2022年11月22日
サッカーW杯 カタール 中東

ワールドカップ外国人労働者 相次ぐ “死因不明”

貧困の連鎖を断ち切りたい。

その一心で出稼ぎに行った、あるネパール人男性。向かった先はサッカーワールドカップの誘致に沸く中東カタールでした。

しかし、男性が戻ることはなく、代わりに死亡証明書が家族のもとに届きました。死因の欄には「呼吸不全 自然死」とだけ書かれていました。

働き盛りの男性はなぜ突然亡くなったのか。その経緯を調べていくと、出稼ぎ労働者をめぐる根深い問題が見えてきました。

(ドバイ支局長 山尾和宏)
※この記事は2022年1月31日に公開したものです。文中の肩書きはいずれも取材した当時のものです。

“突然の自然死”

カシラム・ベルバシさん。32歳で亡くなった。

ペルシャ湾に面した中東カタール。首都ドーハ郊外の労働者が暮らす寮で、7年前、1人のネパール人労働者が息を引き取りました。

カシラム・ベルバシさん。労働者8人で窓のない暗い部屋で共同生活を送りながら、地下鉄の建設現場で働いていました。ルームメイトが寝静まった深夜に、突然苦しみだし、意識を失いました。救急車で搬送されましたが、すでに意識はなく、病院で死亡が確認されました。32歳の若さでした。

私は取材の過程で、カシラムさんの死亡証明書を入手しました。死因の欄には「呼吸不全 自然死」とだけ書かれていました。

290万人が暮らす中東カタール。しかしそのほとんどが実は外国人労働者で、カタール国民は1割程度にしかすぎません。天然ガスの世界有数の輸出国で、そこから得られたばく大な利益による恩恵は、わずか1割の国民に集中しています。

首都ドーハの中心部には、高層ビルやショッピングモールが建ち並び、民族衣装を着たカタール人のグループがカフェで優雅に会話を楽しむ姿が見られます。

一方、建設現場などのほとんどの労働力は外国人が担っています。

ドーハの郊外に車を走らせると景色は一変します。低層のアパートが建ち並び、ベランダには、大量の作業服が物干し竿にかけられています。

週末の通りは、労働者で混雑し、古着や歯ブラシや髭剃りなどの日用雑貨の路上販売はにぎわっています。カシラムさんも、こうした労働者の1人でした。

「なぜ亡くなったのか…」

カシラムさんのふるさと

健康な働き盛りの若者がなぜ突然亡くなったのか。手がかりを求めて、私はカシラムさんのふるさとを訪ねました。

ネパールの首都カトマンズから国内線で向かったのは、お釈迦様の生誕地とされる南西部ルンビニ州。さらに、舗装されていない荒れた山道を車で走ること5時間。山の斜面にある、わずか数世帯の小さな集落に到着しました。カシラムさんは、この集落で生まれ育ちました。

23歳の時に家族の紹介で、5歳年下のダナクラさんと結婚し、実家の小さな部屋で新婚生活を始めました。2人の子どもにも恵まれましたが、カシラムさんが家族と過ごした時間はわずかでした。現金収入を得るため、インドやカタールに出稼ぎに行っていて、会えるのは一時帰国の数週間だけでした。カシラムさんをそこまで仕事に駆り立てたのは、貧困の連鎖を断ち切りたいという強い思いからでした。

国内産業が乏しいネパールでは、GDP=国内総生産の4分の1を外国からの仕送りに頼っています。カシラムさんの故郷も、現金収入を得る手段がほとんどなく、多くの若者が湾岸や東南アジアに働きに行っています。カシラムさんと同世代のいとこたちもほとんどが外国で働いていました。

母親のインドラカラさん

出迎えてくれた母親のインドラカラさんは、唯一残っている息子の写真を見せてくれましたが、涙が止まりません。外国で息子を亡くすのはこれで2人目なのです。

インドで亡くなったカシラムさんの兄も、その原因さえわかっていません。

インドラカラさん
「私たちには財産がないので、働きに行くしかないといって、家族のために良く働く息子だった。それでも一時帰国の際には、仕事がつらいとこぼしていたが、仕事の内容については決して話さなかった。私に心配をかけたくなかったのだと思う」

子どもに勉強を教えるダナクラさん(右)

稼ぎ頭の夫を失った妻のダナクラさんは、子どもたちを養うため、夫の故郷を離れて、ふもとの町で清掃員として働いていました。女性が育児をしながら続けられる仕事はなかなか見つからず、仕事を転々としていました。

新型コロナウイルスの感染が拡大した2021年には、勤務先のホステルが閉店し、給料が未払いのままとなっていますが、立場の弱いダナクラさんには、支払いを求めることもできていません。

ダナクラさんは、今もカシラムさんの突然の死を理解できずにいました。なぜ亡くなったのか、ネパール政府やカシラムさんの雇い先などから何の説明もないからです。

ダナクラさんが手元に残されたカシラムさんの記録を見せてくれました。パスポートや遺体搬送の書類など。契約書や勤務表など労働環境を知ることができるものは、ありませんでした。

ダナクラさん
「亡くなった理由は正確にはわからない。できることならもう一度夫に会いたいが、もう夫は帰ってこない」

親せきからの援助を受けながら、日本円にして月に1万円の収入で、子ども2人を養うのがやっとの状態です。今は、アパートの小さな1室で、親子3人で肩を寄せ合うようにして暮らしています。

貧しい中でもダナクラさんが欠かさないのは子どもたちを学校に通わせることです。

「亡くなった夫は貧しくて十分な教育を受けられなかったので、子どもには教育を受けさせ、豊かな生活をしてもらいたいと言っていた。私も彼の思いを引き継いで子どもたちをしっかり育てたい」

