体は震災直後から活動を続けていて、今は村からの委託を受けて写真をデジタル化して保存する作業を進めていますが、メンバーの多くは県外に住んでいて住民への写真の返却会を頻繁には開けないなど、今後どのように継続できるのか活動は曲がり角に来ていると言います。

写真の管理や運営のあり方などを助言

団体が拠点としている村の保健センターの震災展示室には膨大な写真のファイルが並ぶ一方、また常駐する担当者はおらず、村民だけでなく観光客も自由に出入りできます。
震災が発生した2011年から活動を続けてきた秋山さんには管理上の課題が感じられた様子で、アドバイスの中には厳しい指摘も聞かれました。

被災した住民にとっては、あなたたちより野田村の方が近い関係。常に相談できるし、写真を見ながら被災当時のつらかったという話もできる。
個人情報も守られるし早い段階で村に任せた方がよいのでは。今は村役場にも理解があって、担当者もいる。
このタイミングを逃したら、団体がずっとやらなければなるかも知れないけど覚悟はありますか?

この後、秋山さんは村役場の担当者を交えて話し合いを進めたものの、この日は結論が出ませんでした。
写真の管理や返却のあり方は今後も村と協議することになりましたが、団体の担当者にとっては貴重なアドバイスだったようです。

チーム北リアス写真班 宮前良平さん

チーム北リアス写真班 宮前良平さん
「震災直後からがむしゃらにやってきましたが、正直、今後どうしようかなという思いはありました。返却を続けていくために持続可能な活動をどう構築していくかが課題でしたが、写真の返却活動を続けている団体が少なくなる中で秋山さんの活動はお手本になるので、話を直に聞けて参考になりました」

野田村はこれから返却していくよい機会。細くても長く写真の返却を通常業務の中で続けられれば被災した方々にとってよいことなので、厳しいかも知れないが話をしました。
震災が発生してからこれまでの自治体の歩みもそれぞれ違っていて、ボランティアとの関わりも違う。
当然、被災した写真の状況も違います。それぞれが今できることを始めるのがいい形になると期待しています

唯一無二の使命感で

秋山さんたちの活動は今、新たな展開を迎えています。
思い出の品に対する潜在的な需要を掘り起こそうとインターネットを活用したオンライン閲覧を始めたのです。遠方で探しに来るのが難しい人や、気持ちの整理がつかず写真を探す気になれない人でも、身元を明かして会員登録すれば自宅にいながらでも好きな時間に閲覧できる仕組みを作りました。
2022年12月下旬から募集をはじめ、これまでに探したい本人や、同居する家族も含めて120人余りが登録しています。
募集に合わせて行ったアンケートは、好意的な意見が多数を占めました。

「待望のオンライン閲覧が可能になり大変うれしい」
「震災で亡くなった幼い娘2人の遺品を探したいです」

時間を限らず、ご自身の気持ちのままに見ていただけるので、そういった意味では遠方の方の距離を縮められるし、心の距離も縮められるんじゃないかと期待しています

またアンケートでは回答者全員が活動の継続を望んでいました。
継続期間を尋ねると「ずっと(期限を設けず)」という回答が全体の45%と最も多くなりました。
「一日も早く」思い出の品を持ち主に返したいという思いで始まった取り組みですが、12年が過ぎても活動の継続していくことの意義を実感しました。

一日も早く持ち主の元に戻る方がいいに決まってるし、それでこの事業自体がなくなるのであれば、それがいちばんいい。
一方で実際にまだ写真を見るのがつらい方もいるだろうし、まだそこまでの気持ちになっていないと言う方もいらっしゃる。探したい気持ちは年月が経っても癒えるということはない。12年たってもまだ続けてほしいと言う方が非常に多い。被災した方々には、忘れたいという部分と忘れて欲しくないという部分が共存してるのでは。

災害で流出した思い出の品が回収・保管され持ち主の元に戻り、被災した人の喪失感を和らげ心のよりどころを取り戻すという社会を実現したい。
唯一無二の使命感が秋山さんの支えとなっています。

秋山真理さん

三陸アーカイブ減災センター 秋山真理代表理事
「福祉でもないし、被災者支援のど真ん中に位置づけられているかというとそうでもない心の問題なので形があるわけでない。けれども写真を取り戻すことで確実に喜んでもらっている人の姿を沢山見てきました。探したいと言う方がいる以上、私たちもできることが沢山ある以上は続けたい」

取材後記

三陸アーカイブ減災センターの秋山真理さんは、東日本大震災は被災各地で見つかった大量の「思い出の品」の取り扱いが改めて見直され、震災後に改定された国の災害廃棄物対策の指針の中でも市町村に対し事前に「思い出の品」の定義や保管・返却方法などのルールを事前に決めておくよう市町村に求めるなど「思い出の品元年」と言えると指摘しています。
現場では時間の経過とともに思うように返却が進まず、また保管に費用がかかるなどの理由から、自治体によっては処分するところも出てきていますが、一方で岩手県野田村のように震災から12年がたって思い出の品の保管と返却に本腰を入れる自治体もあるなど、思い出の品は被災状況や復興事業の進捗など各自治体の歩みの違いにも左右されているように思えます。
秋山さんの団体の「思い出の品」のオンライン閲覧には規約が細かく定められていて、個人情報の取り扱いには十分注意するよう求めていて、2月28日から動画の公開が始まっています。すでにオンラインで写真を見つけた人が、ほかにも無いかと他県から秋山さんの拠点にやってきて、さらに別の写真を見つけたケースもあるということです。

私は赴任した3年前から秋山さんたちの活動をたびたび取材する中で、時に財政的な苦境に立たされても決して折れない心を持っているように見える秋山さんに対し、「どうしてそこまで頑張るのか」聞いてみたいと感じていました。
今回の取材で「写真を取り戻して喜ぶ人たちを何人も見てきた」という秋山さんの言葉が印象に残りました。
「災害時に流出した思い出の品や物品が当たり前に回収され、被災者が心のよりどころを取り戻せる社会の実現を目指す」という使命感の下で続いていく活動を見続けていきたいと感じました。

顔写真:村上 浩

盛岡放送局大船渡・陸前高田支局

村上 浩

1992年入局
2012年から宮城・福島などで被災地取材を続け2020年から現任地