教えて先輩!作家 岸田奈美さん【後編】

“期待”ではなく“希望”をこめて

2022年05月06日
(聞き手:石川将也 田嶋瑞貴)

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「100の文字で済むことを2000字で伝える作家」を自称する岸田奈美さん。しかし、岸田さんのエッセーには「伝えたいことはない」と話します。どういうことなのか、就活生が詳しく聞きました。

伝えたいことは…

学生
田嶋

岸田さんは「100の文字で済むことを2000字で伝える作家」と自称されていますが、あえて2000字で伝える理由はあるんですか?

‌ないですよ。単に長くなるんですよ。書いてたら。

作家
岸田奈美さん

そうなんですか!

でも、それだけで見たら別に面白くない事も、自分の好きなアニメとかドラマとかを思い出して、あれと一緒だ、とか、まるであれみたいだよなとか、そうやって思って書く事は多いですね。

あと関西人なので漫才のノリが好きなのはあります。例えツッコミとかあるじゃないですか。

学生
石川

ご自身の器の大きさを自虐的に刺身の醤油皿に例えたりとか、すごくおもしろいなと思いました。

そういう例えとか、ことばにできないものをことばにするのが好きです。

作家 岸田奈美さん

車いす生活を送る母親やダウン症の弟との日常などをテーマにしたエッセーをユニークな文体でつづる。2020年には世界経済フォーラムが任命する、20歳~33歳までの若きリーダーたちで構成された組織・グローバルシェイパーズに選出。著書に「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」「傘のさし方がわからない」など。

その2000字で一番伝えたいことは何なんですか?

ないですね。私、伝えたいことなんて何もないんですよ。

え?

書きたいことを書いているだけで、これをテーマとして伝えたいと思って書いても伝わらないんですよ。

ことばって無力なので。

最近SNSの炎上が多いですが、伝えたい事があってもそれを読み取れてもらえないパターンもあるじゃないですか。

思っていたのとは違う伝わり方をすることもありますね。

‌砂糖がおいしいって書いたら「塩の気持ちはどうなんですか」とか、「塩を批判しなくてもいいじゃないか」っていう、訳の分からない読み取り方もされるわけで。

人って結局文章を読みたいように読んでるので、自分が見捨てられたと思ったらそれは敵にしか見えなくなっちゃうんですよ。

自分が「伝わるはず」って期待を込めて書いたものが全然違う捉えられ方したらめっちゃしんどいしつらいじゃないですか。

‌確かに。

だから、私は何も伝えたい事は入れないようにして、ただ私が思った事をただひたすらに書くっていう。

ただ、伝えたい事が自分の中から出てくることばだとするとそれはあります。

期待はしないようにしてるけど、希望は持ってます

希望?

祈りというか…。

エッセーを読んで私と同じような苦しみがある人がちょっと元気になってくれたらいいなとか。

良かれと思ってやった事でシバかれる事があるんですけど、その人もどこかで私が言いたかった事を分かってくれたらいいなという希望は持ってます。

メッセージというより、思いを込められているんですね。

呪いを解いていく

ご家族の障害についてエッセーでつづることも多いと思うのですが、希望という意味で読み手に考えてもらいたい事はありますか。

病気で下半身麻痺になり、車いす生活を送っている母親のひろ実さん(中央)と、ダウン症の弟良太さん(右)。エッセーにはふたりとの日常もつづられている。

みんなが幸せになれるように社会が変わってくれたら一番いいですけど、なかなか難しいんですよね。

どうしてですか?

人によって幸せも属性も違うのに「みんな幸せに」ってなったら、そんなもん1つの国や宗教とかでカバーできないじゃないですか。

なので、自分自身で自分の多様性を捉えながら幸せな道を進んで行くしかないと思ってるんです。

はい。

例えば潔癖症の人がいて町をきれいにしてくれって言うじゃないですか。

でも世の中には、汚い状態じゃないと落ち着かない人もいるんですよ。

実はゴミに囲まれている事が幸せなキャラクターって、セサミストリートとかスヌーピーとかいろんなアニメに存在していて、そういう人たちにとっては何してくれてんだってなる訳じゃないですか。

たしかに。

だから私は、この世の中をどうすればよく捉えられるか、私は私なりにこうやって考えて今幸せに思ってますっていう事を確かめるように書く事しかできないんですよね。

ただ、呪いは早く解けた方がいいなと思いますね。

呪い?

呪いって思い込みなんですよ。人の行動とか考えを縛りつけてしまうような思い込み

障がいがあるからもうだめだ」とか「障がいのある家族がいるから私はこれから苦労するんだ」とか、「幸せになっちゃ駄目なんだ」とか。

そういうのを「そうじゃないよね」って打ち消していかないといけないんですよ。

‌思い込みとか決めつけを解くって事ですか?

呪いの反対語って祝いなんですよ。祝福の祝いです。

まず自分で思い込みを取り払うのと、障がいがあるとかないとか関係なく人として存在するだけでいいよねって自分を肯定する

どれだけ祝いを感じ取れる瞬間に自分で気付いていくかとか、自分を祝ってくれるような場所に行くかとかそういう事です。

祝ってくれる場所?

‌生きていくと「私って価値ないのかな」とか「このままじゃ駄目なのかな」ってどんどん呪われるので、そういう時に「そのままでいいよ」とか「生きてていいよ」って言ってくれる人がいる場所です。

私にとっては、家族が「祝ってくれる場所」ですね。

でも、人によっては家族自体がつらいこともあると思うので、祝ってくれる場所が家族じゃない人は別で見つけちゃって全然いいと思います。

‌岸田さんにとっては「祝ってくれる場所」=「家族」なんですね。

呪いを解くためにエッセーが役に立てばと思うことはありますか?

