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100年後もこのゲームで遊びたい夢をかなえる「神移植」職人の技

100年後もこのゲームで遊びたい夢をかなえる「神移植」職人の技

2021.09.17

「ゲーム、遊んでますか?ボクは相変わらずです」

 

ある会社のホームページの「代表メッセージ」に目がとまった。

 

古いゲームを新しいゲーム機でも遊べるように「移植する」ことで、未来に受け継ごうとしているという。

 

私(記者)は無類のゲーム好き。休みの日はたいていゲームをしている。

 

忙しければ忙しいほど、睡眠時間を削ってゲームをしてしまう。

 

どうやらこの会社、ゲームファンの間では「神移植」と噂される業界でも有名な会社らしい。

 

一体なにが「神」なのか?

 

そこには、驚くべきこだわりの世界が広がっていた。

始まりは「目コピ」から

千葉県我孫子市にある「エムツー」を訪ねた。

その男性は懸命にコントローラーを動かしていた。

スティックの握り、ボタンの押し方、ただ者ではない。

男性:ちょっと待ってくださいね、もう少しだけ…。

堀井直樹さん。

平成3年に「エムツー」を創業、くせ者揃いの移植職人集団をまとめあげてきた名物社長だ。

堀井さんがゲームに魅了されたのは小学2年生のとき。

世界中で大ブームを巻き起こしたシューティングゲーム「スペースインベーダー」との出会いだった。

「スペースインベーダー」

テレビの中のものが動くことに、衝撃を受けた。

その時に決意したのは「ゲームを延々と遊んでいても怒られない大人になること」だった。

堀井直樹(以下、堀井):高校の時に友人たちと一緒に、パソコンのゲームソフトを作って販売していたんです。1本2000円くらいの同人ゲームを「パソコン通信」という雑誌で発表すると、通販でかなりの数が売れました。これを続けていれば、ゲームで遊びながら過ごす人生が実現しそうな気がするなと思ったのが高校生の時。大学にも行かず、20歳のときに「エムツー」を起業しました。

「エムツー」で最初に手がけたのが「ガントレット」※というアーケードゲームの移植だ。

画面に映っているのが「ガントレット」移植版のプレイ画面。


※アメリカのゲーム会社「アタリ」が1985年に発表したアーケードゲーム。初代は日本のゲーム会社「ナムコ」が輸入した。

ファンタジーロールプレイング風のアクションゲームで、複数のプレイヤーが協力して戦う斬新なゲーム性が人気を集めていた。

既に海外版の「ファミリーコンピュータ」専用のソフトとして移植されていたが、当時はアーケードゲームに比べて家庭用ゲーム機の性能はかなり低く、全く別物のゲームのように感じたという。

堀井さんは、現在エムツーでチーフプログラマーを務める友人の阿部哲也さんを誘い、独自に「ガントレット」をパソコンゲームとして移植することにした。

堀井:阿部さんは、1コイン(当時は50円)だけで「ガントレット」を延々と遊んでいられるくらいの腕の持ち主だったんです。ゲーセンに来た人が、ゲーム台の前に阿部さんが立っているのを見て「きょうはダメだ」といって帰っちゃうくらい。それで、「僕たちで最高のガントレット移植版を作ろう!」と思い立ちました。自分たちが家でも遊びたかったから作った、という感じです。

エムツーのチーフプログラマー、阿部哲也さん。

阿部哲也(以下、阿部):僕は前からプログラミングが出来たので、アクションゲームみたいなものをオリジナルで作ろうと思っていました。そうしたら、堀井さんから「ガントレット」を移植しようと言われて、いつの間にかその方向に持って行かれていましたね…。

なんとこの移植、権利を持つゲーム会社に許可を取らずに勝手に始めたという。
当然、元となるプログラムも、ゲームの基板※も手元にない。

そのため、ゲームの動きやキャラクターのデザインを目で確認して内部の処理を想像しプログラムを考える、いわゆる「目コピ」に頼るしかなかった。

当時のゲームは、いまと比べればシンプルな絵と動きで作られていた。
死に物狂いでやれば「目コピ」も可能だったのだ。


※アーケードゲームの心臓部にあたる、電子部品を搭載したプリント基板。家庭用ゲーム機のゲームソフトにあたる部分で、移植するために最も参考になる資料。

阿部:開発のために、とにかく「ガントレット」で遊びまくりました。資料がないので、例えばゲームのスコアが7桁まで(例:9999999)あるのか、それとも8桁まで(例:99999999)あるのかというのも、実際に遊んで確かめるしかないんです。

