“紙芝居”で伝える命を守るメッセージ

同じ悲劇を繰り返さないために自分に何ができるか。
そう考えながら全国で紙芝居を演じている俳優がいます。

「ダメだ、おゆき、頼むから逃げろ、逃げろー」ドドドドド。
窓枠を壊し、壁を壊し、冷たい海が一気に流れ込んできました。

東日本大震災の発生から間もなく12年。
その教訓を未来の子どもたちに伝えたいという思いが紙芝居には込められています。
(※記事の後半に動画があります)

未来につなげていくために

紙芝居を演じているのは、大船渡市出身の俳優・横道毅さん(53歳)です。震災のあと、2015年からおよそ8年間、多いときは年に20回以上、全国の防災イベントなどで披露し続けています。

【横道さん】
「実際の生の映像を見せてもいいんですが、恐ろしいね怖いねだけでは未来につながっていかないと思うんですよ。なので、子どもさんたちにずっとずっと物語として伝わっていくように紙芝居にしました」

東京に拠点を置く劇団に所属する横道さん。キャリアは30年以上。女形などで活躍しています。

紙芝居では、女性の声や、若者、お年寄りの声も使い分け、落語のように1人で左を向いたり右を向いたりして様々な人物を巧みに演じます。
紙芝居のクライマックスでは、途中で自分自身が前に飛び出して演技を始めることも。独自の演技力で観客をぐいぐい引き込んでいくのが、横道さん流の紙芝居です。

“命だけは自分で守ってほしい”

震災の発生時、横道さんは東京にいて、三陸沿岸が津波に襲われたことを知りました。

高台に住む両親と家は無事でしたが、海に近い場所にある建物で働いていた同級生は今も行方不明のままといいます。
古里で多くの命が失われたことが悔しいと、活動を続ける力になっています。

【横道さん】
「いたたまれないというか、しばらくはちょっと考え込むというか、落ち込むとかしていましたね。どんなに準備していても自然災害自体を起こさないようにすることはできないじゃないですか。でも、ふだんから準備しておくことや備えておくことは、被害を極力少なくすることができるはずなので。やっぱり逃げてほしい、命だけは自分で守ってほしいと本当に思いました」

『吉浜のおゆき』

紙芝居は東日本大震災のあと、大船渡市の大船渡津波伝承館が地震や津波など防災の教訓を未来を担う子どもたちに分かりやすく伝えようと作られました。
全部で10作品あります。

このうち、横道さんが最もよく披露しているのが『吉浜のおゆき』という作品。
明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」に襲われた大船渡市吉浜地区の話をもとにした物語です。

吉浜地区には東日本大震災の後に「奇跡の集落」と刻まれた記憶石が建てられました。
吉浜地区では、明治三陸大津波での大きな被害を教訓として、その後、歴代の村長が主導して住居の高台移転が進められました。
その115年後に発生した東日本大震災で、吉浜地区の犠牲者は行方不明者1人。被害が極めて少なかったとして、「奇跡の集落」と呼ばれているのです。

【横道さん】
「奇跡ではなく、実績なんですよ。(「吉浜のおゆき」の)中身自体は悲しいお話なんですが、明治のころの村長の英断で町割りを変え、それが東日本大震災の時に吉浜地区だけ被害が少なかった。実際に先人の教えが生きた教訓だと思いますので、それを伝えたくて心の片隅に皆さんにとどめておいてほしいと思って、よく演じています」

紙芝居に込めた思い

2022年12月17日、横道さんは東京 上野で開かれた復興支援イベントに参加しました。
紙芝居を演じる前に集まった人たちにメッセージを伝えました。

「いま僕は津波の話をしますが、自然災害は地震や津波だけでなく、いろんなものが考えられます。自然災害に対して的確に避難すること、日頃から備えておくことは共通することだと思います。将来、もしかしたら沿岸に住むかもしれません。この物語を思い出して大きな地震が来たらすぐ逃げる、そのことを心がけていただきたい」

紙芝居が始まり、横道さんは声色を変えながら登場人物を演じていきます。
そして物語はクライマックスへ。津波のあと、妻のおゆきを探す夫の与吉。悲しみを胸に、与吉が前に踏み出します。

(与吉)「おゆき…おゆき?」
返事はありません。
(与吉)「あああ、おゆきー」
おゆきさんは赤ん坊を抱いて死んでいました。

(村長)「これより先は、道も家も山の方さ移すこととする」(村人)「別のどこさ行げっつうのすか」(与吉)「これからも津波はあるものだと思わねばなんね。家は孫子の代まで笑って安心して暮らすどこなんだよね。俺は長に賛成だ」(村長)「よいか、わしらはこれより、孫子のために生きる道を選ぶ。屋敷は山へ、番屋は浜へ。海のそばに生きる、これがわしらの覚悟と知恵よ」

【横道さん】
「お客さんの気持ちにふっと入ったような瞬間があったような気がしました」

誰かが伝え続けてきたから そしてこれからも

2022年12月下旬、古里の大船渡に戻った横道さんが、紙芝居の舞台となった吉浜地区の海辺で、村長の台詞を口にしました。

【横道さん】
「『屋敷は山へ、番屋は浜へ。海のそばに生きる、これがわしらの覚悟と知恵よ。この村を未来に残す村にするは今をおいてほかにないのだ』という感じで。村長の大英断がこの100何年後もずっとこのまちの人たちの命を守ってきた。誰かが伝え続けてきたからこそ、こういうふうに守られていると思うので。未来につながる、命が助かる話を伝えていくことが大事なんじゃないかと思います」

いつまでも幸せに暮らせる町で

この三陸大津波から115年後の東日本大震災。
長(おさ)の作った町割りは、その願い通り、多くの孫子の命を守りました。
(おゆき)「与吉さん、生きて!生きて、与吉さん!どうか、家族みんなでいつまでも幸せに暮らせる町でありますように…」

取材後記

横道さんは「たまたま役者をやっていたから」と謙遜しながらも、「紙芝居は俳優である自分の天職、使命のように思う。そう突き動かすのは大船渡出身だから」と話してくれました。そして、「震災のあと支援してくれた全国の人たちへの感謝の気持ち、恩返しの気持ちも込めている」とも。

紙芝居を英語に訳して世界に発信する夢もあるということで、命を守るメッセージがさらに多くの人に伝わっていくことを願っています。

【NHK盛岡放送局 記者 天間暁子】