エッセーは、‌自分とは違う見方をしてる人の視点を借りて、想像力というか、選択肢を増やす手段に近いかもしれないですね。

この人みたいに考えてもいいなとか、逆に私よりも最悪の人っているんだなとか、自分の都合のいいように捉えてもらえばいいと思います。

傷つけない文章は存在しない

‌障害について伝えるって難しい面もあると思うのですが、エッセーに書く際に意識していることはありますか?

‌私には想像もできない境遇でつらさや幸せを感じてる人が常にいるっていうのは頭の中に置いています

なので、「何々すべき」とか「これをしたら正解」とか、決めつけるような言葉はできるだけ使わないで、常に余白とかツッコミを入れられるようなボケを入れるようにはしていますね。

‌エッセーを読んで、すごく余白が多いのとカギカッコをうまく使われているなって思ったんですけど、‌そういう意味があったんですね。

‌カギカッコを使うってことは、会話をよく使ってるって事なんですけど、会話の方が人の想像って広がるんですよ。

「おばあちゃんが優しい事言った」って書くのと、「『あんたこれ持って帰り』っておばあちゃんが言った」って書くのと違うじゃないですか。

違いますね!

「あんたこれ持って帰り」っていうのは読み手の経験によって優しい言葉にもなるし、おせっかいな言葉にもなるじゃないですか。

私はそれでいいと思ってるので、ただただ私が見たものをそのまま伝えて、なおかつ私はこれに対してこう思ったって私なりの1つの解を書いておきたいっていうそれぐらいですね。

だから岸田さんのエッセーを読むと、悲観的な気持ちにはならなくて、明るい印象を持てるんですね。

ただ私は、‌傷つけない文章は存在しないし、常に自分の文章は100%人を傷つけてると思っています。

え?

もう1周回って、私が「幸せです」って言うだけでも傷つく人って世の中にいるんですよ。

例えば、抽選でプレゼントを配るとするじゃないですか。

当たるとすごくうれしいけど、同時に当たらなかった人を絶望に突き落とすことでもあるんですよ、考え方としては。

確かに…。

‌それと同じで、どんなにいい文章や行いにも絶対に負の側面というか傷はあるので、私は傷つけないのは無理なんですけど、せめて押し付けないようにはしています。

呪いを生まないようにっていうことに近いんですけど。

そのうえで明るく書いているのは、単純に時間がたったりしてもう笑うしかないっていう、私の中でも笑い話になってるから。

なるほど。

うちの母親が言ってましたけど、本当につらい事は誰にも話せない。

多分私の中にも本当にしんどくてもう暗すぎて誰にも話せない事っていうのはあるけど、それはただただ書いてないだけの話です。

誰にでも天職はある

最後に、岸田さんにとっての「仕事」とは何かを教えて下さい。

「calling」です。

日本語で訳すと天職って意味なんですけど。

と、言いますと。

天職って言われると自分の才能に合ってるとか自分が得意な事って思われがちなんですけど、英語だと「calling」=「天から呼ばれてる」って意味なんです。

友人から教わったんですけど、自分が好きな事とか得意なことや才能が世の中から求められてるって気付いた時に天職になるんですって。

世の中から求められている…。なんか天使の声みたいですね。

天使はスピリチュアルな存在じゃなくって、この世の中にいるたくさんの困ってる人なんです。

で、その人たちの存在とか声にどれだけ気付く事ができるかということ。

これは経験と想像力の話だと思っていて。

経験と想像力…。

多分私は聞こえたんです。

弟と母親に障害があって、障害がある方が今この世の中でどれだけ苦しい思いしてるか、一方で「かわいそうって思われたくない」っていうジレンマが分かる。

で私、父親を亡くしてるので、ひとり親家庭の苦しみみたいなのもちょっと分かるんですよね。

父親の浩二さん(右)。奈美さんが中学生の時に急性心筋梗塞で亡くなった。

私の中にいろんな傷があるからこそ、世の中にはそういう事で迷ってる人とか傷ついてる人もいるんだろうなっていうことが想像できるんですよ。

身近にあるからこそ、ですね。

だったらその人たちにとってどういうことばがあればちょっとでも喜んでもらえるかなとか。

基本自分のために書いてるんですけど、私のためになりつつ、ちょっとでも人を傷つけないようにというか。

つまり、天職を自分が得意で社会から価値がある事って思っちゃうと、その社会の価値って自分の視界によってものすごく狭まるので、自分にとっての価値になっちゃうんですよ。

主観的っていう事ですね。

弟は賃金が安い福祉事務所の仕事に就いていて、それを天職って言えるかどうかなんですけど、私は天職って言えると思うんですよ。

奈美さんが初めて出版する本のためにページ番号を書く良太さん

なぜなら彼はお金を稼ぐことなんて世の中から求められてないんですよ。

この世の中には、重い障害がある彼が地域の中で幸せに楽しそうに生きるっていうだけで喜んでくれる人たちがたくさんいるんですよ。だったら今の暮らしって天職なんですよ。

なるほど。

‌なので私は誰にでも天職はあると思っています。

自分の天職って何か分からなければ世の中の困ってる人の声や姿に気づけるまで知識や経験を積むっていう事が大事なのかもしれないと思います。

‌その追求が足りないから仕事で悩んでる人も多いのかもしれないですね。

ありがとうございました。

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