
「最も重要なことはドナルド・トランプから国を守ることだ」
「ドナルド・トランプは危険な人物だ。2度と大統領にすべきではない」
そう公言し、「反トランプ」の象徴とされた共和党の有力議員がアメリカの中間選挙に向けた予備選挙で敗れた。
トランプ前大統領が送り込んだ刺客候補に大差をつけられた惨敗だった。
トランプ氏が主張し続ける選挙不正をデマだと厳しく批判し、民主主義を守ると訴えた議員の敗北は何を意味するのか。
(ワシントン支局 辻浩平)
大差での敗北

あっけない幕切れだった。
秋の中間選挙に向けた野党・共和党の候補者を選ぶ予備選挙。
同じ党内にいながら「反トランプ」の急先鋒とされた有力議員、リズ・チェイニー氏は、トランプ氏が送り込んだ「刺客候補」に得票数で2倍以上の差をつけられ敗れた。
8月16日に投票が行われたのは「カウボーイ州」の愛称で呼ばれる西部ワイオミング州だ。

人口が60万近くと全米で最も少ないこの州は、保守色が強く、カウボーイに由来するロデオの文化が根強く残っている。トランプ氏が前回の選挙で最も高い得票率を獲得するなど、根強い人気が続いている。
チェイニー議員は「影の大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領を父親に持ち、知名度やその保守的な政治姿勢が評価され、過去の選挙でも圧勝してきた有力議員だ。

トランプ政権時代には政策面ではトランプ氏と足並みをそろえてきた人物でもある。
その友好な関係を変えたのは去年1月に起きた連邦議会乱入事件だ。大統領選挙の結果に不満を持つ、トランプ氏の支持者らが議会に乱入。選挙という民主主義の根幹を暴力で揺るがそうとしたとして、今も捜査が続いている。

チェイニー氏は支持者を扇動したとして、トランプ氏の弾劾訴追の決議案に賛成票を投じた。トランプ氏に批判的な態度をとることをためらう共和党議員が多い中、異例の行動だった。
トランプ氏に同調する共和党からは「結束を損なった」として下院の党ナンバー3の役職を解任されることになる。
それでもチェイニー氏は批判の手を緩めず、事件を調査する下院の特別委員会でトランプ氏の責任を厳しく追及。「反トランプ」の象徴ともなってきた。

トランプ氏に同調する共和党議員に対してチェイニー氏が語った言葉は今も繰り返しメディアで引用されている。
「弁解の余地のない者を擁護する共和党の同僚にこう言いたい。いつかドナルド・トランプがいなくなる日は来るが、あなたたちの不名誉は決して消えることはない」
同僚議員たちへの痛烈な批判だった。
選挙戦でチェイニー氏は「民主主義の根幹である選挙結果を否定するトランプ氏を許してはならず、これは民主主義をかけた戦いだ」と訴え続けた。
しかし、結果的に代償を払ったのはトランプ氏に刃向かう側の方だということを浮き彫りにした選挙だったと現地では受け止められている。
私にはできなかったし、するつもりもなかった
周囲の予想を上回る大差で敗れたチェイニー氏。AP通信によると刺客候補のハリエット・ヘイグマン氏の得票率は66.3%、2年前の大統領選挙でトランプ氏が獲得した全米で最も高い得票率、69.9%に並ぶ数字だった。
チェイニー氏は敗戦の弁でこう語った。

「トランプ前大統領の、選挙に不正があったという、うそに同調していれば簡単に勝つことができたかもしれない。ただ、私にはそれができなかったし、するつもりもなかった」
その上で、選挙前からトランプ氏に批判的な姿勢をとれば、負けることになるとわかっていたが、選挙での不正はなかったという事実や民主主義の制度を守ることは、議席よりも大切なことで、後悔はないと訴えた。
有力議員はなぜ負けたのか
地元で強く支持されてきたチェイニー氏は、なぜこんなにもあっさりと敗れることになったのか。
そのヒントは、選挙直前に取材で訪れた、州内の共和党関係者の会合にあった。集まっていたのは地元で市長や州議会議員を務めた有力者らだった。

「彼女はトランプ氏の弾劾訴追に賛成票を投じた。だから、そっぽを向かれた」
集まった人々は当然だろうと言わんばかりに口をそろえた。
政策面で言えば、チェイニー氏はトランプ政権の政策の90%以上に賛成票を投じている。つまり、政策上はトランプ氏とほぼ一致しているのだ。
それでも多くの共和党員にとって支持の決め手は、その人物がトランプ氏を支持するかの一点にかかっている。政策やこれまでの実績は関係ないと話してくれた。
チェイニー氏を破った刺客候補のヘイグマン氏は選挙期間中、私たちとのインタビューでこう語った。

「チェイニー氏はワイオミング州を代表していない。連邦議会乱入事件にこだわりすぎだ。有権者の立場を反映していないのだ」
つまりトランプ氏に批判的であることは、前大統領を支持する大多数の有権者の声を反映しておらず、実際に選挙ではその主張が正しいと証明されたとも言える。
トランプに刃向かえば何が起きるのか
トランプ氏に刃向かうとどうなるのか。チェイニー氏だけでなく、その支援者にまで嫌がらせが及んでいた。

