2023年2月10日
ベトナム 中国

“売られた”ベトナムの花嫁 数十年ぶりに戻ったふるさとで…

30年近く前、突然、行方がわからなくなった姉。

生きていると信じて、ずっと探してきました。

その姉は、ある日突然、戻ってきました。

でも、彼女は私たちが知っている“姉”ではなくなっていました。

(ハノイ支局長 鈴木康太)

突然、戻った姉

「この30年近く、いなくなった姉のことを思うと、食事も喉を通らず、眠れませんでした。私の家は貧しいですが、稼いだお金はすべて姉を探すために使ったからです」

こう話すのは、ベトナム中部の都市ハティンに暮らす、チャン・スアン・トゥオンさん(42歳)です。

チャン・スアン・トゥオンさん

13歳上の姉、当時27歳のローさんがベトナム南部の親戚に会いに行った帰り、行方不明になりました。27年前のことでした。

家族や親戚は、テレビを通して情報提供を募るなどして、必死に探し続けました。

しかし、手がかりとなる情報は全くありませんでした。

ところが姉のローさんは、去年2022年11月、突然見つかりました。それも、中国の公安当局から“不法滞在者”として、ベトナムの警察に引き渡されて。

帰ってこない姉

トゥオンさんの姉、ローさんは9人きょうだいの上から5番目。

末っ子のトゥオンさんのことを、とてもかわいがっていました。一緒に遊んでくれたり、時にはわがままを聞いてくれたりすることもありました。

若い頃のローさん(右)

12歳の時に母親を病気で失っていたトゥオンさんにとって、ローさんは母親代わりでもありました。

しかし、その姉ローさんは、ベトナム南部の親戚に会いに行ったあと、突然、行方がわかなくなりました。

「しばらくすれば帰ってくるだろう」

当初はそのくらいに思っていたトゥオンさんたちですが、いつまでたってもローさんは帰ってきませんでした。きょうだいや親戚総出で、姉の行方を捜しました。

テレビで情報提供を呼びかけ、ここ何年かはSNSを使って、何か情報を知っている人がいないか探し続けました。

時にはわらにもすがるような思いで、霊能者に相談したこともありました。

「彼女はまだ生きていて、すでに家族を持っているが、どこにいるかはわからない」

そんな霊能者の言葉を信じて、トゥオンさんたちは、ローさんを捜し続けました。

ローさんがいなくなった時15歳だったトゥオンさん。気付けば30歳を超え家族も持つようになり、20年以上の月日はあっという間に過ぎていきました。

ただ、ローさんに関する情報は何も得られないまま、娘に会いたいと願い続けた父親も、病気で亡くなりました。

突然の再会

トゥオンさんが、姉のことを思うと涙が止まらなくなったり、眠れなくなったり精神的にも弱っていく中、去年11月、親戚から1本の連絡があります。

「ローが生きていて、今、隣の省の社会福祉センターにいる」

その連絡とともに保護されている女性の写真もスマートフォンに送られてきました。

その写真を見た瞬間、トゥオンさんは、すぐに姉のローさんだと確信しました。

スマートフォンに送られてきたローさんの画像

トゥオンさんをいつも優しく見つめてくれていた、あの瞳。まさにローさんのものでした。

直接会って、確かめたい。トゥオンさんが駆けつけた施設には年老いた姉の姿がありました。

施設の職員から、覚えている家族の名前を言うように促されると、ローさんは両親やきょうだいの名前をゆっくりと口にしました。

そして、その中にはトゥオンさんの名前もありました。

その瞬間、トゥオンさんはうれしさのあまり声を出して泣きました。

そして、トゥオンさんたちは、その日、26年ぶりにローさんを実家に連れて帰り、みんなで肩を寄せ合いながら一晩中涙を流しました。

連れ去られた先は中国

トゥオンさんは、姉から行方不明になったいきさつを聞くことができました。

ベトナム南部から帰る際、バスを乗り間違えてしまったローさん。バスを降りて車が通るのを待っていると、車に乗った2人組の女性に「車に乗せてあげるよ」と声をかけられたといいます。

しかし、ローさんが車に乗って連れて行かれた先は中国。

その後も、次から次へと知らない人を介して連れ回され、最終的には、そこがどこかもわからないまま、ある村に住む1人の男性のところに置いて行かれたそうです。

そして、だいぶ年の離れていそうなその男性は、ローさんの“夫”になったのだといいます。

その時ローさんは、だまされて連れ去られ、その男性に“売り飛ばされた”ことを理解したそうです。

ローさんはほかにどうすることもできず、その村で暮らし、農作業をして、子ども4人を育て、“夫”は10年ほど前に亡くなったということでした。

その間、2度、中国の警察に拘束されたというローさん。不法に中国に滞在しているという疑いがあるためでした。

その際は、子どもが小さくほかに面倒を見る人がいないということで、解放されたそうです。

しかし、子どもたちが大きくなると、また警察がローさんを拘束。母国ベトナムに強制的に送還したのだそうです。

3歳児のような姉

ローさんの帰りを喜ぶトゥオンさんたちでしたが、姉の様子に戸惑うこともありました。

戻ってきた時54歳になっていたローさん。

しかし、話しぶりや仕草がまるで3歳児のようだったのです。時折、ひどく混乱した様子を見せるなど、精神的に不安定なのは明らかでした。

それに、話す言葉は中国語混じりのベトナム語。加えて、ローさんは、中国に残してきた4人の子どもたちに会いたがり、昼も夜も泣き続けるのだといいます。

トゥオンさんは、ローさんが中国にいる家族の元に行けるようにしてあげたいと考えていますが、そのためには、中国側が求めているとみられる、出生証明書、パスポート、戸籍謄本などの書類を準備する必要があるのだそうです。

