
陰謀論がアメリカをむしばんでいる。
「大統領選挙で大規模な不正が行われた」
「ワクチンにはマイクロチップが入っている」
”危険なうそ”と批判されるこうした言説は、インターネット上で拡散し、信じる人も決して少なくない。Qアノンと呼ばれる勢力も存在感を増している。
根拠に乏しい真偽不明の情報がもたらす危うさは、現実の世界にまで吹き出してきている。
(ワシントン支局 辻浩平)
※この記事は2021年6月29日に公開したものです
トランプ前大統領 “再就任”
その日、私は首都ワシントンの連邦議会議事堂に向かっていた。今から4か月ほどさかのぼる2021年3月4日のことだ。
インターネット上ではその数週間ほど前から、この日に「トランプ前大統領が再び就任する」という言説が出回っていた。この時点でバイデン大統領が就任してからすでに1か月以上がたっている。
信じる人はいないだろうと、空振りを想定しての取材だった。就任式が行われるとされる議会議事堂近くを歩いていると、5人ほどの男女が集まっているのが見えた。
「トランプ大統領の就任式を見るために来ました」

まもなくアメリカ軍が蜂起して、「大統領選挙の不正」に関わったバイデン大統領を含む政権幹部を一斉に拘束、トランプ氏が大統領として再び就任するだろうと熱心に説明してくる。
遠慮がちに「就任式が行われるようには見えないが」と尋ねると、迷いなくこう答えた。
「まだ午前11時半です。就任式は12時からですから」
私は彼らの話に耳を傾ける。はるばるカリフォルニア州やフロリダ州からやって来たという。メディアは「フェイク・ニュース」なので、インターネットで「本当の情報」を調べているとのことだった。
そうこうしているうちに、時刻は正午を回る。
もちろん就任式は行われない。彼らが信じ込んでいた「本当の情報」は目の前で否定される。それでも信じ続けるのだろうか。
私は再び尋ねた。
「就任式は本当に行われると思いますか?」
「きょうはもしかしたら行われないかもしれませんね。でも時間の問題です。トランプ氏は再び就任するはずです。選挙での不正がなければ間違いなく当選していますからね」
「それ自体が陰謀論だと思うことはありませんか?」
私の問いには答えず、それぞれの車に乗り込んで現場を後にしていった。彼らはいずれもトランプ氏の熱心な支持者で、Qアノンと呼ばれる陰謀論を信じていた。
Qアノンとは何か
アメリカで大きな影響力を持つQアノン。
「Q」はインターネットの掲示板に投稿を始めた謎の人物が名乗った名前で、「アノン」は匿名を意味する「アノニマス」の略だ。Qの主張を信じる人々はQアノンと呼ばれる。
「アメリカの政財界やメディアは“ディープ・ステート(闇の政府)”に牛耳られている」とか「世界は悪魔を崇拝する小児性愛者によって支配されている」などの陰謀論を掲げている。
はっきりとした数はわからないが、アメリカだけで数百万人いるともされ、日本を含む70以上の国に広がっているという報告もある。新型コロナウイルスによって社会を覆った不安が人々の心理につけ込む隙を与え、広がりを加速させたとも言われている。日本のQアノンはJアノンとも呼ばれる。
アメリカの民主主義を脅かした、2021年1月の連邦議会議事堂への乱入事件でも、QアノンのTシャツを着た暴徒たちが多く確認されている。

教育現場に忍び寄るQアノン
Qアノンをめぐって町を二分する対立になっている、そう聞いてミシガン州グランドブランクに向かった。
人口8000ほどのこの町が全米の注目を集めたきっかけは2020年11月に行われた教育委員の選挙だった。学習カリキュラムに大きな影響力を持つ教育委員にQアノン支持をほのめかす人物が当選したのだ。
出迎えてくれたのは高校生のルーカス・ハートウェルさんだ。

