
「もう妹じゃないし、お兄ちゃんって呼ばないから」
大好きだった兄。こう言って家族の関係を断ちました。
でも、兄が死んだ今、その言葉を言ったことを強く後悔しています。
なぜ兄が死ななければいけなかったのか。残された妹は、今も考え続けています。
(国際部記者 紙野武広)
消えない後悔
「お兄ちゃんに言い過ぎてしまったと、後悔しています。思い出すと、涙がこみ上げてきます」

日本で暮らすミャンマー人のネイさん(仮名)は、涙を流しながら、言葉を振り絞りました。
8歳上の兄は、25年間ミャンマー軍に勤務してきた軍人。ただ、2021年、突然、この世を去りました。
日本に来て働いていたネイさんのことをいつも気にかけ、ネイさんにとっても、きょうだいの中で一番信頼できる存在でした。
だからこそ、なぜあんな言葉を言ってしまったのかと思い出すたび、胸が締めつけられるような気持ちになるといいます。
大好きなお兄ちゃん
ネイさんの兄は優しく、周囲の人たちを楽しませるのが大好きな人だったといいます。
幼い頃、ネイさんがおなかをすかせていると、父親の財布からこっそり小銭をくすねて、おやつを買ってくれました。
親に叱られた時、兄は、ネイさんの前に出て、いつもかばってくれました。
ある時、果物の苗木を買って、きょうだいみんなで育てたことがありましたが、兄の苗木が一番最初に枯れてしまいました。
一方、一番大きく育ったのはネイさんの木。それを見て兄はこう言いました。
「俺の方が先に死ぬけど、ネイはいい人生を送れるね」
冗談のつもりだったんだろうと思います。でも、その言葉は、現実になってしまいました。
すべてを変えたクーデター
そんな兄との関係を変えてしまったのが、2021年にミャンマーで起きた軍によるクーデターです。
兄も勤務していた軍は、クーデターに抵抗する市民に対して、銃などを使って弾圧するようになりました。
犠牲者が多数出る中、市民は、職場を放棄するなど、非暴力で軍に反対する姿勢を示し続けています。
こうした中、ネイさんはクーデターの直後から、兄に対して、軍を辞めて市民といっしょに抵抗運動に参加してほしいと頼み続けました。
「自分も軍を辞めて市民運動に参加したい」
「自分の心も市民の側にある」

ネイさんの頼みに、兄はこう言ってくれたこともありました。軍への抗議を示す3本指を示したこともありました。
ただ、兄が軍を辞めることはありませんでした。
優しくて、いつも自分の味方でいてくれた兄が、なんで市民の力になってくれないのか。市民を弾圧する軍に残り続けるのか。もどかしくて、悔しくて、たまりませんでした。
気づくと、怒りにまかせて兄に対して言葉をぶつけていました。
「抵抗運動に参加しないなら、あなたは私のお兄ちゃんじゃない。もう妹じゃないし、お兄ちゃんって呼ばないから」
兄の死
それから4か月ほど、ネイさんは日本で行われているミャンマー軍への抗議デモに参加したり、募金活動をしたりして、母国の支援を続けていました。
その間、兄とは一度も連絡を取りませんでした。
ところが2021年8月、親戚から突然の連絡がありました。兄の自殺を知らせる内容でした。電話越しで親戚は、兄は軍の施設の敷地内で自殺したと話していました。
「お兄ちゃんが死んだ」
実感はわかず、信じられませんでした。ただ、いつまでも涙が止まりませんでした。
しばらくして、叔父からも連絡がありました。兄が死ぬ数日前に連絡を取っていて、軍を辞めるかどうか悩んでいたと話しました。

市民による激しいデモが行われている地域に行ってデモ隊を鎮圧するよう命令されたものの、行くことを拒み、上官に殴られて歯を折られていたこと。叔父に電話した5日後には軍を辞めると言っていたこと。
死ぬ直前まで悩み続けていた兄。
その兄は、叔父と話して5日もたたないうちに自殺しました。
兄を死へと追い込んだ理由
私のせいなんじゃないか。
兄のことを追い込んでしまったんじゃないか。
悩んでいることも知らずに、一方的に、軍に残り続ける兄に腹を立て、家族としての関係を断ってしまった。
ネイさんは、そのことを今も悔やんでいます。
そして、気にかけていたネイさんとも連絡を取ることができなくなり、ひとりで悩んだ末、出口を見つけられなくなってしまったのかもしれない。
ネイさんは、兄が死を選んだ理由について、考え続けています。

「お兄ちゃんは、国民を守るために軍人になりました。だから、みんなを攻撃するように命令されると『こんなことはやりたくない』といつも言っていたようです。でも、もし軍を辞めれば、家族が捕まえられて処罰を受けます。だから、どうすることもできず、自殺するしかなかったのだと思います」
兵士も追い込むミャンマー軍

ミャンマーでは、2021年2月のクーデターのあと、軍による激しい弾圧によって市民の犠牲者は1900人を超えています。
軍をやめた兵士によると、弾圧の背景には、抵抗する市民の意思を砕こうというねらいがあるとみられています。
一方で、こうした軍のあり方に反発する兵士も相次いでいて、脱走する兵士を支援する団体によると、これまでに数千人が軍から逃げ出し、軍に抵抗する民主派勢力に加わるなどしているということです。
しかし、ミャンマー軍は、こうした兵士たちに厳しい取り締まりを行っていて、「捕まえた脱走兵は処刑する」という命令を出しているだけでなく、逃げ出した兵士が見つからない場合は、家にまで押しかけて圧力をかけるなど強引な手段をとることもあるといいます。
また、こうした状況に苦悩して、みずから命を絶つ兵士も出てきているということです。
分断される国民

軍と市民の間で苦悩する兵士がいる一方、市民の中では兵士を「憎む」ような感情がSNS上にあふれているといいます。
実際にSNS上を確認してみると、死亡した兵士に対して「お祝いしよう」「ぶざまな死にざまだ」といったコメントが投稿されていました。
こうした状況を見るたび、兄を亡くしたネイさんは、ミャンマー軍への怒りを覚えると話しました。
「兵士がすべて悪い人なわけではありません。軍服を着ていても生身の人間で、感情もあり、葛藤を感じることだってあります。軍がクーデターを起こさなければ、社会も経済も平穏だったはずです。すべての原因は、軍にあるのです」