消えた作業員、ヒラメの飼育…「イチエフ」で起きていたこと

東京電力福島第一原発の事故から12年。

かつて記者として、事故の検証や廃炉の取材を担当していた私は、先日、6年ぶりに現場に入った。

そこで見たものは、当時は想像できなかった劇的な変化と、いまだに乗り越えられない困難が混在する、「イチエフ」の実情だった。
(福島局ニュースデスク 国枝拓)

※イチエフ=東京電力福島第一原発のこと。第一の「1」と福島の「F」で通称「1F(イチエフ)」と呼ばれている。

ありのままを

福島第一原発へ向かうバスの車窓に、帰還困難区域の景色が広がる。

住む人がいなくなり崩れかかった家屋。

風雨にさらされて荒れ放題の店舗―。

ずっとそこに残されたままの建物もあれば、更地になっている場所も目立つ。

国道6号線の沿道は、変わりつつあった。

私が、福島第一原発の取材を担当していたのは2014年から2017年にかけて。

当時の現場は「放射線」と「水」との戦いだった。

あの頃から状況はどう変わったのか、あるいは変わっていないのか―。

ありのままを伝えようと取材に入った。

消えた作業員たち

厳重な入構手続きを経て、久しぶりに入った福島第一原発。

まず驚いたのが、廃炉作業員が圧倒的に少なくなっていたこと。

かつては一日あたりおよそ7500人もの作業員が働いていた。

防護服に全面マスク姿の“完全防備”の集団が構内を行き交い、休憩施設には作業員がごった返していた。

あれだけ大勢いた作業員はどこへ消えたのか。

東京電力福島広報部 太田英人さん

太田さん
「放射線が高かった頃は、被ばく量を抑えるために一人ひとりの作業時間を短くして、交替しながら仕事をしていました。しかし、がれきの撤去や除染などが進んだことで敷地の放射線量が下がり、以前のような人海戦術をとる必要がなくなったんです。いまは、より計画的に、安全に作業できるようになっています」

いまはピーク時の半分の4000人。

がれきの撤去や除染など、事故直後から続けてきた作業によって放射線のリスクが下がり、さらに大規模な土木工事が一段落したことで、作業員は次第に少なくなっていったのだという。

激変した「水」めぐる問題

「水」をめぐる問題も、大きく変化していた。

原子炉建屋には、溶け落ちた核燃料を冷やす水に地下水や雨水が流れ込んだ、高濃度の放射性物質を含む「汚染水」がたまり、いまも一日100トンのペース(去年4月~11月)で発生している。

私が初めて福島第一原発に入ったのは2014年秋。

そのころ、汚染水の処理装置「ALPS(アルプス)」の運転が本格的に始まった。

当時の福島第一原発では、高濃度の汚染水がタンクから漏れ出すなどのトラブルが相次いでいた。

現場からリポートした私は「ようやく汚染水のリスクが下がる」と、安堵した記憶がある。

2014年10月 試運転中のアルプス横で

「巨大なテントのような建物の中に収められたこの装置、これが汚染水処理の要とされているアルプスです。先ほどまで処理を始めるための検査が行われ、運転に向けた準備が進められています」(当時の現場リポートより)

アルプスは、フィルターなどを通して汚染水を浄化し、トリチウムを除く放射性物質の大半を取り除く。

その処理をほどこした水が「処理水」だ。

これまでに発生した処理水は132万トン。

保管タンクは1000基を超え、敷地の広い範囲を埋め尽くしていた。

全体の容量はすでに96%に達し、東京電力によると、このまま増え続ければ、ことし秋にも満杯になるという。

この先の廃炉作業に支障が出るとして、東京電力は、政府の方針に従って処理水を海水で薄め、トリチウムの濃度を基準の40分の1未満にして、ことし「春から夏ごろにかけて」海に放出する計画だ。