「お前を選挙で落としてやる。これは脅しじゃない。本気だ」
これはチェイニー氏の支援者の留守番電話に残されていたメッセージだ。聞かせてくれたのは地元の州議会議員、ケール・ケース氏。チェイニー氏支持を表明したあと、嫌がらせのメールや電話が殺到するようになったという。
携帯電話には大量の脅しや嫌がらせのメッセージが残されており、これ以上録音ができない状態にまでなっていた。
数十年来の友人や支援者、子どもの結婚式に出席するほど親しかった人々との関係も途絶えた。
ケース議員はチェイニー氏を支持する自身の立場に反対する人がいることよりも、そうした人たちと議論できなくなっていることの深刻さを語った。意見の違いを乗り越えて議論しあうという民主主義の根幹が揺らいでいるとの指摘だった。

「なぜ立場が異なるのか、なぜ相手がそう考えるのかという議論すらできない。人々はすべて敵か味方かだけで判断するようになってしまった。私はチェイニー氏を支持しているだけでなく、彼女が選挙や民主主義のシステムそのものを尊重することを体現しているから支持しているのです」
選挙期間中、チェイニー氏は大規模な集会など通常の選挙活動をすることはほとんどなかった。集会は個人の住宅などでの招待制の小規模なものに限られた。その理由はトランプ氏に批判的なことで殺害を含めた脅迫を受けていることが背景にあるとされている。
チェイニー氏やケース議員が訴えていたのはトランプ氏の選挙不正の主張の危険性だけではなく、立場の異なる相手を徹底的に攻撃するスタイルが国民の分断を深めてしまっているとの問題意識だった。
援軍は意外なところから
選挙戦では、意外な一面も垣間見ることができた。苦戦が報じられていたチェイニー氏を支援するために対立する民主党の支持者らが相次いで支援に回ったのだ。
共和党の予備選挙に投票するためには共和党に党員登録する必要がある。このため一時的に政党登録を民主党から共和党に変更してまでチェイニー氏に投票する人々が出始めたのだ。

取材に応じてくれたジェーン・イフランドさんもその一人だ。40年以上にわたって民主党一筋だったイフランドさんが、地元の役所で党員登録を変更するというので同行させてもらった。
変更の際にイフランドさんは「私が共和党員になるなんて信じられない」と何度もつぶやいていた。
イフランドさんはこれまで共和党やチェイニー氏の政策や価値観のほぼすべてに反対してきた。それでもトランプ氏が選挙の不正を主張し、国を分断させるのを止めるために、苦渋の決断をしたと説明してくれた。

「トランプ氏がアメリカ政治の舞台に残り続けるかどうかを決める上で、これが私にできる精一杯のことですから」
事前投票で、チェイニー氏に一票を投じたイフランドさんは、その決断の重さを示すように目に涙を浮かべていた。
こうした形でチェイニー氏に投票した人は数千人にのぼったと見られている。
選挙結果がもたらしたもの
チェイニー氏の惨敗は何を意味するのか。ブルッキングス研究所でアメリカ政治を研究しているエレイン・ケイマーク上級研究員はこう説明した。

「トランプ氏が主張し続けてきた選挙不正のうそを多くの人が信じたという危険なメッセージです。ただ、これはまだ予備選挙です。全米でトランプ氏の支援を受けた候補者が11月の中間選挙で勝利するかどうかを見極める必要があります。民主主義が脅かされているかはそのときに明らかになるでしょう」
トランプ氏に立ち向かって破れた共和党議員はチェイニー氏だけではない。
トランプ氏の弾劾訴追に賛成した共和党の下院議員10人のうち、今回の予備選挙で4人は立候補をせず、チェイニー氏を含む4人は敗北、勝利したのは2人にとどまっている。共和党支持者の間でのトランプ氏の影響力の大きさがうかがえる。
立候補しなかった4人がそう決断したのは家族や自身への殺害の脅迫を受けたことが理由の一部だったとも報じられている。
「彼らは本当に信じているだけだ」

選挙の翌日、チェイニー氏を支援していたケース議員に、選挙結果は有権者がトランプ氏が主張する選挙不正を受け入れたということなのかと尋ねてみた。
しばらく考えた末にケース氏はこう答えた。
「彼らは心から選挙の不正を信じているだけです。民主主義を否定している感覚はありません。トランプ氏の主張や考えを心から信頼していることが証明されたのだと思います。この流れは当面続くでしょう。ワイオミング州にとっては悲しいことです」
一連の予備選挙ではトランプ氏が支援した候補者の多くが勝利している。ワシントン・ポストによると、接戦となった予備選挙ではこれまでのところトランプ氏が支持した、現職でない候補者の勝敗は38勝10敗、勝ちが負けを大きく上回っている。
この流れはどこまで続くのか。トランプ氏がその影響力を維持しながら、アメリカは11月の中間選挙を迎えることになる。