教育委員に当選した女性のSNSにQアノン支持を伺わせる数々の投稿がされているのを見つけ、最初に声を上げたのがハートウェルさんだった。
ルーカス・ハートウェルさん
「Qアノンは知ってはいましたが、まさか自分の町の教育委員になるとは想像したこともありませんでした。いちばん懸念するのは彼女の過激な思想が学習カリキュラムに影響を及ぼすことです」

ハートウェルさんのSNSによる発信を受けて、メディアは相次いで報道。
賛同の声が多く寄せられ、この教育委員の解任=リコールを求める動きも出ている。
渦中の人物は…
渦中の教育委員、エイミー・ファシネロさん。
報道が相次ぐ中でも一切メディアの取材に応じていなかった。私も取材依頼のメールを送っていたが、返事は返ってきていなかった。
こういう時は直接自宅を訪ねるしかない。
割り出した住所をたどるとアメリカらしい郊外型の戸建て住宅に行き着いた。呼び鈴を鳴らすと、ドアを開けて出てきたのは高校生の息子さんだった。
ファシネロさんに話を聞きたいと伝えると、いったん家の中に戻っていく。
「母は話したくないと言っています」。
予想はしていたものの、落胆する。
「もし気が変わったら、ここにある携帯に電話してください」。
私は名刺を残していったん立ち去る。
主張が対立しているテーマの取材では双方に話を聞くのが鉄則だ。しかし、5時間後には町を出て空港に向かわなくてはならない。じりじりとした気持ちでいると1時間ほどして携帯が鳴る。
ファシネロさんだった。
「日本の記者の方ですか?話をするだけなら家に来てもいいですよ」
重い口を開く当事者
メディアの取材をかたくなに拒んできたファシネロさん。
まず取材に応じてくれたことに感謝すると、開口一番こう言った。
「あなたのことを検索しました。きちんと私の言い分を伝えてくれますね?」

NHKが英語版ウェブサイトに載せている私の記事のことを指しているのだろう。
ファシネロさんはトランプ氏の熱狂的な支持者だ。私は今もトランプ支持者の取材を続けているので、それが関係しているのかもしれない。
ファシネロさんは2人の高校生の子どもがいること、地元ミシガン州の名門大学を卒業し、教師の経験もあること、そして、去年の大統領選挙ではトランプ陣営の選挙ボランティアをしたことなどを話してくれた。選挙ではバイデン陣営が大規模な不正を行ったと信じ、新型コロナウイルスはまやかしだと感じている。
2時間ほど話し込んだところで、カメラ取材の許可をもらうことができた。
「ここまで注目されていることをどう思いますか?」
「驚いています。この国では誰もが自由な意見や思想を持つことができます。どんな意見であってもです」
「教育委員として何をしたいですか?」
「子どもたちが学校で学んでいるリベラルな価値観に多くの親が疑問を感じています。子どもたちに自分の国を誇れるようになってほしいんです」
はぐらかすような答えが続き、微妙に議論がかみ合わない。
そこで、私は直球の質問をぶつけてみる。
「Qアノンの言説を信じていますか?」
「トランプ氏は大統領の就任時に国民の手に政治を取り戻すと宣言しました」
「トランプ氏の話をしているのではありません。Qアノンを支持していますか?」
「権力を国民に戻すという考え方を指しているなら支持しています」
ファシネロさんがQアノンについてこれ以上話すことはなかった。
「これはキャンセル・カルチャーです」
Qアノンについてことばを濁すファシネロさんだが熱を入れて話すくだりもあった。
それは自身に対する批判は「キャンセル・カルチャー」だという主張だった。
「キャンセル・カルチャー」とは、ある人物が不適切な言動をしたという理由で、社会から排除しようとしたり、ボイコットしたりする動きのことを指す。行き過ぎた対応として、批判的な文脈で語られることが多い。
例えば、世界的なベストセラー、「ハリー・ポッター」シリーズの作者、J.K.ローリング氏が、トランスジェンダーの人々を否定するかのようにも受けとれるツイートをしたとして、不買運動が起きたことがあった。これについて、おもに保守派の人々から「キャンセル・カルチャーだ」と批判する声があがったのだ。
ファシネロさんは今回の問題は、自分がQアノンを信じているかどうかよりも、自分が保守派でトランプ氏を支持していることで、リベラル派から「キャンセル(なかったことに)」されようとしているのだと訴えたのだ。