しかし、地元の漁業者を中心に風評被害を懸念する声は根強い。

国や東京電力は、処理水は安全だとして計画への理解をあの手この手でPRしているが、社会に理解してもらえているという状況ではない。

一方で、処理水を放出するための設備の工事は、終盤にさしかかっていた。

放出設備の建設工事

かつての福島第一原発の「水」の問題は、汚染水のリスク低減だった。

そのリスクは少なくなったものの、その後も汚染水は発生し続け、結果、大量の処理水がたまることになった。

処理水の処分がこれほど切迫した問題になるとは、当時の私は思いもよらなかった。

原発でヒラメを飼育

処理水の海洋放出をめぐっては、かつての福島第一原発では想像できなかった取り組みも進められていた。

構内の一角にあるプレハブの建物。

内部は、数メートル四方の大きな水槽がずらりと並び、まるで水族館のバックヤードのよう。

そこで飼育されていたのは、あの「ヒラメ」。

その数、400尾。

いったい何が行われているのか。

水槽の中のヒラメ

ここは、処理水を放出することの安全性を実証するための実験室だった。

放出時の基準となる濃度の処理水と、通常の海水をいれた2種類の水槽でそれぞれ飼育し、ヒラメの生育などに差が出ないことや、トリチウムが体内に蓄積されないで排出されることを確認するため、観察を続けているのだ。

さらに、飼育のようすはユーチューブやツイッターで配信。

担当者によると、生育のスピードや、死亡したり病気にかかったりする率に差は見られず、今のところトリチウムが体内に蓄積されないことも確認できたそうだ。

別の水槽でアワビも飼育していて、同様のデータが得られているという。

ウェブで配信している観察モニター

処理水放出の安全性をPRしたいのなら、ほかにもさまざまな方法があるはず。

それにもかかわらず、生き物の飼育という、繊細でリスクも伴うような手法を、なぜ選んだのか。

飼育担当者は、よりわかりやすい情報発信のあり方を模索した結果だと説明する。

飼育担当 山中和夫さん(右)

東京電力福島第一廃炉推進カンパニー 山中和夫さん
「原子力の分野は、ついつい専門的な説明に走りがちな悪いところがある。それでは一般のみなさんに伝わらず、逆に警戒されてしまう。やはり感覚的に安心感を得てもらうには、リスキーな取り組みではありますが、ヒラメやアワビが元気でいる姿を見せることが最も効果的だと考えたんです。私自身、入社してから40年経ちますが、原発でヒラメを飼育するとは思っていませんでした」

「伝える」から「伝わる」情報発信へ。

現場では試行錯誤が続いていた。

変わらず立ちはだかる壁

一方、6年前と変わらない現実も突きつけられた。

構内を移動するマイクロバスに据え付けられた線量計。

原子炉建屋から500メートルほど離れた場所で0.3マイクロシーベルトの値を示していた。

1号機の原子炉建屋に近づくと線量は急上昇した

しかし、建屋に近づくにつれてみるみる上昇。

1号機までおよそ100メートルの場所では30~40マイクロシーベルト前後になった。

溶け落ちた燃料デブリは、事故でぼろぼろになったコンクリートの壁の向こうに確かにある。

そして事故から12年たったいまも、強い放射線を発し続けているのだ。

これまでにデブリとみられる堆積物を撮影したり、堆積物に接触したりと、取り出しに向けた準備は着々と進んだ。

しかし、肝心の取り出し作業では、ロボットアームの改良が必要になったほか、配管から放射性物質が飛散するのを防ぐ装置が傷むなどして、これまでに2度延期。

現在は、来年度の後半の着手に向けて準備が行われている。

東京電力福島広報部 太田英人さん
「使用済み燃料を取り出すこと、そしてその先に、燃料デブリを取り出すこと。そこに近づこうとすると、やはりいろんな障害があります。リスクを下げるために仕切り直しをして、安全を確かめているところで、時間はかかりますが頑張っているところです」

6年前、初めて格納容器の内部の撮影に成功した際は、このまま「取り出し」に向けた計画が順調に進んでほしい、と願った。

しかし、その後は高い放射線に阻まれ、工程の見直しを余儀なくされている。

今回、現場に立った私には、目の前にそびえる原子炉建屋の壁が、以前にも増して高く感じられた。

「処理水」廃炉の転換点に

6年ぶりに現場を訪ねて、廃炉が確かに前へ進んでいることを実感した。

その中でも、ことし計画されている処理水の海への放出は、将来にわたる廃炉の大きな転換点になるとされている。

現場では放出のための工事が進んでいたが、それとは裏腹に、地元の関係者や社会に理解されていないという実情がますます浮き彫りになってきている。

国や東京電力は、「イチエフ」の廃炉が滞ることで、福島の復興が止まってはいけないという。

しかし、だからといって、処理水は簡単に放出できるものではない。

事故から12年目の福島は、葛藤の中にある。

顔写真:国枝 拓

福島局ニュースデスク

国枝 拓

新聞社を経て平成21年入局
松山局、報道局科学文化部、佐賀局を経て現所属