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続々・魔球の正体 大谷翔平の「スイーパー」~落ちずに曲がる、その不思議~

続々・魔球の正体 大谷翔平の「スイーパー」~落ちずに曲がる、その不思議~

2023.05.25

バットが大きく空を切った。
日本の野球世界一が決まった瞬間だ。
うなだれるアメリカの主将、トラウト選手。
マウンド上で雄叫びを上げる大谷選手。
ことしのWBC、9回裏ツーアウト・フルカウント。
大谷選手が最後に投げた鋭く横に曲がる変化球。
魔球と呼ばれる大谷選手の「スイーパー」だ。
このボールを武器に今シーズンも大活躍を見せている大谷選手。
この「魔球」をスーパーコンピューターの「富岳」が初めて解析したところ…
打者を幻惑する全く新しい仕組みの“変化”が起きていることが分かった。

「スイーパー」とは

「スイーパー」とは、変化球のスライダーの一種で「ほうきで掃く」という意味の「スイープ」という言葉が由来。ホームベースを掃くように横切って大きく曲がるのが特徴だ。

WBCの決勝で大谷選手がチームメートで大リーグ最強打者と言われるアメリカのトラウト選手から空振り三振を奪って優勝を決めたボールがこのスイーパーだ。

優勝を決め雄叫びを上げる大谷翔平選手

昨シーズンの夏頃からこのボールを多投し、メジャーの打者を圧倒し始めたことから、アメリカで大きく注目され始めた。

そのためか、大リーグでは、今シーズンから正式に公式記録として「スイーパー」が採用され、縦方向に落ちることもあるスライダーとは別の球種として分類されるようになった。

投球データなどを公開している大リーグ公式のデータサイトによると、今シーズンの大谷選手のスイーパーの曲がり幅は大リーグの投手の平均より3.0インチ大きい17.3インチ。センチメートル換算でおよそ44センチとなり、ホームベースの横幅(43.2センチ)よりも大きい。

大谷翔平選手

大谷選手は今シーズン、このボールを武器に打者を圧倒している。

開幕から5月22日までの10試合の登板で、投球全体の43パーセントをこのスイーパーが占めている。特に開幕当初はスイーパーを中心とした組み立てで相手打線を寄せ付けず、5試合を終えた時点での防御率は0点64。ヒットを打たれる確率を表す被打率は大リーグトップの0割9分2厘をマークした。

WBCで大谷と対戦の選手
"経験したことない「魔球」"

WBCで大谷選手と対戦し、スイーパーを打席で体感した選手に話を聞くことができた。

昨シーズンまでの10年間、プロ野球のソフトバンクでプレーし、ことしから社会人野球チームの日立製作所に所属する真砂勇介さん。

WBCに出場した真砂さん (日本代表戦で戸郷投手から二塁打を放つ)

父親が中国出身で今回のWBCで初めて中国代表に選ばれた真砂さんは、ことし3月の1次ラウンドの日本代表との試合に3番センターで出場。投手として先発した大谷選手と最初の2打席で対戦した。

真砂選手は、大谷選手が日本でプレーしていた頃に対戦経験はなく、ソフトバンク時代の先輩のアドバイスを聞き、横に変化するスライダーを意識して対戦に臨んだ。しかし、スイーパーのあまりの変化の大きさに、思わず打席で腰が引けたという。

真砂さん
「先輩たちが『とにかくスライダーがすごかった』と言っていて、意識して打席に立った。大谷選手のスイーパーは右打者の自分の体に向かってきて、途中からストライクゾーンに向かって大きく曲がり、何度も避けるような反応をしてしまった。右打席の自分の背中から外角のストライクゾーンまでホームベース1つ分以上は曲がっているように感じた。ボールを離した直後は一瞬、3塁側のベンチの方に放り投げたと感じるほど、投げ出しの角度が普通の変化球と違った」

変化の大きさを説明する真砂さん

真砂さんは、大谷選手のスイーパーの曲がり幅に衝撃を受けるとともに、普段見る変化球と軌道が大きく異なることに気づいたという。

真砂さん
「ある程度、横に大きく曲がるスライダーは、重力の影響を受けて斜めや真下に落ちながら曲がるが、大谷選手のスイーパーは落ちずに真横に大きく変化する。落ちずに曲がる変化球はカットボールなどがあるが、変化は小さく、こんな横幅の変化はない。そのため、打者としては予想より落ちずにボールの下を振ってしまう。マシンでもこの軌道を再現することは難しく、バットに当てることは難しい」