堀井:阿部さんには「ガントレット」でスコアがカンスト※出来る腕があったということです。徹底的にプレイして、あとは目で見た画面の記憶だけを頼りに開発していきました。


※「カウンターストップ」の略。数字のカウントが上限まで達して、それ以上カウントされなくなること。

中央が「ガントレット」のゲーム台。エムツー社の入り口近くに鎮座している。

途方もないほどのプレイ回数を経て、ほとんど「目コピ」だけで作ったプログラムを開発元の会社に持ち込んだ。

堀井:当時は増長していたので、「お前らより、俺らが作ったもののほうが絶対にすごい!」と意気込んでいました。

応接室に通された。

渡したディスクは開発室で手練れの技術者がたちがプログラムを吟味しているのだろう。

どう判断されるのか。不安な気持ちのまま、待った。

すると、小さなバグが見つかったという知らせが入る。

画面に表示される小さなノイズを開発元は見逃さなかった。

堀井さんたちは、アーケードゲーム機と家庭用ゲーム機の性能の差を技術的な工夫で埋めようとしていたが、そこに穴があったのだ。

しかし、かけられた言葉は「進んだら持ってきて」。

バグは、むしろ再現度への探究心が生んだもの。その意気込みが評価されたのだ。

その後、開発は順調に進み、当時セガから発売されていた「メガドライブ」※という家庭用ゲーム機での発売が決まった。


※1988年にセガが発売した家庭用ゲーム機で、他社に先駆けて16ビットのCPUを搭載しリッチなゲーム体験を提供した。セガの公式ホームページによると、セガ史上最も普及した家庭用ゲーム機。

こうして完成したアーケードゲーム版の「ガントレット」に限りなく近づけた移植版は、ゲームファンに大きな反響を呼んだ。

堀井:ゲーム雑誌で辛口評論家の人が「皆の者、買え」ってコメントしてくれるくらい、評判がよかったです。それからセガさんに「他に何がやりたいの?好きな作品を移植して良いよ」というお話を頂いて、本格的にゲームの移植を手がけるようになりました。アーケードゲームを家で遊びたいという要望が多く、家庭用ゲーム機へ移植するニーズがあったんです。

エムツーの開発室。

その後、エムツーはゲーマーの間で「神移植」「エムツーだったら間違いない」と絶大な信頼を置かれる開発会社になっていった。

次々と移植の仕事が舞い込むようになり、これまでに手がけた移植作品は、ややマニアックなものから「悪魔城ドラキュラ」や「大魔界村」など伝説の名作まで、300作品を超える。

1987年に発表された「ラスタンサーガ」もエムツーが移植。
当時としては凝ったビジュアルで、ゲーセンで人気を博した。

神移植の神髄 あえての「処理落ち」

ゲームの移植は、ただプログラムを新しいゲーム機で動くように載せ替えればいいという単純なものではない。

移植によるバグの多発やグラフィックの劣化、操作感覚の違い、追加要素による改悪などの例は、枚挙にいとまがない。

一歩間違えれば原作のファンを激怒させ、「劣化版」という烙印を押されてしまう。

私も、スマホに移植されたゲームの「コレジャナイ感」に深く失望したことが何度もある。

エムツーがゲーマーの間で「神移植」と評され信頼されているのは、当時そのゲームで遊んだときの感覚を徹底的に再現する強いこだわりがあるからだ。

ことし、エムツーがNintendo SwitchとPlayStation4に移植したタイトーのアーケードゲーム「GダライアスHD」※という作品に、神移植の神髄を見た。


※移植元の「Gダライアス」は、1997年にアーケードゲームとして登場した、ゲーム会社「タイトー」の横スクロールシューティングゲーム。

「Gダライアス」移植版の「GダライアスHD」プレイ画面。

この作品は、これまでも数回、家庭用ゲーム機に移植されてきた。

しかし、過去に発売された「PlayStation2」の移植版では、元のアーケードゲームよりも移植先のゲーム機が高性能だったため、頻繁に発生していた「処理落ち」※が起きなかったという。


