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外国人受け入れの先進事例に学ぶ フランス「平等の原則」の影で国際部・田村銀河記者

外国人労働者の受け入れ拡大に舵を切った日本が今後、どういう課題に直面するかを、 外国人労働者を多く受け入れてきた先進国の事例からシリーズで探るコラム。
第2回は人口の9%を移民が占めるフランスを取り上げる。

テロで注目されたフランスのひずみ

2015年、フランスは相次いでテロに見舞われた。1月にはパリ中心部の新聞社「シャルリ・エブド」や食料品店が襲撃され、合わせて17人が犠牲となったほか、同年11月には、パリ中心部のコンサートホールやレストランなどが襲われ、130人が犠牲になった。

一連の事件をきっかけに注目されたのがフランスの移民社会だ。実行犯のルーツやアジトは移民が多く暮らすパリ郊外の地域にあった。

フランスが「フランス国民」として掲げる価値観と、イスラム系移民が向き合う現実。事件をきっかけに、その間に横たわる深く、暗い溝がスポットライトにさらされた。

出生地主義で多様なルーツ

フランスでは、EU域外出身の外国人が3か月以上滞在する場合、入国時に「滞在許可証」の取得が義務づけられる。働くためにはさらに就労ビザの取得が必要だ。

一方、企業の社員のほか、投資家や起業家などには「滞在許可証」を兼ねた特殊なビザを発給し、高度な知識のある専門性の高い人材には、積極的に門戸を開いている。

移民がフランスの人口に占める割合は9%ほどだが、その数字以上に社会を構成する人々のルーツは多様だ。 そのからくりはフランスの出生地主義にある。 フランスで生まれた移民の子どもには、国内に5年以上住むなどの条件をクリアすれば、成人時にフランス国籍が自動的に付与されるのだ。

ムスリム人口はEU最大に

移民人口の内訳では、全体の3分の1はポルトガルやイタリアなどヨーロッパ圏から来ているのに対し、約半分の44%ほどはアフリカ圏の出身が占める。

なかでもアルジェリア(全体の13%)やモロッコ(同12%)などかつてフランスの植民地だった北アフリカ諸国の出身者が多い。 1962年までフランス領だったアルジェリアからは多くの労働者がフランスに渡り、フランスの戦後復興を支えた。 また、毎年2万人ほどの難民を受け入れていて、シリアなどからの難民も多く含まれる。

フランスにおけるイスラム教徒の人口は570万人とも推計されていて、EU加盟国の間で最も多くなっている。

「ライシテ」=世俗主義

宗教の異なる移民をフランス社会に統合するための政策として、フランスが適用してきたのが「ライシテ(laïcité)」だ。
1905年の「政教分離法」が元となっていて、いかなる宗教も優遇せず、公共の場に持ち込ませない代わりに、信仰の自由などの権利を平等に保障するという原則だ。

フランスの移民の受け入れは、移民がこうした原則を受け入れ、フランス語の習得に励み、フランスの価値観を理解した「フランス国民」となることを前提としてきた。 しかし、イスラム教徒にとっては、この「ライシテ」の原則が馴染まない部分も多かった。

象徴的なのが公立学校でのスカーフの着用だ。 十字架のペンダントが持ち込めないのと同様に、イスラム教徒の女性がかぶるスカーフの着用も禁止すべきだという論争がとりわけ2000年代に拡大し、イスラム教徒との摩擦が表面化した。当時のサルコジ政権は2010年、着用に罰金刑を科す「ブルカ禁止法」を成立させている。

さらに、格差の問題も顕在化している。景気が悪化するなかで移民の失業率は2割近くと、フランス人の約2倍となっているのだ。

2005年、北アフリカ出身の移民の少年ら2人がパリ郊外で警察に追われ、変電所に逃げ込んで感電死する事故が起きると移民社会の不満は爆発した。 フランス各地で暴動が起き、路上で車が焼かれ、フランス政府は「非常事態宣言」を発表。移民社会との断絶を印象づける結果となった。

“統合”の理想と現実

フランス政府は「ライシテ」の原則のもと、特定の集団を優遇するような政策に前向きではなかった。しかし、これまでの統合政策に「同化の押しつけだ」という批判も上がる中で、対応に一部変化も見られる。

政府はイスラム系住民との橋渡しとしてフランス・イスラム教評議会(CFCM)を設立し、宗教指導者との話し合いの場を設けてきた。また、今年に入ってからは、移民の子どもなどのフランス語習得を支援するため、義務教育の開始年齢を6歳から3歳にまで引き下げることを決めている。

フランスの事例が示すのは“統合”の名の下に既存の社会の価値観を移民に当てはめることの限界だ。国内のムスリム人口の割合はなおも増えることが推計されているなか、フランスは理想と現実のはざまで、今なお模索を続けている。