
ロシアによる攻撃で、亡くなる人、腕や足を切断した人、そして、家族を失い涙を流す人。
東部の防衛拠点の町で記者を続けるウクライナ人男性は、目の前で起きていることを、発信し続けています。
(国際部記者 近藤由香利)
話を聞かせてもらったのは?
ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルシクで、地元メディア「クラマトルシク・ポスト」の記者をしている、オレクシー・ラディカさん(37)です。

クラマトルシクは、激しい攻撃が続くウクライナ東部ドネツク州の中でも、重要な拠点。ロシア軍は何度も制圧を試みてきました。
ラディカさんは、4月からほかの記者2人と拠点を西部イワノ・フランキウシク州に移し、交代でクラマトルシクに戻り、現地の取材を続けています。
軍事侵攻が始まってから町はどう変化しましたか?
2022年の2月から「戦争が起きるのではないか」と予感している人たちが多くなり、緊張感が高まっていました。
2月24日にロシア軍による侵攻が始まった直後1週間から2週間ほどは、首都キーウや東部ハルキウ州などでは攻撃がありましたが、クラマトルシクでは、まだ攻撃はありませんでした。

でも、3月になるとクラマトルシクでも攻撃が始まり、人が亡くなるようになると、避難する人が出始めました。
どんなところが攻撃を受けたのですか?
4月8日には、クラマトルシクの駅で砲撃がありました。39人がその場で亡くなり、22人はその後病院で亡くなりました。約120人がけがをして、腕や足を切断した人もいます。
これをきっかけに、多くの人が州外に避難しました。
5月と6月は砲撃が落ち着きましたが、7月に入るとほぼ毎日砲撃されるようになり、市の中心部では高層の住宅も破壊され、多くの人が亡くなりました。

8月に入ると、郊外の住宅に砲撃が集中していました。9月には、産婦人科病院と精神病院への攻撃がありましたが、幸いにも患者がいなかったので、人的な被害はありませんでした。
クラマトルシクは侵攻の前、約20万人が暮らしていましたが、今残っているのは3分の1ほどです。
どんな取材をしてきましたか?
クラマトルシクの駅での砲撃を受けて、一人ひとりのストーリーを記事にしています。
亡くなった人がどんな人で、何が好きだったかなどを記録しているのです。
これまでに17歳の男子学生や、避難しようとして駅にいた16歳の女性など、家族や知り合いを取材して、オンライン上に追悼ページを作っています。
亡くなったすべての人を記事にするため、今も継続的に取材をしています。
それとは別に、砲撃があった場所や残っている人たちの取材をしています。
その中では、ボランティアとして寿司をふるまった日本人男性のことも記事にしました。

9月上旬には再びクラマトルシクに戻り、ハルキウ州の前線に派遣され、亡くなったある兵士の取材をしています。
男性は、ウクライナ軍がハルキウ州を奪還する数日前に亡くなっていて、男性の葬儀では、夫を亡くした妻、父親のひつぎに覆いかぶさって泣く女の子を取材しました。

課題に感じていることはありますか?
本格的な冬をどう乗り越えるかが、大きな課題です。
クラマトルシクでは、12月になると気温がマイナスになることもあり、1月にはマイナス10度、2月にはマイナス20度になることもあります。ですから、冬の間は暖房が必ず必要です。
ですが、ロシアによる攻撃でガスの供給が止まっています。
ウクライナ軍がハルキウ州を奪還したことで供給が再開されることを住民は期待していますが、政府は修理が間に合わない可能性もあるので、供給が止まっている地域には、一時的な避難を呼びかけています。

ガスの供給が停止している状況などを踏まえると、ドネツク州全体で残っている34万人のうち、11万人はほかの地域に避難しなければならないとみられています。
侵攻以降もここまで残っていた人の中には、ほかの地域に避難したくないという思いもありますが、今の状況では冬を越せないので、避難という選択をせざるをえないと思います。
政府は、特別にバスを用意して、インフラが維持されている地域に避難させる対応をとっています。
どんな思いで取材を続けていますか?
記者という仕事が好きで、情熱を持ってやっているので、たとえ危険であっても続けることができています。
そして、クラマトルシクは私の生まれ育った町なので、戻って取材をすることは幸せなんです。
戦争が行われている中でも、自分の家に戻ってお風呂に入ったり、自分の服を着たり。そんな当たり前のことがうれしいんです。
また、町を歩いていると、残っている友だちや知り合いに必ず会えるし、話もできます。
そんな瞬間だけは、すべてが幸せだった侵攻前の時間に戻れます。
ロシアに対して、この戦争について言いたいことはありますか?
私はロシア軍がやっていることは筋が通らないと思っています。
できる限り多くの人を殺して、建物を壊し、誰もいなくなった場所にロシア寄りの人たちを住ませて、自分の領土にしようとしているんです。

世界がこの戦争に疲れて、東部の領土をロシア側に手放せばいいと考える人もいるかもしれません。
でも、私たちはそれを望んでいません。私たちは、自由と領土を取り戻すため、最後まで戦います。
取材を終えて
取材をする中、ラディカさんの言葉からは、クラマトルシクで起きている現実から目を背けることなく、ジャーナリストとして記録していくという決意のようなものを感じました。
また、ロシアの攻撃によって大きく変わってしまったふるさとであっても「戻って取材をすることは幸せ」と話すラディカさんの姿を見て、奪われてしまった日常がどれほど尊いものだったのかを、改めて考えさせられました。