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「超多国籍都市・トーキョー」東京23区の外国人データはネットワーク報道部・伊賀亮人記者 斉藤一成テクニカルディレクター 國仲真一郎記者 三宅明香ディレクター

東京都・新宿区。新大久保のコリアンタウンや日本語学校も多くあり、 東京でもっともたくさんの外国人が住む区は、今や住民の8人の1人が外国人となっている。
ところが取材中に聞いたのは次のようなことば。
「近所にそんなに多くの外国人が住んでいるって知らなかった!」
確かに自宅の周りにどのような国籍の人が どれくらい住んでいるのかを把握している人は少ないのではないだろうか。
そこで実際に東京23区の外国人住民について調べてみた。 そこから見えてきたのは想像以上に多国籍化した東京の今だった。

9割超の国の人が集まる街

東京23区にはことし1月時点で約46万5000人の外国人住民が住んでいる。
これは日本に住む外国人の19%程度にあたる。

今回は東京都が公表している、各区に住む外国人を国籍別にまとめたデータを分析した。

23区在住の外国人 国・地域別人数マップ

東京都「区市町村、国籍・地域別外国人人口」を基に作成 データは2019年1月1日時点
※オープンデータ「Natural Earth」を利用したため、紛争中の国などが表示されない

色が塗られた場所はその国・地域の人が23区に住んでいるところだ。
人数ごとに色を分けて表示していて、濃い国・地域ほど多くの人が23区に住んでいることを示す。
なんと全世界196の国と地域(日本を除く)のうち9割を超える約180の国と地域の人が住んでいるのだ。
住んでいない国籍は、サンマリノ・赤道ギニア・セントビンセント・キリバスなどいくつかの国のみ。
地図で見ると、ほぼ世界中を網羅していて、極めて多国籍な都市だったのだ。

意外な国籍の人が急増?

※右にスライドすると任意の年のデータが表示

23区 国籍別住民数推移

東京都「区市町村、国籍・地域別外国人人口」を基に作成
都の集計方法により、2016年までは「中国」には台湾籍の人も、「韓国」には朝鮮籍の人も含まれた数値になっている

国籍別に多いのは、圧倒的に中国が1位で次に2位が韓国だが、ここ数年、ベトナム人が増え3位に入るなどの変化も見える。

さらにこれをこの10年間の増加率で見ると意外な感じもしてくる。

23区 国籍別住民増加率ランキング TOP20

住民数が50人より少ない国は除く 2010年を100とした2019年の増加率

1位のベトナムに続き、2位にブータン、そしてウズベキスタンやネパールなどとなっているのだ。

多国籍化が進む区は?

それでは23区それぞれの状況はどうだろうか。
今度は区内に住む人の国籍数を地図としてまとめてみた。

23区別 “多国籍度”マップ

地形データは国土数値情報の「行政区域」を基に作成
地図上をスクロール、スマホはタップすると区ごとに国籍数が表示

最も多いのは港区と世田谷区の137の国と地域で、最も少ない千代田区でも71の国・地域。いかに世界中の人が東京23区に集まっているか改めて驚かされるのではないだろうか。

まるで“アラカワスタン”?

それでは各区では何が起きているのだろうか。
まず注目したのが増加率3位のウズベキスタン人。中でも今、ウズベキスタン人が急増しているのが荒川区だ。

荒川区国籍別住民数 ランキング TOP20

荒川とウズベキスタン。
そのつながりの一端がうかがえる場所があると聞いて訪ねたのは、西日暮里の谷中銀座だ。
昔ながらの商店街に何が?と思いながら歩いていると、突如として現れたのはこの場所に不釣り合いとさえ感じる異国情緒満載のレストラン。

口コミでコミュニティー形成か

オーナーのアリさんはイラン出身。イラン料理やトルコ料理とともに、20年近く前からウズベキスタン人のアルバイトを雇ったことをきっかけにウズベキスタン料理を提供するようになった。 当初はほとんどオーダーがなかったというが、ウズベキスタン人住民の増加とともに徐々に口コミでも広まり人気が出てきたという。 今では多い日には30人ほどのウズベキスタン人が、ふるさとの味を求めてやってくる。

その1人、ジュラバエフ・ジャスルベックさん(26)は、去年4月に来日。荒川区内に住みながら、高田馬場にある日本語学校で日本語を学んでいる。

ジュラバエフさんによると、荒川区に住むウズベキスタン人の多くが、自身と同じように日本語学校に通う20代から30代前半の男性とのこと。
先に留学した先輩からの情報で住み始めるという人が多いそうだ。
荒川区の家賃の安さや、日本語学校が多くある高田馬場や秋葉原に通いやすいという利便性がメリット。
同郷の人が多く住むという安心感から知らず知らずのうちに集まってきているという。

妻、そして2歳と5歳の男の子を故郷に残して単身で留学しているジュラバエフさん。毎日のようにネットで通話するが「やっぱり1人はさみしい」とぼつり。
それでも日本語学校を卒業したあとは、IT関連の知識や技術を身につけて帰国したいと話し「日本に留学するチャンスをくれた家族の生活を助けたいし、日本のテクノロジーを活用して社会の発展に役立ちたい」と語ってくれた。

“リトル・エチオピア”葛飾区

都内に広がる「リトルタウン」は荒川区だけにとどまらない。
たとえば、ここもまた下町情緒の色濃い葛飾区で増加しているのがアフリカ東部・エチオピアの人たちだ。
ことし1月の時点でその人数は83人。23区内に住むエチオピア人の半数余りが集まっている。

