追跡 記者のノートから父親の遺体と6年暮らした 息子が語ったのは…

2021年9月16日事件 社会

事件の発覚から半年ほどがたった、ことし6月。

私は少し緊張しながら、現場の一軒家の前に立っていた。

テレビの音が外にも漏れ伝わってくる。

どうやら在宅のようだ。

おそるおそるインターホンを押すと、Tシャツ姿の息子が出てきた。
    
高齢の父親の遺体を6年間自宅に放置した罪などに問われ、執行猶予付きの有罪判決を受けた息子に初めて会った瞬間だった。

(金沢放送局 竹村雅志)

父親の遺体を放置していた家で

薄暗く、ほこりが舞う玄関先。

「裁判を取材していて、あなたにも気の毒な事情があったのではないかと思いました。話を聞かせていただけませんか」

私は突然の訪問の趣旨を伝えた。

55歳の息子は少し驚いたような様子だったが、しばらく話を続けると「まあ、汚いですが」と言い招き入れてくれた。

息子の部屋

彼は1人暮らしで、部屋には衣類が散乱し、布団も敷きっぱなし。

台所には食器類が積み上がっている。

ふと部屋の隅を見たとき、あるものが目にとまった。

そこにはほこりをかぶった黒電話と2つの「骨壺」が置かれていた。

1つは、彼が遺体を放置していた父親のもの。

もう1つは長期入院の末に亡くなった母親のものだと、骨壺を手に持ちながら説明してくれた。

彼はこう話した。

「お父さんが病院で亡くなって、葬儀会社の人が来て、遺体を病院から一緒に家に運んで。(葬儀会社には)そのまま『帰ります』と言われました。

遺体を放置してしまったけれども反省をしている。寂しい気持ちだったし、怖かったのもある」

なぜ遺体を?

去年12月、彼は父親の遺体を6年間、金沢市内の自宅に放置したとして逮捕された。

警察への取材によると、事件は親戚が自宅を訪ねてきたことで発覚した。

遺体が放置されていた部屋の戸は閉め切られ、周りには臭いを消すための芳香剤があったという。

親戚は父親の遺体を見つけ、自首するよう彼を説得した。

発覚までの間、父親の年金を総額で500万円以上、受け取っていたこともわかった。

その後の裁判では、彼が2歳で知的障害と診断され、5歳で施設に預けられたあと、自立に必要な技能などを学びながら成人前まで過ごしたことが明らかにされた。

廷内スケッチ

施設を出たあとは両親との生活を始め、逮捕される前は印刷会社の工場に勤務し軽作業をしていたという。

母親は難病を患い、事件の前から長年入院生活を続けていた。

捜査段階で彼は遺体を放置した動機について「年金を止められると困ると思った」と供述したとされる。

裁判で検察は、スマートフォンで葬儀会社を検索したものの、代金が高いと感じたために葬儀を行わず、死亡届も出さなかったと説明した。

不正に受け取った年金の一部は遊興費に使っていた。

裁判長は「死亡届を出さなかったことは安易で身勝手だが、軽度の知的障害が犯行に影響を与えたことは否定しがたい」などと指摘。

執行猶予が付いた有罪判決を言い渡した。     

私は裁判を傍聴したが、彼は法廷でどこか遠くを見つめているような様子だった。

裁判官の質問と彼の答えがかみ合っていないと感じられる場面もたびたびあった。

裁判官

死亡届を出すなどの手続きをしなかった本当の動機はなんですか?

お金を返すべきだったと思います。

息子

事件の「動機」を確認しようとする裁判官に、彼は「反省の弁」をただ繰り返した。

裁判官

年金が止められるから手続きしなかったと供述していますが、そういう気持ちだった?

あのときは娯楽とかに使いすぎました。反省しています。

息子

意図が伝わらないと感じたのか、裁判官が質問を途中で切り上げることもあった。

父親の遺体を遺棄した罪などに問われた息子。

裁判で罪に問うことだけで、事件は“解決した”と言えるのか。

傍聴を終えた私は直接話を聞きたいと思い、自宅を訪ねようと考えたのだった。

息子が語ったことは

遺体が放置されていた部屋に入れてもらった。
 
1階の畳の部屋には、そこだけ色が違う不自然な「畳のカバー」が敷かれていた。

彼は病院から運ばれてきた父親の遺体を隠すことはせず、6年間布団の上に寝かせたままにしていたという。

もしかしてここに・・・。

おそるおそる質問すると、彼は一瞬ためらう様子だったが、カバーをめくって見せてくれた。

その畳は黒ずんでいた。

生々しい痕跡に、鳥肌が立った。

記者

(死亡届など)手続きのことはご存じでしたか?