※コンピューターのスペックが低いことなどが理由で処理が追いつかず、動作が止まったり遅延したりすること。

通常、処理落ちがなくなることは、ゲームがスムーズに動くようになるため、歓迎されるべきだ。

しかし、この「Gダライアス」は、ゲーマーの腕を試すような激ムズのシューティングゲームとして人気を博してきた。

「処理落ち」がなくなることでゲームのスピードが早くなり、ただでさえ難しい難易度がさらに向上。

“無理ゲー”の域に到達してしまったのだ。

堀井:本来、処理落ちは無い方が望ましいとされていますが、移植版では違います。元のゲームが処理落ち前提で難易度が調整されている場合があるので、無くなると難しすぎて遊べなくなってしまう。ゲーマーは、実は処理落ちに助けられているんです。

そこでエムツーは、原作のゲームバランスを忠実に再現するため、あえて処理落ちを起こすことにこだわった。

どの程度の処理落ちが起きると、自機や敵、弾はどう動くのか。

それを確認するために、移植元と開発中のプレイ画面を全く同じタイミングで動かし、ひたすら見比べることでズレを確認していった。

開発画面には、処理落ちが起きるタイミングと、その程度を負荷メーターで表示した。

下の写真の左側の画面。

赤色のメーターが出ているタイミングで、処理落ちが発生しているという。

左が開発版の画面 右が移植元の画面。

こうして、コンマ単位で処理落ちのタイミングを合わせていったのだ。

さらに、最終段階では、「有識者」と呼ばれる在野の凄腕プレイヤーの協力を仰いだ。

実際に遊んでもらい、移植元のバージョンのゲームのプレイ感覚と違いがないか、念入りに確認してもらった。

堀井:長年「Gダライアス」をプレイしている2人の有識者に協力してもらって、繰り返し遊んでもらいました。彼らは自分の攻略パターンを持っているので、それが上手くいかないと「この砲台がちょっと遅い気がする」などと感覚的に指摘してくれます。それを持ち帰って調整して、再度フィードバックして、ということを何度も繰り返して、再現度を高めていきました。最終的には、人の感覚として違和感がないかが、移植では最も大事なんです。

音の再現 録音には頼らない

エムツーの移植のこだわりは、操作の感覚の再現だけではない。

「音」の再現についても、徹底している。

ゲーム内のBGMや効果音などの音は、キャラクターの動きなどと違い、録音すれば簡単に再現できるように思える。

しかし、単に録音を再生するだけでは限界があるという。

昔のアーケードゲームでは、同時に8音しか出せないものが主流だった。

できるだけ音楽を豪華に聞かせるため、多くのゲームがその8音を全てBGMに使っていたという。

そして、効果音を鳴らすときは一瞬だけ、8音のどれかを効果音に割り当てて、すぐにBGMの音に戻すということをしていた。

この音の挙動が、録音では再現できないというのだ。

エムツーでは、録音して収録するのではなく、わざわざ元のプログラムを解析し、その細かい挙動まで再現することに徹底してこだわっている。

サウンドプログラマーの春日達彦さん。

春日達彦(以下、春日):録音は弊社の再現度を高めるという理念に反する場合があるので、出来る限り使わないようにしています。ゲーム中のどういう場合に、どういった周波数が出ていて、どんな操作をすると、どういう音の挙動になるのかというのを逐一調べて、それを再現するようにしています。なので、私たちの移植版ではBGMや効果音にも処理落ちが起きることがあります。

設計図と現物は違う? お宝の基板を集めろ!

忠実な移植をめざすために、信条にしていることがもう一つある。

設計図や設計段階のプログラムだけでなく、必ず元となる筐体や基板の現物を調査することだ。

実は、実際に世に出回っているアーケードゲームは設計図どおりに作られていないことがあるという。

サウンド面のハードウェアの調査や計測を担当する工藤索興さん。

工藤索興(以下、工藤):例えば、製造段階のミスで、ステレオの音の左右が設計図と逆になったまま量産してしまっていたケースもありました。

春日:設計資料に「ここを繋いではいけない」とか書いているのに、平気で繋いでいる場合もあります。

こうしたアーケードゲームの基板は、開発したゲーム会社が保管・保存していないことも多い。

海外に流出して、所在が分からなくなっているケースもあるという。

エムツーは、これまで築きあげてきたネットワークを頼りに、こうした基板を独自に収集している。

これまでに集めた基板は500作品以上。

どうしても手に入らず、移植の開発のためにマニアから貸してもらう場合もある。

エムツーに保管されている基板の一部。

堀井:私たちが「これから移植するんだけど誰か持ってない?」って騒ぐと、こっそり「家の倉庫にあります」とか言ってくれる人がいるんですよ。個人で倉庫を借りきってアーケードゲームを200台くらい持っているおじさまとかがいて。そういう方が、「役に立つならいつでも待ってるよ」と言ってくれます。ありがたい限りです。

