NEW2023年02月14日

植田和男氏ってどんな人?(4月7日更新)

政府は7日の閣議で、日銀の新しい総裁に、東京大学名誉教授の植田和男氏を9日付けで任命する人事を決定しました。戦後初の経済学者出身の日銀総裁となるということでも注目されている植田氏。どのような人物なのでしょうか。
※2月14日に公開した記事の内容を更新しました。

日銀総裁の人事といえば日銀出身者と旧大蔵省・財務省出身者の“たすき掛け人事”が長かったと聞いたことがありますが経済学者は初めてなのですね。

そうなんです。海外の中央銀行では、経済学者がトップを務めるケースも珍しくありませんが、戦後、日銀総裁に就いたのはその大半が日銀出身者と旧大蔵省・財務省出身者でした。

今回、日銀総裁に学者が就任することになれば、戦後初めてとなります。

どういう経歴なんですか?

植田氏は1951年生まれの71歳。マクロ経済学や金融論の分野では日本を代表する経済学者の1人です。1974年に東京大学理学部を卒業したあと、経済学部に学士入学し経済学部の大学院で研究活動に取り組みます。

その後、アメリカのマサチューセッツ工科大学の大学院に留学し、博士号を取得。カナダのブリティッシュコロンビア大学の助教授として2年間教べんをとり、日本に戻ってからは大阪大学、東京大学の助教授を務め、1993年に東京大学経済学部の教授となります。

衆議院予算委員会の公聴会(1996年2月)

そして1998年から日銀の審議委員を務めました。

日銀の審議委員って金融政策を決めるメンバーですね。

そうです。日銀の最高意思決定機関である政策委員会のメンバーですね。

植田氏は、1998年に施行された新日銀法に基づく初めての審議委員の1人です。2005年まで7年間、審議委員を務めました。

そこで注目された発言などはあるのですか?

はい。日銀がゼロ金利政策を導入した翌月1999年3月25日の金融政策決定会合ではこんな発言がありました。

「(ゼロ金利政策の)コミットメントの度合いを今少し強く市場に対して発表するという行き方はあるかと思う。景気が本格的に立ち直るまではこれ(ゼロ金利政策)を続けるという方向感でのメッセージで、市場にとって若干驚きがあるようなものを何か入れられるかどうかは検討に値する」

この発言のどこが注目されたのですか?

一定の条件を満たさないかぎり、ゼロ金利政策の解除、つまり利上げはしないと日銀が約束すること、これを検討してはどうかという趣旨の発言ですが、植田氏はその効果として長期金利に低下圧力を加え、金融緩和の効果を高めることができると考えていたんです。

これを「時間軸効果」と言いますが植田氏はこのアイデアの生みの親と言われています。

その「時間軸効果」のアイデアは実行されたのですか?

そのあとすぐに実行されました。

翌月・4月に行われた金融政策決定会合のあと当時の速水総裁が記者会見で「デフレ懸念が払拭されるまではゼロ金利政策を続ける」と表明し、「時間軸効果」のアイデアは日銀のコミットメントとなりました。

当時は「ゼロ金利制約」と呼ばれたように金利がゼロ近辺まで低下する中で金融政策の限界も指摘されていましたが、「時間軸効果」を通じて市場に働きかけることで、金融緩和の効果をより高めていくことができるようになったわけです。

このケースは経済学者ならではの考え方を実際の金融政策に反映させたケースとして知られています。

金融緩和の限界を打破するアイデアを打ち出す。

まさに学者として日銀執行部をサポートしたわけですね。

    (金融政策決定会合2000年1月)

常に執行部と同じ立場で活動していたわけではありません。

植田氏が日銀の審議委員時代に注目されたのはもう1つ、2000年の8月に日銀が、政府の強い反対を押し切る形で決定したゼロ金利政策の解除について、執行部の提案に反対票を投じたことです。

どういう理由で反対したのですか?

