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外国人受け入れの先進事例に学ぶ 移民の「統合」目指すドイツ国際部・山口芳記者

外国人労働者の受け入れ拡大に舵を切った日本。
海外に目を向けると、外国人労働者を多く受け入れてきた先進国では、共生の進め方をめぐる課題が浮き彫りになるほか、移民の排斥を掲げる勢力が台頭するといった状況が生じている。
その現状からは、今後、日本がどういう課題に直面するのかをうかがい知ることができるのではないだろうか。
そこで、各国の歴史や政策をシリーズでまとめる。第1回はドイツを取り上げる。

移民の“統合”目指すドイツ

外国からの労働者を積極的に受け入れてきたドイツ。
移民やその子孫の数は1930万人にのぼり、人口の2割を超える。

ドイツはEU加盟国なので、EU各国の出身者はドイツでも自由に働くことができる。
一方、EU域外の人の場合、単純労働者だと長期滞在や定住は厳しく制限される。
ただ、高度な知識や専門的な技能をもつ人材についてはドイツ政府も近年、受け入れを加速させていて、例えば、科学者や医師、エンジニアなどには定住の道も開かれている。

特筆すべきなのはドイツの言葉や歴史などを学ぶプログラムを義務づけ、社会に適応できるよう力を入れていることだ。背景には過去の苦い経験がある。

当初は出稼ぎ労働者

外国人労働者の受け入れの始まりは1950年代。
戦後復興に伴う労働力不足が理由だった。
最も多かったのはトルコ人。担ったのはドイツ人が嫌がる道路建設や石炭採掘などの仕事だ。

「ガストアルバイター(客人の労働者)」と呼ばれた彼らは、あくまで短期間の滞在を前提とした“出稼ぎ労働者”という位置づけだった。
しかし、せっかく仕事に慣れた人材を決められた期間で辞めさせるのはコストがかかるとして、雇う側も難色を示すようになった。
働く側も母国から家族をドイツに呼び寄せて定住を選ぶ動きが広がった。

それでもドイツの歴代政権は「ドイツは移民国家ではない」との認識を崩さず、それゆえに移民の受け入れに関する政策は後手に回った。
結果、第2世代、第3世代になってもドイツ語が話せず、社会になじめないトルコ系の住民が独自のコミュニティーを形成。
こうした状態が次第に問題視されていったのだった。

外国人の子どもでもドイツ国籍

1990年の東西ドイツ統一も転機の1つとなった。
経済状況が悪化するなか外国人への暴力事件が頻発するようになり、社会全体として外国人の存在に目を向け向き合っていく必要に迫られるようになっていた。

まず“ドイツ人”の定義が変わった。
2000年、「血統主義」だった国籍法が改正され、国内で生まれた外国人の子どもに対してもドイツ国籍が付与される「出生地主義」が加わったのだ。

さらに、2005年には「移民法」が新たに成立。
ドイツ語が苦手な外国人にはドイツ語を600時間学習することが義務づけられ、ドイツの法律や歴史、民主主義の価値観なども学ぶことになった。

サッカードイツ代表選手の訴え

去年7月、サッカードイツ代表の司令塔だったメスト・エジル選手が突然、代表を引退したことはドイツ社会の課題をあぶりだした。
「勝てばドイツ人だが、負ければ移民だ-」
エジル選手はトルコ系移民であることを理由に差別的な扱いを受けたと主張。
これをきっかけに、移民のルーツをもつ人たちがSNSに差別を受けた経験を相次いで投稿したのだ。

移民や難民の排斥を掲げる勢力の存在感も増している。
右派政党「ドイツのための選択肢」は2017年の連邦議会選挙で第3党に躍進し、昨秋にはドイツにある16すべての州で議席を獲得した。

深刻な人手不足に直面しているドイツはいま、さらに間口を広げてEU域外からの労働者を受け入れようとしている。
しかし、それによって社会の不安や反発が強まれば、反対勢力がいっそう支持を広げることにもつながりかねない。
外国人労働者の受け入れ拡大は寛容だとされてきたドイツでも、政治的なリスクと背中合わせとなっている。