「象徴天皇」の在り方 求め続けられて…

天皇陛下は、今の憲法のもとで初めて即位し、以来、象徴として望ましい天皇の在り方を求め続けられてきました。

平成元年の即位にあたっての記者会見では、「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたい」としたうえで、「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」と述べられました。

平成3年、長崎の雲仙・普賢岳の噴火災害では、そうした天皇陛下の考えが目に見える形で示されました。皇后さまと共に被災地を訪れ、避難所の板張りの床にひざをついて、被災者一人一人に同じ目の高さで話しかけられたのです。その後も、阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大規模な災害が起きるたびに被災地を訪れ、被災した人たちに心を寄せられてきました。また、障害者や高齢者の施設を訪れるなど、社会で弱い立場にある人たちに寄り添われてきました。

こうした活動について、天皇陛下は、平成11年、即位10年に際しての記者会見で、「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べられました。そして、のちに、「天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます」と話されました。

こうした務めについて、天皇陛下は「戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています」と述べられていました。天皇陛下は「昔に比べ、公務の量が非常に増加していることは事実です」としながらも、「国と国民のために尽くすことが天皇の務めである」として、数多くの公務を一つ一つ大切に務められてきました。

天皇陛下の活動

天皇陛下の活動について、過去の政府は、憲法で定められた「国事行為」と、象徴としての立場に基づく「公的行為」、「その他の行為」の大きく3つに分けられるという見解を示してきました。

このうち、天皇の「国事行為」には、内閣総理大臣の任命や法律などの公布、国会の召集、それに、勲章の授与などがあります。また、皇居・宮殿で数多くの儀式に臨むほか、政府から送られてくる年間およそ1000件に及ぶ書類に署名や押印をされているということです。数十件の書類に目を通さなければならない日もあり、夕食後の時間帯や休日を使って執務にあたられることもあります。

一方、象徴としての立場に基づく「公的行為」には、国会の開会式でのお言葉や被災地のお見舞い、外国公式訪問、それに、全国規模の式典や行事への出席などが挙げられています。そして、これらの活動を除く宮中祭祀などは、「国事行為」と「公的行為」のいずれにもあたらない「その他の行為」に分類されています。

天皇陛下の公務は、昭和天皇の時代と比べ大幅に増えていて、去年1年間の都内や地方へのお出かけは75回に上り、各界の功労者との拝謁など宮殿やお住まいで人と会われる公務も270回余りを数えました。