「私の主張が気に入らないからと言って黙らせることはできません。私には投票してくれた人の声を代弁する義務があります。辞任するつもりはありません」
ファシネロさんのこの主張は、実は多くの保守派の住民から支持されている。教育委員の会合では市民が意見を表明できるが、その場ではファシネロさんを批判する人よりも支持する人のほうが多い。
陰謀論か政治対立か
なぜQアノンの陰謀論をほのめかす教育委員を支持する人が多くいるのか。
それはこの問題が、「Qアノンvs陰謀論に反対する人々」という構図にとどまらず、「保守派(トランプ支持者)vsリベラル派」という政治対立に発展しているからだ。
アメリカは保守派とリベラル派で深く分断されている。そして、Qアノンを支持する人は、保守派のトランプ支持者が多い。
このため、リベラル派からQアノンへの批判が起きると、保守派の人々は、Qアノンの是非はともかく「対立するリベラル派が、保守派の言論の自由を封殺しようとしている」と感じて対抗しようとするのだ。町が二分されてしまっているのも、これが理由となっていると感じた。
数週間後、再びこの町を訪れていた際、両者の分断を目の当たりにすることになる。
教育委員のファシネロさんの辞任を求める抗議デモだった。

デモは退職した元教師らが呼びかけたもので、ハートウェルさんら地元の高校生も参加して行われた。
「学校にQアノンはいらない!」。
人々が声をそろえる。
デモを企画した元教師の女性はこう話してくれた。

「何を信じるのも自由です。しかし、教育委員は現実に基づいて判断する必要があります。ファシネロさんは事実と異なるうそに基づいて判断しているのです」
しかし、そのすぐ横では、ファシネロさんや彼女を支持する人々が声を上げている。

「保守派の主張をつぶそうとする言論の封殺はうんざりだ。私たちは信条の自由を求めているだけだ」
アメリカ社会で深まる分断にQアノンという要素が加わり、事態をより複雑かつ深刻にしているのだった。
「対話の場をもってくれませんか」
この取材には後日談がある。
教育委員のファシネロさん側から、私に相談が寄せられたのだ。
「私たちは対立は望んでいない。この分断を解消するには、どうしたらいいと思うか」
私は少し考えてからこう答えた。
「分断の根幹にあるのは、互いが対話すらできていないことだと思います。双方が顔を合わせて話をすれば、相手側がそんなに悪い人ではないとわかるかもしれません」
「それなら対話の場を設けてくれませんか。私たちはハートウェルさんや彼の両親と直接、話をすることはできない。あなたは双方を取材しているのだから、つないでくれませんか」
記者という第三者がどこまで関与すべきか迷った末、私はハートウェルさんとご両親に連絡を取ってみることにした。
結論から言えばハートウェルさん側からは「考え方が違いすぎる」という理由で断られ、対話は実現しなかった。
直接会って話すことすらままならない。
対立の根深さを改めて感じさせられた。
広がり続けるQアノン
フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアは陰謀論の拡散を防ぐための対策を強化している。
Qアノンや「大統領選挙での不正」といった投稿は次々と削除され、アカウントも凍結されている。
しかし、Qアノンは暗号化されたSNSなどに活動の場を移し、今もなお広がり続けているとも指摘されている。
Qアノンの支持者が公職に選ばれるケースはミシガン州だけでなく、カリフォルニア州やネバダ州などでも次々と明らかになっている。
ジョージア州では連邦議会の下院議員まで誕生している。
出口の見えない陰謀論の広がりは、政治対立にまで発展して、アメリカをむしばみ続けている。