異国の地で週6日、毎日11時間

カシラムさんがカタールでどのような状況にあったのか、情報が得られない中、亡くなる直前を知る人物に話を聞くことができました。いとこのミンラルさんです。今は、UAE=アラブ首長国連邦ドバイの飲食店で働いていました。

カシラムさんが亡くなった当時、カタールの同じ寮の部屋で暮らしていたと言います。カタールは、12年前にことしのサッカーワールドカップの開催地に決まり、スタジアムや地下鉄などの整備を急いできました。

ミンラルさんの話では、カシラムさんは、ドーハ地下鉄の建設現場で足場を組み立てる仕事に従事していました。カシラムさんは、他の労働者と同じように、朝4時半に起きて、バスに乗って現場に移動。朝6時から夕方6時まで働き、寮と職場の往復の毎日でした。食事は会社が提供していました。

週6日間働き、日本円にして月収3万円を受け取り、そのほとんどを家族に送金していました。

ミンラルさん
「夜中にカシラムのベッドの方からドンドンと壁を叩く音がした。『兄貴、どうかした?』と聞いたが、返事がなかった。体調にも異変は見られなかったし、病気もない。なぜカシラムが死んだのかわからない」

カシラムさんの勤務の実態や死亡に至る体調の変化などを調べることはこれ以上できませんでしたが、私がネパール政府から入手したデータからは、カシラムさんが特別ではないことが浮かび上がってきました。

これが当たり前? 5割近くが“死因不明”

出稼ぎ労働者の保護などを担うネパール労働省の外国雇用委員会。委員会のデータでは、去年7月までの10年間に、カタールで1570人のネパール人労働者の死亡を確認し、このうち5割近くの774人が、カシラムさんのように、「心停止」、「自然死」、「心臓まひ」のいずれかだと結論付けられていました。

「死因がわかっていないのでは?」

事件を取材したことがある私は、ピンときました。私は事情に詳しい専門家に話を聞くことにしました。

本当に調査は尽くされた?

出稼ぎ労働者の問題に詳しいネパール人弁護士、アヌラグ・デブコタ弁護士。労働者の弁護に携わる中で、国外で多くの労働者が亡くなっていることに疑問を持ち、労働者保護の重要性を訴えてきました。

アヌラグ・デブコタ弁護士

デブコタ弁護士
「“心停止”や“心臓まひ”、“自然死”ということばは、あくまで結果に過ぎず、死因が特定されていないことを意味している。健康な働き盛りの人が大勢亡くなっているのは明らかに不自然だ」

NHKでは、カタール労働省に取材を申し込みましたが、回答はありませんでした。

同様の傾向がみられるのはカタールだけではありません。ネパール労働省の外国雇用委員会のデータでは、多くの出稼ぎ労働者を受け入れている隣国サウジアラビアでも、10年間で確認された死者の5割近くが、「心停止」、「自然死」、「心臓まひ」のいずれかで死亡したと結論付けられていました。その人数は1039人で、カタールを上回っていました。

労働と死の因果関係 問われる説明

ネパール労働省外国雇用委員会 ラジャン・スレスタ事務局長

ネパール労働省の外国雇用委員会のラジャン・スレスタ事務局長はNHKの取材に対し、労働環境と死亡との間には因果関係があるとの見方を示しました。

スレスタ事務局長
「働き過ぎが死亡者の増加に関係していると考えている。そのほかにも、熱中症や強いエアコンにさらされたりすることも労働者の健康に影響を与えていると思う」

このうえで、調査には限界があるとも説明しました。死のリスクはわかっていても、人々の生活もあり、「行くな」と言えないのが現状だと言います。

「外国で起きたことなので、勤務実態など勤務先での情報は限られ、労働環境と死亡の因果関係を示す調査を尽くすには限界がある。両政府はさらに対話をしなければならないと思っている。ネパールは外国での出稼ぎが国内経済には不可欠で、労働者への教育を徹底し、注意を呼びかけていくしかない」

調査と遺族への十分な説明を

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中でも、ネパールの首都カトマンズの国際空港には外国に働きに行く若者の姿が絶えず、私が訪れた日も長い列ができていました。

手元には、PCR検査の陰性証明やさまざまな許可書類。書類がそろっているか、互いに確認し合っています。その表情を見ると、海外で成功する期待感というよりも、本当にやっていけるのかという不安のほうが大きいのではないかと感じました。彼らも、外国で多くの労働者が亡くなっている事実を聞かされていると思うからです。

カシラムさんは、勤務先から指定された建設現場に派遣され、転々としていたと言います。

労働者が足りなければ、どこからか補充されます。しかし、命を失えば、残された家族は思い描いていた未来を大きく変えられ、今も家族を失った理由さえわからず、喪失感にさいなまされています。

先進国で、高齢化や人口減少で労働力不足に直面する中、将来的には、外国からの出稼ぎ労働者にさらに頼ることも予想されます。

労働者の死亡に厳しい目を向けなければ、カシラムさんの家族のような悲劇は増えるでしょう。死亡の背景に過酷な労働環境があるとすれば、カタール当局が、労働者たちの死亡した経緯をよく調べ、対策を取ることで、防げた死もあったかもしれません。不幸にも亡くなった場合でも、少なくとも、家族はその理由を知る権利があるはずです。

カタール政府には労働者を使い捨てにしていると疑念を持たれないよう調査を尽くし遺族への丁寧な説明が求められます。労働者一人一人の失われた命に向き合うことが、労働者を受け入れる側の責任です。多くの死の上に成り立つ豊かさ、ましてやスポーツの祭典など、あってはならないと思います。

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