2022年06月24日
(聞き手:梶原龍 芹川美侑)
今は「世界最高齢のアプリ開発者」と呼ばれる若宮正子さん(87)。戦争とそこからの復興、高度経済成長、リーマンショックなど歴史にじかに接してきました。価値観がめまぐるしく変わることを体験した中、行き着いた思いは「いまやりたいことをやる」。
お生まれが1935年ということで、どんな時代だったんですか。
その時代は日本が本格的に戦争に入っていくちょっと前の時代でした。
防空壕を掘るとか屋根に焼い弾が落ちたらバケツリレーをして火を消すなんていう練習をずいぶんしました。
ただ実際に焼い弾が落ちてくれば一刻も早く逃げたほうがいいと分かりましたね。
父に向かって「若宮さーん、戦争始まって良かったですね!」って、日本が戦争を始めたことを大歓迎していた人もおりました。
戦争の受け止め方もやっぱり人によって違うんだなと感じました。
想像がなかなかつきません。
そうですよね、私は小学校では軍国主義の教育で、お父さんは出征、お母さんと子どもは買い出しとかそういうしつけを受けていましたが、2年生の時に学童疎開が始まりました。
長野県に疎開して、最初の頃はごはんがでていましたがそのうちに大根が混ざり葉っぱも混ざってきて、おかゆになりさらに薄くなってきて、飢餓を体験しました。
「9歳でお父さんやお母さんは恋しくなかったの?」ってよく聞かれるんですけど、それよりもおにぎりのほうが恋しかったです。
ウクライナの人の気持ちもほんとに分かるんですよね。とにかく、食べたかった。
戦争、なんですね。
終戦の年の3月25日に父親が急に疎開先に迎えに来て、あまりにも爆撃がひどいので会社も疎開する事になったんだということで、兵庫県の鉱山に行きました。
そこには大きな捕虜収容所があって、イギリスやオーストラリア、アメリカの捕虜がいました。
屋根にPOW「prison of war」(捕虜収容所)って書いてあって、そこには爆撃がありませんでした。
戦争が終わった次の日に捕虜の方たちが楽しそうに歌を歌いながら街の中を歩いていたのを見て、戦争が終わったんだなあ、負けたんだなと思いました。
戦争が終わったときっていうのはどういうふうに…
ちょうどお盆なんですよ8月15日ってね。
駅に「今日は12時から重大放送があるからみんな謹んで聞け」というようなことが貼ってあって。
聞いても、さっぱり分からなかった。
でもこれはいい話じゃないって事は子どもでも分かりましたし、周りには泣いている人もいたんです。
ただその日も汽車は走っていて、お店もやっているし機関士さんも駅員の人も働いているし、みんな自分の仕事をそのまま続けていたっていうのはすごいことだと思いました。
その後、銀行に就職ですか?
ええ、高卒で。
当時女性は結婚するとやめるのが常識で、やめないとご主人が奥さん働かせてみっともないって言われた時代でした。
結婚年齢が24歳ぐらいだったのかしら、大学出てくると22歳過ぎちゃうでしょ。
はい・・・
長い期間働けないからっていうのが表向きの理由。
本音は女が学問をすると生意気になるということだったと思うわ。
当時、就職なんてどこの会社も募集していたわけじゃなくて、とにかく働かせてもらえるってことがすごくありがたいことだと思っていました。
「おいそこの女の子」って言われたって、えり好みはできませんでした。
うーん。
銀行に入られた時っていうのは最初どんな仕事をしていたんですか?
