2019年10月29日
(聞き手:高橋薫 田嶋あいか)
混迷を極めるイギリスのEU離脱「ブレグジット」。解説してくれたのは、この夏までロンドン支局長を務めていた税所玲子さんです。帰国子女で中学までイギリス系の学校で学び、大学院時代にもイギリスに留学していたというイギリス通。そんな税所さんに聞きました。「イギリスはどうなるんですか?」。
イギリスの世論って、どうなっているんですか?
国民はかなりうんざりしています。
もう3年以上ですもんね。最初の国民投票から。
「もういい加減にして」という感じですよね。
離脱か残留か、国民の間でも全く考えが交わらないところまで来てしまっているので、本当に難しい問題だなと。これは世論調査の結果なんですけど。
国民投票は52%対48%でギリギリ離脱が勝ったんだけど、その比率って劇的にはずっと変わっていないんですよね。
ある議員が言っていたんだけど、離脱か残留かは、もう一政策ではなくて、宗教みたいになってしまっていると。
たとえば信仰熱心な人に「神様はいません」と言ってもあまり意味がないですよね。「います」「いません」となって、どちらも譲れないじゃないですか。
そうですよね。
市民同士で普段はすごく仲良くしていても、ブレグジットの話になると、途端に「離脱派」「残留派」に分かれて激しい言い争いになるの。
えー!
そういう現場にたびたび遭遇しましたが、議論がかみ合わず、最後は「うるさい!」と言ってケンカみたいになってしまう。
すごいですね…一般市民もそういう感じなんですね…。
日本にいるとそういう国民の間の空気みたいなものって全然わからないので、びっくりしました。そこまで亀裂が深まっているとは…。なんかもう「生き方」の争い、みたいな感じなのかな。
そうそう、生き方、国のあり方。そこまで大きな話になっている。
会話にも気を使いますね。
そう、下手なこと言えないのよ。議会で取材していて終電がなくなるとタクシーで帰宅したりしていたんですけど、議会のあたりから深夜にタクシーに乗る人って政治関係だって運転手もわかるんですよ。
それで運転手が「政治関係かい?」と聞いてきて「あ、記者なんですけど」とか答えると「じゃあ離脱で忙しいんだ?」って。その瞬間、ピキってちょっと身構える(笑)
怒らせちゃったら怖いですもんね…。
そうそう、面倒くさいでしょう。「外国人ですからニュートラルにしています」とか言っておくんだけど。
そしたら「いやでもさ、議員のやつらは全くなっていないよな」と始まって。「あ、この人、離脱派だ」と。
へえー!それだけでわかるんですね。
私は外国人だから「こんなに大変な思いをしてまで離脱するの?」とか思ってしまったりするのですが、そこは隠さなきゃ、みたいな。気が休まらないよね。
全然関係ない取材で大学の先生に会いに行くときとかも「この人、離脱かな、残留かな」と考えてしまう。
で、言葉尻から予想して自分も言葉を選んだりして。ここまで人を色分けしてしまうような状態になると、たとえ解決しても、すぐにはなかったことにはならないなと。
この離脱問題って世代間でも考え方に大きな隔たりがあって。
どういうことですか?
若い人たちは、生まれたときから当たり前にEUがあって、自由にどこへでも行ける環境で育ってきたでしょう。
「ロンドン大学を出ました」「フランスの大学院でも勉強しました」「その後スペインでキャリアをつけてからドイツの銀行で働いて、箔がついたのでロンドンに戻って…」なんて、自由にそういうことができた。
無限の可能性を感じていたのに、その道が断たれてしまうかもしれない。
そうですよね。
28か国もあるEUのどこの大学でも勉強できる、どこの国でも働けるんですから、EUって若い人からしたら最高の環境なんです。だから若年層は圧倒的に残留派が多いんです。
逆に離脱派は「昔のイギリスに戻りたい」と思っているような年配の人のほうが多くて、世代間の分断も広がっている。
離脱になったら「お年寄りが時計の針を戻すようなことをして私たちの未来を奪った」と感じる若者もいると思います。しこりが残りますよね。
そうですね…。
あと国際結婚も進んでいるから、今まで当然のように行き来できたのにできなくなったらどうするのと。
イギリス人の友達は奥様がドイツ人で、離脱に備えてドイツのパスポートも急遽取ったと言っていました。そうすると永遠にEU市民でいられるので。
制度的に困ることってたくさんあると思うんですけど、「離脱したらこうする」みたいな部分は全く決まっていないんですか?
一応メイさんがまとめた合意案では、これまでどおりの権利を享受できるようにしますと言っているんだけど、その合意案が議会を通らないので、法律にはなっていない。
そうですよね…。
EUの人たちもかわいそうなんですよ。イギリスで働くために移住してきた人たちは、看護師とか飲食業とかイギリス人があまりやりたがらないような仕事を安い賃金でやっていて、病院なんかはそれでもっているようなものなんです。
そういう人たちは何十年もイギリス社会に貢献してきたのに、法律がしっかりできないと安心できないし、何より離脱で社会に居場所がなくなるのではないかと心配しています。
確かに心配ですよね。
だから議会で政争に明け暮れる議員たちは市民の気持ちからかけ離れていると批判されているんですね。
仮に離脱して「やっぱりまたEUに入りたい」ってなったらどうなるんですか?