大谷選手が真砂さんへの2打席で投じたあわせて7球のうち6球がスイーパー。このボールに狙い球を絞ったとしても、ヒットを打ち返すのは難しかったと振り返った。

真砂さん
「プロ10年間を含め、野球人生で見たことない軌道の変化球だった。160キロのストレートやカーブやスプリットなど、ほかにも多彩な球種があり、一瞬、右打者の体に向かってくるスイーパーを投げられると本当に打ちづらい。ただ、仮にスイーパー1本に狙い球を絞って、打席で何球もボールを見たとしても、正直、なかなか打てない。試合映像を見て今も『どうやればこの球を打てるのだろう』と思っている。『魔球』と呼ばれる理由が打席に立ってよく分かった」

浮きながら大きく曲がる
魔球スイーパーの正体は 

東京工業大学 青木尊之教授 大学院生イン イクイさん

打者の手元で落ちずに大きく曲がる「魔球」スイーパー。

そのボールはいったいどのような原理で変化するのか。

過去にも大谷選手の変化球の仕組みをスーパーコンピューターで分析し、いまも最新のスパコン「富岳」を使って研究を続けている東京工業大学教授の青木尊之さんは、大谷選手のスイーパーが物理学的にも不思議な軌道を描いていると指摘する。

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青木尊之教授
「バックスピンをしているボールは、浮き上がるような揚力を得るが(※記事①を参照)、真横に回転するだけでは、揚力は得られないはずだ。しかし、大リーグ公式のデータサイトによると大谷選手のスイーパーは、大きく横に曲がりながら自然落下よりも20から30センチほど落ち幅が小さく浮き上がってるようにもみえる。これはどういうことなのか、流体力学的にも興味深かった」

青木さんによると、スライダーのように横に大きく曲がるボールは、ボールの回転で左右に生まれる圧力差によって曲がる。

そして、この曲がり方を決めるのに重要なのは、回転の軸だ。

回転のイメージ(矢印は回転軸 手前が投手側で奥が打者側 )

例えば、この軸が3塁側に傾くと(右投げの投手の場合)バックスピンが混じり、ボールを浮き上がらせる「揚力」が生まれる。

青木さんは、この回転パターンで、大谷選手のスイーパーを、実際の球速や回転数のデータ(球速136.8km/h 回転数2590rpm)を元に、「富岳」で、ボールの縦横の変化量を計算した。

その結果、ボールは揚力を得るものの横の変化が少なく、実際に映像で確認できるほど大きく曲がるボールとはならなかった。

そこで考えたのが、回転軸がバッターの方向に傾くとどうなるか、ということだった。

ボールが真横に回転しながら軸が進行方向に傾くと、進行方向に向かってらせんを描くような回転、いわゆる「ジャイロ回転(※記事②を参照)」に近づく。

大谷選手の実際の中継映像をよく見てみてみると、ボールは真横に回転しながら、回転軸はバッターの方向に傾いている。

このパターンの回転で計算したところ、ボールは大きく横に曲がりながら、しかも大きな揚力も得ていることが分かった。

これは、全く予想外の結果だったという。

青木尊之教授
「バックスピンの成分を加えた計算で上手くいかず、スイーパーの変化はスパコンで再現できないと思った。そこで試しに(軸をバッター方向に傾けて)ジャイロ成分を入れて計算したら『何と揚力が出るじゃないの!』と」

そして、真横に回転するボールの軸がバッター方向に傾いたとき、縦横の変化量にどう影響するか、さらに詳しく検証した。

その結果、回転軸が50度から60度傾いたとき、横の変化量や揚力がいずれも大きくなり、大谷選手のスイーパーの実際の計測値に近いデータとなった。

回転軸がバッターの方向に50度から60度傾く

そして、この回転パターンでのボールの周りの空気の流れを可視化すると、投手側から見て右下から左上の方向にボールの後ろから押し出すような空気の流れが絶えず出現。

この空気の流れによって左打者の方へ大きく横に曲がりながら揚力も加わって、真横にすべるように曲がる力が生まれることが分かった。

青木さんによると、この回転のパターンで揚力を得られることを確認できたのは初めてだという。

つまり、左右に回転するボールの回転軸がバッターの方向に50度から60度の間で傾いたときに、ボールは大きな揚力を得て、横に大きくすべるように曲がる“魔球”と呼ばれるスイーパーが生み出されていたのだ。

青木尊之教授
「大リーグのデータから、スイーパーが浮き上がるメカニズムを何かしら予想していた人はいたかもしれないが、『乱流』や『境界層剥離』などボールの周りの空気の流れを詳しく調べ、シミュレーションで再現した研究は、私が知る限りない。純粋なジャイロ回転ならば一切、変化せずに重力の影響を落ちるだけだが、少し傾くだけでいろんな変化が起きる。これまでの常識から全く外れた変化の仕組みに迫ることができた」