しかし、長年行方不明になっていたローさんは、これらの書類を一から作り直す必要があり、たとえそろったとしても、中国側の要求を満たしているかわからず、中国に入れたとしても、再び送り返されるおそれもあるのだといいます。

ローさんを囲むトゥオンさんたち

「この30年近く、姉が連れ去られたことで、私たち家族の希望が奪われたのです。そして奪われた時間は、決して取り戻すことはできません。今の私たちの願いは、姉が自分の子どもたちに会えるよう、当局が書類の作成を支援してくれることです。子どもたちのことを思い泣き続けている姉が哀れでしかありません」

人身売買はほかにも

実は、ローさんのように中国に連れて行かれ、無理矢理、現地の男性と結婚させられるベトナムの女性は、今も決して少なくないのだといいます。

ベトナムの公安省によると、ベトナムでは2016年から2019年の6月までに、2600人を超える被害者が確認され、そのうち9割近くの2319人の行き先が中国だったということです。

専門家によるとその多くは、文化や言葉が似ているベトナムと中国の国境に近い地域に住む女性で、ほかにもラオス、ミャンマー、カンボジアの国境周辺に住む女性も狙われているのだといいます。

人身売買の撲滅に取り組む団体などによると、こうした女性たちが人身売買の被害にあう背景にあるのが、中国の「一人っ子政策」だといいます。

中国では長年続いた、いわゆる「一人っ子政策」の影響で、男性と女性の人数の間に大きな開きがあると言われていて、男性が女性の人数を3000万人あまり上回っています。

男の子は働き手や跡継ぎとして重宝された一方、妊娠した子どもが女の子だとわかると、違法に中絶されたり、生まれてすぐに捨てられ海外で養子になったりするケースが後を絶たなかったからです。

このため“花嫁”を求める農村部の男性に、ベトナム人女性を“売る”人身売買をビジネスにするブローカーが数多く存在しているのだといいます。

女性たちの声に耳を傾けて

アメリカを拠点にベトナムで人身売買の被害にあった女性たちの支援を行っている「パシフィック・リンクス・ファンデーション」という団体があります。

この団体のディレクター、ルオン・ホン・ロアン氏によると、中国に連れて行かれたベトナム人女性たちは、ベトナムに戻ることができたとしても、ローさんのように、子どもと引き離されたことで、精神的に不安定になってしまうケースが多いといいます。

ベトナムで暮らしたいという女性もいれば、子どもたちを残してきた中国に戻りたいという女性もいるため、個別のケースに合わせた支援を行っていくことが大切だとしています。

ルオン・ホン・ロアン氏

「中国人の夫と結婚させられたベトナムの花嫁たちは、中国で子どもを持ち、中国での暮らしがあるので、ベトナムに戻ってきても多くの困難と障害に直面しています。彼女たちは、ベトナム語を少ししか話せなくなっていて、ふるさとベトナムで仕事を見つける機会もありません。地元に帰ってきても友人や近所の人たちから“中国人の妻だ”と差別される人も少なくありません。私たちは、彼女たちの願いに耳を傾け、ベトナムでの生活に適応できるようにするか、家族のいる中国に戻れるよう支援する必要があるのです」(ルオン・ホン・ロアン氏)

彼女たちの居場所はどこに…

今回の問題について、ベトナム外務省に対策を尋ねたところ、政府としては人身売買の撲滅のために対策を強化することにしていると説明しました。

具体的にはインターポール=国際刑事警察機構などと捜査協力するほか、帰国した被害者の保護や支援を進めるということです。

また、中国でも、去年2022年、人身売買の被害者の女性が、首を鎖でつながれ、小屋に閉じ込められている動画が拡散したのをきっかけに、深刻な人権侵害として大きな社会問題となり、中国政府も、農村部などで横行する人身売買の根絶に取り組む姿勢を強調しています。

ただ、実際に人身売買の被害をどこまで食い止めることができるのかは、まだ見通せていません。

今回の取材のきっかけは、SNS上で、数十年ぶりに家族が帰ってきたことを喜ぶ、複数の投稿を見つけたことでした。

その中の1つの投稿を頼りに会うことのできた、30年ぶりにベトナムに帰ってきたローさん。

しかし、取材に訪れた時に話を聞くと、両親たちにずっと会いたかったと話していました。ただ、両親は亡くなり、もう会うことができません。

一方で、ローさんは「ベトナムにいるのが耐えられない」と涙を流して訴えていました。中国に残る子どもたちに会いたいのです。

理由もわからず連れ去られ、そこで家族を持つことになった女性たち。

ふるさとに戻ったものの、再び家族と引き裂かれることになりました。

彼女たちが心安らかに暮らせる場所は、いったいどこにあるのか。

目の前で涙を流すローさんを見つめていると、やり場のない憤りが消えることはありませんでした。

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