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この春、霞が関やめました

満開の桜のもと、ことしも霞が関の各省庁で入省式が開かれ、多くの新人官僚がキャリアをスタートさせました。一方、そんな季節に、若手官僚からこんな声も届きました。「霞が関、やめました」。いったいなぜ?(霞が関のリアル取材班)

私もかつて官僚でした…

先月から「霞が関のリアル」として、霞が関や官僚の実情をお伝えしたところ、現役の方やその家族から多くの声を寄せて頂きました。

そんななか、私たちは「元官僚」と名乗る人たちが多いことに気付きました。

(30代女性)「内閣府で働いていましたが、辞めました」
(30代男性)「農水省の元キャリア官僚です」
(30代)「外務省で働いていました」

多くが20代、30代という若手たちです。これから霞が関を支えていく世代がどうして辞めたのでしょうか。

『憧れ』の仕事だったけど…

大久保さんからのメール

メールをくれたひとりの元官僚を訪ねました。

大久保絵里さん(仮名・20代)です。

実は大久保さん、この春、霞が関を去る決断をしたばかりです。

「ものすごく悩みました。ずっとやりたかった仕事を手放していいのかと…。でもこれ以上この場所で働こうとは思えなくなってしまった」

官僚は中学生の頃から憧れた仕事だったといいます。

学生時代は、法律や制度を作る場で、多くの人の役に立ちたいと努力を重ね、難関の国家試験を突破。第一志望の官庁に入省したのは、わずか数年前のことでした。

「苦労して手にした官僚の職をどうして…」

こう聞いたところ、彼女が最初に挙げた理由は「長時間勤務」でした。

終わりなき長時間労働

大久保さんが担当したのは国会対応や法改正などの仕事。月の残業は多い時、200時間に及んだといいます。朝5時まで仕事をして一旦帰宅。そのまま午前9時半に出勤する日も。寝坊するのが怖くて、遠く離れた実家の両親にモーニングコールをお願いしたそうです。

資料の修正のために赤ペンは必需品だった

先月掲載した記事『眠らない官僚』でも言及しましたが、国家公務員の勤務は人事院規則による上限はありますが、法的な拘束力はないため、多くの官僚がそれを超えて働いているのが実態です。

今回の取材で話を聞いた霞が関を去った「元官僚」の多くが、同じくこの長時間勤務を理由に挙げていました。働き方改革を主導する霞が関でこんな働き方が続いているのは、やはり違和感があります。

相次ぐ不祥事対応

さらに、大久保さんが挙げたもう1つの理由が役所の不祥事対応でした。

この数年、不祥事が相次ぐ霞が関。大久保さんがいた省庁もその1つでした。追及に荒れる国会の仕事に否応なく巻き込まれます。

「調査などの特命チームが省内に設けられました。不祥事に関係のない職員がたくさん駆り出され、全員が忙しさに耐えているのはとても辛かったです。幹部が国会で謝ったり答弁でなじられたりする姿を後ろから見ていて『将来こういう風にはなりたくない…』と思ってしまった」

周りの先輩は「いつでも相談して」と気遣ってくれたといいますが、その疲弊しきった姿を見ると、声をかけることもはばかられました。

結局、夢だった仕事に見切りをつけて、民間企業に転職を決めました。最後に「未練はありませんか?」と聞くと、大久保さんは少し間を置いてこう答えました。

「霞が関ほど世の中にインパクトを与えられる仕事ができる場はないかと。でもあれほど自分の身を削ってまでやりたいことかというと違うなと…」

毎年の異動が…国じゃなくてもできる!