このときは「(経済学の理論をもとに)正しい金利の目安を計算するのが1つのあり方だ。まだ大きな需給ギャップが存在する可能性がある。今後(金融政策を)微調整できる局面に入ったと判断するには景気が反転した、あるいは継続的に上昇していく見通しが出るだけでは少し弱いのではないか」などと発言。

「市場が不安定化する可能性は十分にあり、少し待って見届けてもよいのではないか」と述べ拙速な解除に異論を唱えました。

このとき反対したのは政策委員9人のうち2人でしたがこのうち執行部寄りと見られていた植田氏の反対は意外感をもって受け止められました。

少数意見を貫いたこともあったのですね。

そうなんです。その後、実際に景気は悪化し、日銀は解除のタイミングを誤ったと厳しく批判されることになります。

そして日銀は、2001年3月になってそれまでの金利に替わりお金の量を目標にして金融緩和を進めるいわゆる量的緩和に踏み切ることを決めます。

その際にも「時間軸効果」をねらって量的緩和政策を「消費者物価の上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」というコミットメントが加えられました。

ここでも植田氏のアイデアが取り入れられたわけですね。

そうですね。これについて植田氏は、翌月の2001年4月に青森県で行われた懇談会で、「思い切った時間軸を設定した理由は、前回の『デフレ懸念の払拭まで』という時間軸の設定に不透明感がつきまとい、政策効果を減じてしまった面があったという反省である」と述べています。

ゼロ金利政策のときに導入した「時間軸」があいまいだったから解除をめぐって混乱を招いてしまった。

そういう反省でしょうか。

そういう意味も込められていると思います。

このときの懇談会で植田氏は、当時、異例の政策と言われた量的緩和について、「現実の効果が理論で想定されるものとどう同じで、どう違うか、冷静に観察分析していきたい」とも述べています。

理論と実践の両面から政策を検証し、前に進めていく。

そんな姿勢がみてとれます。

日銀の審議委員を務めたあとは再び経済学者として研究活動に取り組んだのですか?

植田氏はその後、東京大学大学院経済学研究科の教授として大学に戻りますが、日銀とは引き続き深い関係を築いてきました。

2008年からは金融理論の基礎研究などを行う日銀の金融研究所の特別顧問を務めています。

また、日銀が開く国際的なシンポジウムにも積極的に参加。海外の学者や中央銀行関係者との関係を築いてきました。

実は、植田氏は1990年から2年間、日銀の金融研究所の客員研究員を務めたほか、1996年から1年間、日銀の調査統計局での勤務経験もあるんです。

学者としての研究活動だけでなく実務の現場での経験も豊富なんですね。

2008年には内閣府の調査会の会長として、日本の成長戦略を描く21世紀版「前川リポート」の取りまとめにあたりました。

そして同じ年には日本政策投資銀行の社外取締役に就任します。

2017年には東京大学の名誉教授となり、共立女子大学国際学部の教授を務めます。

そして2020年に新設されたビジネス学部の学部長も務めています。

このほかネットワーク機器メーカー、メルコホールディングスの社外監査役を務めたほかプラント事業などを手がける日揮ホールディングスの社外取締役も務めました。

民間企業での経験も豊富なんですね。

そうなんです。植田氏の考え方や人物評について市場関係者からは「バランスのとれた人」「中道派」「急がない」「緩和路線維持」といった声が聞こえてきます。

日銀総裁を引き受ける決断をした理由について植田氏は、「誰がやっても難しい厳しい状況だ。それがかえって私にとっては非常にチャレンジングな仕事であると思い、過去の日銀の政策担当の経験、学者での経験を生かして、そのチャレンジングな課題に挑んでみたい」と答えています。

9日に就任する植田氏。

大規模緩和の長期化による副作用への対応や欧米の金融不安がくすぶる中で金融システムの安定を保つことも課題となりますが経済学者出身の日銀総裁がどのような手腕を発揮するのか注目したいですね。