ちょっと教えてもらえなかったかな。

息子
記者

頼れる人がいればお葬式とかしましたか?

まあそれもあったし、あの時ちょっとお金もなかったので。

息子
記者

相談できる人はいなかったんですか?

はい。

息子
記者

もし相談できる人がいたらどうしていましたか?

ちょっとあの時はどうなっていたかなあ。だいぶ前の話だし覚えていない。

息子

誰かが気づけなかったのか

私はその語り口から、どこか自分の犯した罪を認識出来ていないような気がした。

そして「誰かが気づけなかったのか。誰かに頼れなかったのか」という思いを強くした。

彼の話などによると、生前の父親は宗教を熱心に信じていた。

宗教の行事への参加はあったが、近所づきあいという意味での交流は皆無だった。

私も近所で取材をしたが、住民の反応は薄かった。

ある住民は「回覧板も止まってしまうので、あの家だけはスキップしていた」と話していた。

彼の話などによると、父親は親戚とも疎遠だったという。

今回の取材では、息子の少年時代を知る人物からも話を聞くことができた。
彼が成人前まで過ごした施設の元職員、田村和義さんだ。

田村さんは事件を知って驚き、勾留されていた警察署にも接見に出向いていた。

裁判も傍聴していて、「彼が意図的に事件を起こしたとは思えない」と話した。

田村和義さん

田村さん
「話していて素直な印象は昔と変わっていません。裁判は年金をだまし取ったとか、そのために遺体を放置したという内容でしたけど、自分でそういうことを理解してやっているのかというとちょっと疑問です。

お父さんが病院から運ばれて、1人だったわけですから、そこでお葬式をしようとか手続きをすることができなかったんじゃないかと」

「知的障害がある人が1人で全部やろうとするとかなり難しいと思いますよ。誰に聞くこともできないし、相談する相手もいなかったのかなと思う。

誰かがちょっとサポートしてあげれば、地域とか行政とか、誰かが彼の状況に気づいてあげられれば、こういうことは起こらなかったんじゃないか」

田村さんが、悔やむように話す姿が印象に残った。

彼は笑顔を見せた

今回の取材には田村さんも同席してもらった。

田村さんの前では、彼はまるで少年時代に戻ったかのように、時折無邪気な笑顔を見せていた。

田村さんも指摘するが、外から見ただけでは、彼が軽度の知的障害だとはわからない。

父親が入院してからも、亡くなってからも、1人で生活を続けていた。

周囲の人が事件に全く気づかなかったとしても無理はないとも思う。

ただそれは「見えにくかった」だけで、周囲の誰にも頼ることができない孤立した状況に置かれていたのではないか。

同じようなことは私の周りでも、知らないうちに起きているのだろうと感じた。

彼は、以前仕事をしていた同じ工場で働くことができるようになり、田村さんのサポートを受けながら今後も1人で暮らしていこうとしている。

田村さん

前の仕事に戻って、お給料はもらったの?

この前の金曜日にちょっとだけもらいました。

息子
田村さん

それは良かったね。これからは真面目に生活するんだぞ。がんばって仕事して、無駄使いしないで、何かあったらすぐ電話しろよ。

ひとりでできないことがたくさんあるんだから、遠慮しないで相談しなよ。

田村さんが声をかけると、彼はうなずいていた。

支援につながる仕組みづくりを

「障害が軽度の人の場合、自治体の支援や地域の目が届かないケースがある」

そう指摘するのは、障害者福祉に詳しい大阪健康福祉短期大学の小田 史教授だ。

小田教授

小田教授
「たとえ働いている人であっても『働けているから良い』ではなく、誰にも相談できない状況になっている可能性があり、『大丈夫?』と継続的に声をかけることが重要だ。

水面下にどれくらい大変な家庭があるのか、行政が当事者のニーズをくみ取る調査を行うなど、支援につなげる仕組みづくりを考える必要があるのではないか」

取材後記

彼が犯した罪のすべてが軽度の知的障害に起因するわけではもちろんない。

ただ誰かが適切なタイミングで支えていれば、事件を起こさずに済んだのではないか。

周囲の人の支えを受けながら、今後の人生を送って欲しい。

取材を通してそう思わずにはいられなかった。

気づかれにくい障害がある人たちに、行政や地域のサポートをどうすれば適切に届けられるのか。

今後も取材を続けていきたい。

  • 金沢放送局記者 竹村雅志 2019年NHK入局
    野球で培った体力で、粘り強くアプローチする取材が身上