一方、大久保さんとは違う理由で辞めた人もいました。

教育関係のベンチャー企業に勤めている谷詩織さん(仮名・38)。2年前まで総務省の官僚でした。

辞めた理由を聞くと、谷さんは「外の方が社会貢献できると思ったから!」と明るく即答しました。

情報分野で社会に貢献したいと思っていたという谷さん。

ところが、担当する部署は一貫性なく関係ないところばかり。文書審査の担当になった時は、省内のあらゆる文書を、細かいルールに基づき審査する日々で、どうしてもやりがいを見いだせませんでした。

しかも、毎年のように担当が変わり、専門性を高めることも難しかったといいます。

「人材育成を人事は考えてくれていると思っていたけど、そうでもなかった。人手不足の部署や、年次的にどのポストが妥当かを当てはめているように感じた。自分のキャリアアップが見通せなくて」

関心があった情報系の部署に異動できたのは10年近くたってから。そこで、勉強に励み、新たに資格もとるなど刺激的な日々を送るようになると、次の異動でせっかく蓄えた知識が生かせなくなるのが惜しくなったといいます。

「だったら霞が関にこだわらなくても…」

一念発起して霞が関を飛び出し、いまの会社に転職しました。子どもたちにプログラミング教育を提供したり、自治体でIT人材の育成を支援したりするのが仕事です。

谷さんは「国は確かに法律や予算という大きなものを動かしていますがそこに暮らす人たちの反応が見えづらいんです。今は、子どもの成長を感じられたり、自治体から直接感謝されるので全然違います。正直給料は下がりましたし、仕事も官僚時代よりきついですけど、無力感がなく、つらくないですね」ときっぱりいいました。

霞が関の外にやりがいを見いだした谷さん。その声からは充実感が漂っていました。

昨年度、何人辞めたのか?

実際、霞が関ではどのくらいの若手が辞めているのでしょうか?

人事院に取材すると、そうしたデータはすぐには出せないといいます。
どうしてなのか?

「個別に公表する了解を各省庁から得ていないため」だからだそうです。

取材でわかった5つの省庁の結果です。

昨年度、各省庁で辞めた30代以下の官僚(事務職)は、
▼総務省が14人(男8、女6)
▼国土交通省が8人(男3、女5)
▼厚生労働省が6人(男2、女4)
▼文部科学省が6人(男4、女2)
▼防衛省が2人(男1、女1)

省庁の規模にもよりますが、毎年、総合職の事務職で入省する職員は20人から30人前後。それがこれだけ辞めてしまうのは痛手なのでは?

ある省庁の幹部はこう答えました。

「痛手どころか国家として大きな損失。いずれも採用試験で、10倍以上の倍率をくぐり抜けた優秀な人材。流出が続けば、将来、危ういと思う。霞が関が変わらないと、離職に歯止めがかからないという危機感がある」

また別の幹部はこうも話します。

「以前から辞める人は一定数いたけれど、その理由が変わってきている気がする。政策立案や議論する時間がなく官僚として働く魅力がないと感じている若手が多いのでは」

専門家にも聞いてみました。霞が関や民間の働き方改革に詳しい慶應義塾大学大学院の岩本隆特任教授です。

岩本特任教授によると、若手官僚の離職率はここ数年、増加傾向にあるといいます。

そして、その背景について次のように指摘します。

「調整や資料作成業務などが多く長時間労働の割に業務内容がクリエーティブでない。さらに、今は転職も珍しくなくハードルも高くない。現状にやりがいが見いだせなければ外に出る選択をするのではないでしょうか」

皆さんの体験をお寄せください

今の時代、転職自体は珍しくありません。でも、国の舵取りを担う霞が関で人材が流出しているとすれば事態は深刻だと感じます。

取材すると、各省庁でも様々な対策を講じ始めていました。また、先日記事にしたように、民間から人材を求める動きも加速しています。

皆さんの周りにも、霞が関を辞めた方はいますか?その具体的な理由は何でしょうか。もちろん今回取り上げたものとは違う理由もあると思います。さらに、一般職や専門職の方の話も知りたく思います。

情報やご意見は、下記のサイトにお寄せください。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/

社会部記者 荒川真帆
社会部記者 松尾恵輔
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