残留派の中にもそういう考えの人たちがいるんですよ。「一回離脱しないと収集つかないよね。でもやっぱり自分はEU市民でいたいから、再加入に向けた運動をする」と。
でもそれってEUからしたら「どっちやねん!」って感じですよね(笑)
ほんとそう(笑)これだけもめたんだから、もうやめてよという感じだとは思うけど。でも将来、世代が変わって考え方も変わったらあり得ないことではないかもしれない。
また国民投票をやったりするんですかね。
国民投票もね、3年前の国民投票の失敗は「EUから出る?出ない?」というざっくりとした質問をしてしまったことだと思うんです。みんながいろんな解釈、意見を持ったがためにここまで混乱した。
だからもし次やるなら質問の文言をガチガチに固めて誤解のないようにして「イエス・ノー」を問わなきゃいけないと思います。
国の行く末をふわっとした形で、国民に丸投げするのは本当に危険なことなんです。
最初にイギリスに赴任されたときと今では雰囲気は違いますか?
そうですね。2004年の最初の駐在時とは全く別の国みたいです。
市民レベルでも変わってしまったんですね。
この亀裂を修復するのには5年や10年ではなく、一世代かかると言っている人もいました。こうなってしまった以上、一回リセットするためにも何でもいいから、離脱するしかないのかも…。
どんな形であっても一度とにかく離脱する。で、後で法律を作って、事実上この部分はあまり変えないようにしよう、とかそういうこともできるので。
それもありですかね。
いい加減、一回決着させないと。それで次のステージに進んで、乗り越えたよねとならないと、また国がひとつになれないんじゃないかなとも思います。
EU側はどう考えているんですか?
EUだって、たとえばシリア難民の問題とか、解決しないといけない問題は他にもたくさんあるのに離脱問題でこれだけ時間を取られて、かなりうんざりしているとは思いますよ。
そうですよね。
だってEUからすれば、たとえはちょっと悪いですけど、奥さんが離婚したいと言い出して「離婚したいから家を出ていくわよ。でも、お友達が来るときだけはバーベキューさせてね」とか言っているような、そもそも無理な交渉なんですよね。
わかりやすいです(笑)
なんで旦那のほうが歩み寄らなきゃいけないの?っていう。
そうですね…。
あと、イギリスで変な前例を作ってしまうと、仮にほかの加盟国も「これをやってくれないなら出ていく」みたいに言い始めたら収拾つかなくなるじゃないですか。
学級崩壊みたいになってしまうので、甘いことはできないんです。
ここまでぐちゃぐちゃになってしまったブレグジットなんですが、世界にもたらす影響というのはどういったことでしょうか?
まずね、経済的な影響が大きいことは言うまでもないですよね。日本企業も含め、多くの企業が多額の投資をしているのに、いきなりビジネスの条件ががらっと変わってしまうかもしれないという事態。
企業はみんな振り回されて、本当に迷惑を被っていますよね。
そうですよね。
さらにね、そういう目に見える部分もさることながら、イギリスという国に対する信用みたいなものが、失われてしまったのではないかなと思います。
「成熟した国」だというこれまで確立されてきたイメージを自分たちで損ねてしまった。
イギリスの権威みたいなものが失われつつあるということですか?
イギリスだったらもう少しうまくやるんじゃないかとEUも思っていたはずだけど、その予想をはるかに超える混迷ぶりですからね。
信用って築くのにとても時間がかかるけど、失うのはすぐじゃないですか。
それ、わかります。
経済的な損失は頑張れば戻ってくるかもしれないけど、国のたたずまいとかそういうものって失われたらもう戻らないのかもなと。
イギリスが失ったものは目に見えるものだけではないのかなと思います。
そういう視点では見ていなかったです。最後に、抽象的な質問になってしまうんですけど、税所さんから見て「ブレグジット」とはどういうものですか?
うーん、なんか国の姿をね、七転八倒しながらイギリスが、新しい自分たちの姿を探す苦しみというか旅みたいな気がします。
そもそもなぜ国民投票で離脱が勝ったかというと、その背景には移民問題があったけど、もっと深いところには漠然とした不満、緊縮財政とかのしわ寄せで鬱屈した不満がたまっていて、でも政府は自分たちの声を聞いてくれない。
そういう、国に対する根源的な不満から離脱に傾いたとも言われているんです。
へえ~。
やっぱりね、歴史がある国だけに、グローバル化の中で制度にほころびが出てきているところってたくさんあると思うんです。
くすぶっていた不満がずっとあって、それがこのブレグジットをきっかけに、パンドラの箱を開けたみたいに出てきてしまった。イギリスがどこかで必ず通らないといけない道だったのかなと。
そうなんですね。
日本でも多分いろんな問題、手つかずの問題ってあるじゃないですか。
そういうものが何かの拍子に出てきてしまうというのは、ある意味教訓になるのではないかなとも思います。
イギリスは今が頑張り時という感じですか?
そうですね。個人的にはね、イギリスは駐在も長かったし、私にとっては縁の深い国なので「きっとうまくやってくれる」と信じていたんだけど、この騒動でちょっとがっかりもしていて。
でも一方で、ここまで七転八倒して国民同士が言いたくないことも言い合って苦しんだ先に、イギリスならではの答えを見いだして、また次の形を生み出してほしいなとまだ期待しているところもあるんです。
イギリスの底力が問われているような気がしています。どうなるか、もうちょっと見ていてくださいね。
ありがとうございます。
編集:水谷彩乃
ブレグジットのシリーズはこちらからご覧ください