また、同じように回転軸がバッター方向に、30度から40度ほど傾いたボールは横に70センチほど曲がるものの揚力は得られず、重力の影響で曲がりながら落ちた。

一方、70度近くまで傾くと揚力は30センチほど得られるものの、横の曲がり幅は20センチと小さくなった。

浮き上がりながら大きく曲がるスイーパーを投げるためのボールの角度は、限られていることが分かったのだ。

再現性高くスイーパーを投げ続けるためには、ボールの角度を繊細に操る高度な技術が必要が必要なことが裏付けられた。

力投する大谷翔平選手

青木尊之教授
「大谷選手がスイーパーを投げるときは少しサイドスロー気味で、ボールに角度をつけやすいように工夫した結果のように思える。それでも、回転軸が少しでもぶれると、あまり変化しないボールになってしまうわけだが、大谷選手はボールに高速の回転を与えコントロールもかなりいい。データから大谷選手のすごさが改めて分かった」

青木さんに話を聞いた2023年5月23日の2日前の試合で、大谷選手はスイーパーの投球割合を減らし、通常とは異なる縦に落ちる軌道のカットボールを投げるなど、新たな変化球を投げていた。

東京工業大学 青木尊之教授

東京工業大学 青木尊之教授
「大谷選手は自分でデータをとりながら絶えず研究しているのだろう。以前は『シンカーは投げない』と言っていたのに、今は投げていることからも分かる。どの球も超一級の変化球に仕上げているのが本当にすごいことだと思う。また新たな変化球が出てくるかもしれないが、そのときは我々の計算技術でまた、解き明かしたい」

オープンデータ化
新たな「魔球」は子どもたちでも?

東京・世田谷 室内練習場「THE ANCHOR BASE」 

最新の計算技術とともに「スイーパー」の変化の謎を解き明かす鍵となった大リーグのオープンデータ。

データの活用は、野球を始めたばかりの子どもたちにも広がっている。

東京・世田谷区にある野球の室内練習場。

施設を利用する地元の野球チームや野球教室を開く指導者たちに投球データを測定できる装置を貸し出している。

ラプソード

ラプソードと呼ばれるこの装置は、ボールの動きを捉えるレーダーやカメラが備えられ、球速だけでなく、ボールの回転数や左右の曲がり幅や落差など、さまざまなデータが接続された端末に表示される。

使っているのは企業や大学、高校野球のチームが中心だが、ここ最近は子どもたちが使用できる各地の練習場でも導入されるケースが増えているという。

測定されたデータ

取材したこの日は、地元の少年野球のチームが訪れていた。

チームの子どもたちは、コーチから投げ方のアドバイスを受けながら測定された数値にどう反映されているか、確認しながら練習。

目の色を輝かせながら、自分の投球データを見入っていた。

投球データを測定した小学5年生の男の子
「練習を重ねて球速や回転数が上がると、とても楽しいです。変化球も自分の想像よりも曲がっていることが分かれば嬉しいです」 

施設の管理者で少年野球チームのコーチを務める並木健さん
「子どもたちがどの程度、上手になったのか、感覚ではなくデータを通じて保護者たちと共有できる。ボールの変化の幅や回転数などを見て正しいフォームで投げられているのか、自分で考えて試行錯誤できる子どもたちも増えている。装置ではカーブやスライダーなど球種を自動判定する機能もついているが、もしかしたらその基準から外れた球が「魔球」になるかもしれない。大人が一緒にデータを読み解いて、子どもが持っている感覚にも耳を傾けながら、パフォーマンスの向上に導けたらといいと思う」

いま、投球データの計測は、ラプソードのような専用の装置ではなく、スマホのカメラで計測できるようなアプリの開発に取り組む会社も出てきている。

WBCでも日本の選手たちが、ダルビッシュ投手からスイーパーも含めて様々な変化球を伝授され、測定機器を使いながら試合でも使いこなすようになっている。

そのように子どもたちが一流選手のデータと自分のデータを見比べながら、試行錯誤し、やがて大谷選手のような『魔球』を誰もが編み出せるような時代がくるかもしれない。

思えば、大学まで野球をやっていた私(筆者)が、大学4年の頃にフォームをオーバースローからサイドスローに変えたとき、それまで縦に落ちていたスライダーが急に横に曲がるようになった。その変化にあまり気にせずに投げ続けていたが、もしそのメカニズムを知り、今のように詳細なデータに触れて自分なりに磨くことができていれば、もしかしたら私も、私だけの「魔球」を編み出すことができたのかもれない。

なんてことも、感じてしまう取材だった。

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