2022年12月23日
中国

「私はスパイじゃない」中国で懲役6年の男性語る“監視居住”

「おまえはスパイだ」

中国で突然、スパイ容疑で拘束され、6年間収監された日本人の男性がいます。
太陽の光も届かない“監視居住”での拘束。体重は30キロ近く減っていました。

人生をかけて日中両国の友好を願ってきただけなのに。

いったい何が起きたのか。「刑期」を終えて帰国した男性が語ってくれました。

(国際部 関谷智)

何が起きたのか知ってほしい

「一番つらかったのは、拘束された最初の7か月ほどでした。カーテンが締め切られた部屋で、太陽を見ることができたのは、特別に許可をもらった15分だけ。太陽を見た時、涙が出ました」

こう話すのは、2016年に中国の首都、北京で拘束された鈴木英司(65)さんです。
鈴木さんは、「スパイ行為をした」として、中国当局におよそ6年間拘束されました。

鈴木英司さん(65)

2022年10月、日本に帰国した鈴木さんに、だめもとで取材を申し込みました。
中国で拘束された日本人はこれまでもいますが、多くが口を閉ざしているからです。

しかし、意外にも、インタビューを受けますという返事が返ってきました。

「何が起きたのか知ってほしい」

取材当日、そう語った鈴木さん。中国で起きたことを話し始めました。

空港で突然、男たちが…

北京

2016年7月15日、鈴木さんはシンポジウムの打ち合わせのために北京を訪れていました。
夏の強い日ざしが照りつける、暑い日でした。

友人とレストランで昼食を終えた鈴木さんは、日本に帰国するためタクシーで北京首都国際空港に向かいました。

北京首都国際空港

タクシー降り場に着くと、大きなグレーのバンが停車していて、その周囲に体格のいい男が5、6人いるのが目に入りました。

荷物を持って空港の入り口に歩き始めた時、男の1人が「おまえは鈴木か?」と問いかけてきました。

鈴木さんが「そうだ」と答えたとたん、一斉に飛びかかってきた男たち。あっという間に、白いバンの中に引き倒され、最後列の一番奥の席に押し込まれたといいます。

「おまえたちは誰だ!」

必死で叫ぶ鈴木さんに、男の1人が「北京市国家安全局だ」と短く答えました。男たちは中国国内のスパイを取り締まる機関の職員でした。

その後、携帯電話や腕時計、ズボンのベルトを奪われ、目隠しまでされました。

どこを走っているかもわからないまま、1時間ほどたったかと思われるころ、車から降ろされました。

方角をわからなくするためか、何度も体をぐるぐると回転させられながら歩き、ある部屋に入れられました。

その後7か月近く続く、取り調べと監視生活の始まりでした。

北朝鮮の話がスパイ活動!?

なぜ突然、拘束されたのか。

取り調べやその後の裁判が進むにつれて、どんな「容疑」がかけられているのかわかってきました。

つきあいのあった中国政府の関係者と会食をした際の会話が問題となっているというのです。男たちは、鈴木さんがどんな会話をしたのか、把握していました。

「北朝鮮に関する話しをしただろう。敏感な問題で、違法だ」と一方的に述べたといいます。

鈴木さんは長年、中国に関わっていて、渡航回数は200回以上になるといいます。日中の交流団体の代表をしていたほか、中国の大学で教えた経験もあり、中国人にも多くの友人がいました。

中国政府の関係者や、北京にある日本大使館の職員とも交流があり、食事に行ったりもしていました。

こうした中で、中国側は、「日本の情報機関に渡すため、中国の外交関係の人事や、領土問題、北朝鮮の問題などで情報を集めていた」、いわゆるスパイ活動に関わったと認定したのです。

しかし、鈴木さんは、今でも納得できないと、憤りを隠しません。

鈴木英司さん
「当時、北朝鮮の故キム・イルソン主席の娘婿のチャン・ソンテク氏が処刑された疑いについて、韓国政府が発表していたので、中国政府の関係者に、『処刑についてどうなんですか』と聞きました。しかし、彼は『知りません』と答えました。これが、なぜ違法な情報収集にあたるのか、私には理解ができないし、憤慨しています」

7か月の“監視居住” 太陽を見たのは15分・・・

鈴木さんが拘束されて連れて行かれたのは、古びたビジネスホテルのような部屋でした。小さな机に、ベッド、そして監視のためにドアのないトイレとシャワーがありました。

中国当局の言い方によれば、「監視居住」が始まったのです。

部屋の四隅には、監視カメラのレンズが光っていました。窓には黒っぽい、分厚いカーテンがかかり、外が昼なのか、夜なのかもわかりません。

そして、ベッドの向かいにあるソファーには、監視役の男2人が常に腰掛けていました。男たちは交代しながら24時間、鈴木さんがトイレで用を足す際にも、常に見張っていました。