葛飾区国籍別住民数 ランキング TOP20

この15年で実に4倍近くに増加しているが、コミュニティーの歴史そのものは30年ほどになるそうだ。
来日36年、在日エチオピア人の支援を行うNPO法人の理事長、アベベ・ゼウゲさん(58)によると、直接のきっかけは1991年、エチオピアで社会主義政権が崩壊したことだったという。

「日本に留学していたエチオピア人学生は、政府が崩壊して奨学金を打ち切られ困った。そのとき葛飾区の四つ木地区にあったアパートの大家さんが受け入れてくれて、そこに多くの学生が集まった」

エチオピアではその後も政治の混乱で多くの人たちが国を追われることになった。
最近では2005年に行われた総選挙のあと、不正があったと抗議する野党支持者と当局との間での衝突が広がり多くの人が国外に逃れた。
彼らは欧米など世界各国に散らばり、その一部が仲間を頼って葛飾区に集まってきたのだという。
さらに都内の大学で通う留学生も増加。彼らもまた同郷の人が多い安心感から葛飾に集い、まるで「リトル・エチオピア」のようなコミュニティーができたという。

「エチオピア語は難しい!」

そんなエチオピア人たちが集まる新年会が開かれると聞き、取材に訪れた。

会場には総勢100人を超えるエチオピア人や地域の人たちが集まっていた。手作りのエチオピア料理を食べながら、エチオピア出身の人気歌手の曲に合わせて踊っていた。

大人たちは地元の町工場や商店街で働く。
子どもたちの多くは日本で生まれ育ちエチオピアを訪れたこともない。
「アムハラ語(エチオピアの言語)ってチョー難しいんだよ、文字なんてぜんぜん読めないもん!」と日本語で話してくれる女の子もいた。

街に溶け込み地域の一員として暮らすエチオピアから来た人たち。しかし、不安定な立場に置かれている人も少なくないと、ゼウゲさんは話してくれた。

「日本で難民申請をして10年以上経つという人もいる。弾圧を逃れた人たちは国に帰ることはできない。それなのに、申請がいつ認められるのかも分からない、強制的にエチオピアに送り返されるのではないか、そんな不安を毎日抱えながら過ごしている」

新大久保のコリアンタウンが縮小?の謎

新たなコミュニティーができている中で意外なデータもある。
東京の「リトルタウン」でもっとも有名と言える、新大久保のコリアンタウンが縮小しているとも見える数字があるのだ。
それは新大久保のある新宿区の国籍別人口だ。

2010年には1万4000人いた韓国・朝鮮籍の人が、今では1万人と、年々減少が続き10年間で3割近くも減っているのだ。

しかし、実際に新大久保を訪れるとかつてないほど活気があふれているように見える。
平日にもかかわらず電車を降りる人で混雑し駅の外に出るのに苦労するときさえある。

ではなぜ韓国・朝鮮籍の人たちが減っているのか。
話を聞いたのは新大久保で飲食店やグッズショップを経営する人たちでつくる「新宿韓国商人連合会」の事務総長の鄭宰旭さん。
鄭さんによるとまずきっかけとなったのは2011年の東日本大震災だったという。
さらに2012年以降、日韓関係が冷え込む中、新大久保ではヘイトスピーチのデモが相次ぐようになった。
こうした中で災害や差別を避けたいと、1990年代に来日して店を開いた店主や、留学生が多く帰国したのだという。
実際、韓国・朝鮮籍の住民は2011年からの1年間で大幅に減少。その後も2016年にかけて減少が続いている。

新宿区の韓国・朝鮮籍の人口 推移

「店の数は4割も減り客足も最も多い時と比べて2割余りにまでになりました。『怖い街』というイメージも広がって人が来なくなったんです。本当に寂しい状況でした」(鄭さん)

そこで立ち上がったのが鄭さんたち新大久保で商店を経営する人たちだ。
2014年に「新宿韓国商人連合会」を設立。
無料のシャトルバスの運行を始めたほか、韓流の映画祭などのイベントも開催した。
こうした努力に加えて日韓関係の改善も後押しして客足が戻ってきた中、街のにぎわいを一気に取り戻したのがチーズタッカルビ・ブームだ。

「ブームの影響は街そのものが変わるくらい大きかったです。客層も以前は韓流ブームの影響で50〜60代が中心ですが、今やすっかり若くなり10〜20代が中心になりました」(鄭さん)

その後も「ハットグ」などのヒットが続いたほか、韓国の化粧品も人気を集めていて、今、かつてないほど活性化しているのだ。

街にはさらに変化も起きている。
韓国・朝鮮籍の人が減ったところにネパールやベトナムの人たちが経営する店が増えているのだ。

新宿区国籍別住民数 ランキングTOP20

こちらは新宿区の外国人住民の国籍別ランキングだ。新大久保の住民だけではないが、多国籍化が急速に進んでいることがうかがえる。
実際、新大久保を訪れると、韓国料理の店でも東南アジアや南アジア系とみられる従業員の姿も見かける。

あなたの街の今、どうなっていますか?

新宿韓国商人連合会の鄭さんは次のように話してくれた。
「コリアンタウンというよりアジア各国の料理を楽しめる非常に面白い街になってきていると思います。 私たち韓国人が経験してきたことを先輩としてほかの国の人にも教えながら日本社会での多文化共生のモデルケースをつくっていきたいと考えています」

多国籍都市、東京の今。取材から見えてきたのは、私たちの想像以上に各国の人たちが地域に根を生やし溶け込んで暮らす姿だった。

23区別国籍別住民数ランキングTOP20

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