当時は1954年ですから製造業はある程度は機械化が進んでいたんですけど、いわゆるオフィスワークというのは江戸時代とあまり変わらなかったんですよ。
お札は指で数えるし、字を書くときはペン先をインク壺に入れて書いていた。
そこで、私は普通の人並みに進められずいつも遅くなって、会社のお荷物みたいで肩身が狭い思いをしていました。
「まだ終わらないの?」と言われるのがとても苦手でした。
つらかったですね。
でもそのうちに少しずつ機械化が進んできて、そうなると私はあまりお荷物ではなくなったんです。
だってどんなに器用な人だって機械より早くお札を数える人はいないわけですから。
多くの人が職を失うんじゃないかと考える人もいるかと思いますけど、日本も高度成長期に入っていくんですよ。
そうすると業務の拡張で、銀行にも新しい仕事が出てきました。
なるほど。
それからは営業力のある人が評価されました。
私は若い時から何かをいろいろ思いついちゃう癖があるので、業務改善提案とか新商品の提案をせっせと投稿していました。
こういう能力は、昔は余計なことだったわけです。
もっと偉い人がやることで高卒の子なんか出る幕がなかった時代。
余計なお世話だといわれていたんですね。
でも、多分今は現場の意見を聞くことが一般的になってきていると思うんです。
人間の能力に対する評価は時代によってすごく変わるものだなと思いますね。
うんうん。
辞めるころには管理職の端くれにもしていただいて、当時としてできるだけの処遇はしていただいたと感謝しています。
若宮さんに対する評価が時代とともに変わったんですね
振り返るとものすごくいろんな経験をしちゃった87年間だったと思っています。
たまたま家の近くのキリスト教の幼稚園で教育を受けて、小学校に入ったときちょうど戦争の最中で軍国主義の教育になりました。
戦争が終わったら進駐軍が来て、アメリカっぽい教育を受けて。
そのうち社会主義が流行りだして。
そういうもんかなと思っていたらベルリンの壁が壊れるのをテレビで見て、ああ、社会主義もこれで終わりかなと思ったら今度はリーマンショックがあって資本主義も崩れていく。
本当に目まぐるしいです
何か自分の周りを歴史絵巻が通っていくみたいで。
これから先も多分こうなるんですよ。
経済予測なんかいっぱい出ていましたけど、コロナが出てきてみんなひっくり返っちゃいましたしね。
目の前でいろいろな価値観の変化がずっと起こっていましたから、何かにすがる、何かを信じるっていうことは、あまりしないほうがいいっていう気持ちでいっぱいなんです。
確かに突然新型コロナが広がって、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、何が起こるかわかりません。
私たちはそういう変数が多い時代を生きていかなければいけない。
だったら今自分がやりたいことやるのが一番いいんじゃないかと思うんです。
それでまた世の中が変わったら、またチェンジすればいい。
はい。
こういうときに困っちゃうのが、親や祖父母の「親心」による過去の時代の意見ですね。
これからは何がどう起きるか分からないから、お年寄は口を出さないほうがいい。
自分が好きでやった事なら、まあしょうがないと思えます。
だけど、親が「大企業に勤めるのがいい」といったって必ずしもいいかどうかも分からない、役所が安泰かどうかも分からないですよね。
今は日々どういったことをして過ごされているんですか?
本業は「メロウ倶楽部」というインターネットが普及してない頃からやっている高齢者の交流サイトの副会長で、もう30年近くやっています。
それから「ブロードバンドスクール協会」という高齢の方がITリテラシーを高めるためのお手伝いをする仕事で理事もしております。
ほかにも「熱中小学校」という大人もお年寄りも勉強しましょうというところで先生もしています。
たくさん、お仕事しているんですね。
あと政府関係でいくつか、デジタル庁の仕事などもしていますよ。
それ以外だとあちこちで講演会なんかに呼ばれたりしますね。
ITを駆使されていますが、パソコンはいつごろから使われているんですか?
私が買ったのは確か58歳のときだったと思います。
衝動買いだったんです。無駄遣いです。
周りも「そんなお金があったらタンスとかお着物を買ったほうがよかった」と、当時はそのように考えるのが一般的だったと思います。
でもあのたった1つの衝動買いが自分の後半の人生を変えるというのは想像もつかなかったことです。
今は何台くらい持っているんですか?
パソコンは家に仕事に使うのが1つと持ち歩きようのものが1つ、それ以外にMacを1台使っております。
あとはiPhoneも持っておりますし、Apple watchも使っております。
パソコン3台も!
私の祖母も今年82歳になるんですけど、パソコンはおろか携帯電話もガラケーのままです。
タイピングができなかったから諦めたって言う人がずいぶんいます。
でも私も不器用で、いわゆるタッチタイピングというのは出来ないんです。
ただ、元々楽観的な人間なので、タイピングは1本の指だってできるわけですよね。
10本もあるんだから2本や3本動かなかったくらいどうってことないって思っちゃいます。
これからはハッシュタグ型人間の時代だと思うんです。
どういうことですか?
これまでの時代は「フォルダー型人間」でした。
これは帰属意識の強い人って意味で、例えば大企業の○○支社で○○部の営業第○課とか。
でも、そういう大きなフォルダーの中のサブフォルダーの中にいると、定年になるとピンセットでピューンと飛ばされる。
「ハッシュタグ型人間」っていうのは自分の好きなことやれること、上手なこと興味のあることをいっぱい持っている人です。
なぜハッシュタグ型人間の時代なんですか?
だって世の中多様化して、ただでさえ変化している。
フォルダー型人間の場合は、そこから出ていかないから変化に取り残されてしまう。
逆に、人の持っている才能が特定の企業ではいかされてなかったとしても、時代が進めばいかされることもあります。
社会も変わる、勤め先も変わるんだから、自分のあちこちにハッシュタグを付けておけば、自分を見つけてもらえます。
若宮さんのハッシュタグって何がついているんですか?ITですか?。
「おしゃべり」「思い付き」「変な人」です。
若宮さんにとってお仕事とは何ですか?
はい。仕事とは創造することだと思うんです。
硬い頭で考えてきのうと同じ事をやっていたのでは長続きしませんよ。
撮影:本間遥 編集:鈴木有
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