ゲームは誰かが手をかけなければ残らない

なぜ、ここまでゲームの移植にこだわるのか。

堀井さんは、このままではかつてのゲームが失われていくと、強い危機感を抱いていた。

堀井:ゲームは専用の再生装置がないと遊べないので、誰かが手をかけてやらないと残らないんです。いまでこそ、頑張って保存に取り組んでいる開発会社もありますが、各社の倉庫にも限りがあります。例えば歴代のゲームを並べる展示会をするにしても、個人のコレクターから自社の古いゲームを貸し出してもらっているのが現状です。

移植という形でゲームを未来に受け継ぐことには、課題もある。

ひとつは、著作権の壁だ。

はやり廃りの激しいゲーム業界。

既に廃業している会社も多く、権利の許諾を取るための関係者を探すのは至難の業だ。

このために、移植を期待されながらも実現しないゲームも多い。

堀井:いつか出したいなと思って、仕事と関係なく移植版を開発している作品が40本ほどあります。どう頑張っても世に出せなかったら、自分たちで遊ぶ用ですけどね(笑)この作品が大好きだけど、絶対に移植されないだろうなというものも、やっぱり残したい。

NPO法人「ゲーム保存協会」の理事の顔も持つ堀井さん。

ゲームを遺すことは、文化を次の世代に受け継ぐことに繋がると話す。

堀井:自分たちのペースで全てのゲームを移植していくのは無理だろうなと思います。本気でやるなら、プロフェッショナルが集まるゲームの国会図書館みたいなものを運用する組織が必要なんだと思います。今後、ビデオゲームを触った第一世代の人たちがいなくなったあと、その人たちがかつて遊んだゲームが、いつかまた求められるかもしれないですよね。数十年後、若い人たちが昔のゲームを遊んだときにどう感じるかは、とても興味があるんです。

あのゲーム 100年後も遊ばせて!

私はこの記事の執筆時点で30歳。

少年時代の思い出は、ひとりのときも、友達と遊ぶときも、いつもゲームがそこにあった。

大事なことはすべてゲームから教わった。
決して誇張した表現ではない。

何度失敗しても諦めない強さ。
困難を乗り越えたときの達成感。
知恵と工夫で状況を打開したときの興奮。
仲間と協力することの楽しさ。
すべて、ゲームに詰まっていた。

忘れられないゲームのひとつに、ゲームボーイカラーの「さるパンチャー」というソフトがある。
さるを一流のボクサーに育てる、王道の育成シミュレーションゲームだ。

「さるパンチャー」。

正直、あまり有名なゲームではないが、私にとっては、紛れもなく神ゲーだった。
努力は報われるということを、さるパンチャーから教わった。

このゲームが、歴史に埋もれてしまうのはあまりにも惜しい。

出来れば、死ぬまでにもう一度だけ遊びたい。
いつか、自分の子どもにも遊んでみて欲しい。

そんな思いを抱いて、たまにインターネットで画像検索したりプレイ動画を見たりしながら、叶いそうもない移植版の発売を願っている。

100年先の未来に残したいゲーム、あなたにもありませんか?

※科学と文化の分野で長年取材している専門記者が超極私的なこだわりで“推す”究め人の世界。シリーズ「推し研」では、あなたの知らない研究者や表現者たちの情熱と美学、独自の探索世界を紹介していきます。


スペースインベーダー
© TAITO CORPORATION 1978 ALL RIGHTS RESERVED.

ラスタンサーガ(NESiCAxLive)
© TAITO CORPORATION 1987,2014 ALL RIGHTS RESERVED.

GダライアスHD
© TAITO CORPORATION 1986, 2020 ALL RIGHTS RESERVED.

さるパンチャー
© TAITO CORPORATION 2000 ALL RIGHTS RESERVED.

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