寝るときも明かりをつけたまま。男たちが見ているので、落ち着きません。

運動といえば、部屋の中で足踏みをすることしかできない日々。
男たちの目の前で、足踏みをしている自分の姿に、とても悲しくなったといいます。

いったい自分はどうなってしまうのか。不安と恐怖に追い詰められました。

鈴木さん
「これからどのくらい監視下での生活が続くのか、何の情報もなかったため、ちょっとしたことで疑心暗鬼になりました。日本はどうなっているのか、家族はどう過ごしているのか、そうしたことをずっと考えていました。本当につらかったです」

取り調べ以外の時間では食事とシャワー、トイレ以外はただ座っているだけです。本もテレビもなく、紙やペンの使用もできませんでした。話し相手もいない中で、取り調べが続いた7か月間を、この部屋で過ごしました。

ある日、鈴木さんは、太陽の光をどうしても見たいと、頼み込みました。

許されたのは、たった15分。

部屋を出ると、廊下の窓からすこし離れた場所に、イスがぽつんと置かれていました。座ると、太陽が見えました。自然に目から、涙が出ました。

もっと近くで見たい。窓に近寄ろうとすると「ダメだ」と叱責されました。

非公開の裁判 懲役6年の実刑

突然の拘束からおよそ7か月後の2017年2月。鈴木さんは逮捕、のちに起訴されました。

その後の裁判は、中国側が違法とする「情報」と関連があるとして、非公開で行われました。証人申請はすべて却下されたといいます。

そして、2019年5月に1審で懲役6年の実刑判決を言い渡されました。

鈴木さんは上訴しましたが、翌年よくとしの2020年11月、棄却。拘束されてから、すでに4年以上がたっていました。

判決文には、このように書いてありました。

「鈴木英司は日中友好人士の身分を借り、中国国内外で(人物は略)などの人と頻繁に接触し、面談などの方法を通して、わが国の対日政策とほかの外交政策、高層人士の動向、釣魚島(尖閣諸島)と防空識別圏に関連する政策措置、中朝関係などの分野の情報を尋ねてから、入手した情報を(人物は略)などの人に提供した。/この提供した内容は情報であると中華人民共和国国家保密局に認定された/鈴木英司は間諜(スパイ)犯罪行為を実施したことを証明し、中国の国家安全に危害をもたらした」

鈴木さんは、懲役6年の実刑が確定し、北京にある刑務所に収監されました。拘束されてからの4年間を差し引いた、2年近くを過ごしました。

中国では、反スパイ法が施行された翌年よくとしの2015年以降、日本人がスパイ行為に関わったなどとして当局に拘束されるケースが相次いでいて、これまでに少なくとも、16人が拘束されています。

このうち、服役中だった北海道出身の70代の男性が死亡しているほか、6人はいまだ帰国できていません。

中国を恨んでいます、ただ…

2022年10月中旬、刑期を終えて日本の実家に帰国した鈴木さん。拘束前に96キロあった体重は、30キロ近く減っていました。

90歳近くになる父親や親戚は、帰りを喜んでくれました。

6年ぶりに帰った実家で用意されていたのは、手作りの家庭料理でした。ずっと食べたかった好物の刺身と冷酒は、涙が出るほどおいしかったといいます。

鈴木さんは中国における今の人権状況には、極めて強い懸念を感じています。

鈴木さん
「習近平指導部になってから、特に人権について、締めつけが厳しくなったと感じる。中国政府は、『中国なりの人権があり、西洋と違う』という主張を繰り返しているが、監視をしたり、何も見せない、誰にも会わせないという自分が受けた経験からは、中国の人権状況は明らかに遅れていて、大きな問題だと言わざるをえない」

自由の身となった今。しかし、中国の友人たちとはもう2度と会えません。会ったり、連絡をとったりすれば、友人が捜査の対象になる恐れがあるからです。

1980年代から40年近く、人生をかけて取り組んだ日中友好の草の根の活動。その中国で拘束され、「犯罪者」として、今後、入国すらできなくなった自分。

取材の最後に、鈴木さんは、揺れ動く複雑な胸の内を話してくれました。

「中国を恨んでいます。ただ、日中関係は大事な2国間関係です。経済的な貿易のつながりも強く、地理的にも隣国で、たとえ嫌いであっても大事にしなければならないのです。それに、日中関係がよくなれば、自分のようなケースも少なくなると思うし、より多くの交流が芽生えると思うんです。そして、日中関係改善のためには、相手の国を正確に知ることが必要で、私は、そのために、今後も尽力していきたいです」

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