2022年7月12日
中国 香港

【今の香港で起きていること⑧】“We Are Hong Kong” 香港から日本へ問いかけること

1年前、国家安全維持法の施行を前に林鄭月娥行政長官は「法律が影響を与えるのはごく一部の人たちだけだ」と何度も強調した。しかしこの間、法律によって生活が一変した人たちはごく一部どころか、私が思いつくだけでも数えきれないほどいる。

※この記事は2021年12月27日に公開したものです

起きていることは何か

それは多くの市民が大切にしてきたものとの別れの連続。

発言力を増した警察出身の政府高官が、毎日のように口にする「国家の安全」ということばは、反対意見を抑え込むための常套句になった。

そして市民が望みを託そうとした政治家たちも、突然のルール変更によって政治への道を絶たれている。中国政府や香港政府の高官は、「愛国者による香港の統治」は「異なる意見を排除するものではない」と繰り返す。しかし誰が「愛国者」かを決めることが出来るのは、市民ではない。

これまでの主張を続けようとする人にとって、残された選択肢は多くない。それが今の香港だ。

口を閉ざさない鄒さんと黎智英氏、そして「記者姉さん」

2021年12月13日、天安門事件の追悼集会を主催してきた市民団体、支連会の副代表、鄒幸彤氏すう・こうとうと、「リンゴ日報」創業者、黎智英氏らの判決言い渡しがあった。

毎年、追悼集会が行われてきた2020年6月4日の夜、会場だった公園に大勢の市民が集まったことを巡って、無許可の集会に参加するよう市民をあおった罪などに問われたものだ。

支連会の関係者や民主活動家らあわせて26人(うち2人は海外に逃れた)が起訴されたが、ほとんどの被告が罪を認めて有罪判決を受けていた。最後まで罪を認めなかったのは3人。鄒氏と黎氏、それにもう1人、「記者姉さん」と呼ばれた、何桂藍氏か・けいらん(31)だった。

左から鄒幸彤氏、黎智英氏、何桂藍氏

判決の言い渡しを前に、3人は最後の陳述を行った。

黎智英氏は2020年6月4日、昼に公園の入り口で行われた支連会の記者会見の場に居合わせただけだった。公園の中に入ることも発言することもなかった。私もその場を見ていた。黎氏はろうそくを持って15分間、その場にいただけで、市民をあおった罪にはあたらないと主張していた。

弁護士が黎氏の手書きの陳述書を読み上げた。

黎氏の陳述書
「もし不正義のために亡くなった人たちを追悼することが、犯罪だというのであれば、どうぞ私を罰してください。私は、真相と正義を求めて6月4日に血を流した若者たちの苦難と栄光を分かち合いたい」

続いて鄒幸彤氏が、英語で用意してきた陳述書を読み上げた。

鄒幸彤氏
「32年前の北京で起きたことについて真に責任をとるべき人はだれなのか。その人たちが罰せられることなく、真相を求めてきた人たちが犯罪者にされることの不正義は、この32年間ずっと中国本土で続いてきたことだった。いまやそれが香港でも起きている」

そして最後に何桂藍氏。まっすぐ裁判官に向かい、短く述べた。

何桂藍氏
「きょうの判決はあの日あの場所に集まった大勢の市民すべてに対する判決だと受け止めます」

何桂藍氏

何桂藍氏も私が取材したことのある1人だ。インターネットメディアの記者として、2019年のデモを熱心に取材していた。

彼女は天安門事件の犠牲者を毎年追悼してきた鄒氏や黎氏とは、立場が少し異なる。

彼女が2020年6月4日にあの公園に行ったのは、警察が集会を禁止したことに抗議するためだった。これまでの裁判でも「追悼の活動には賛同していなかった」と明言している。それでも鄒氏らとともに最後まで争う姿勢を貫いたのは、元記者として「市民の集会の自由が奪われることは容認できない」という強い思いからだった。

裁判官は3人を有罪と判断し、黎氏に禁錮1年1か月、鄒氏に禁錮1年、何氏に禁錮6か月を言い渡した。

黎氏は身動きもせず、じっと聞いていた。鄒氏と何氏はずっと2人でリズムをとりながら、左右に体を揺らしていた。裁判官が言うことなど、まるで気にかけていない様子だった。

3人はそれぞれ別に国家安全維持法違反の罪に問われ、裁判が続いている。この裁判が実刑かどうかに関わらず、拘束された状態は続くし、そしていつ終わるのかのめどすら立っていない。

判決の言い渡しが終わった法廷では、傍聴席からいつまでも「頑張れ、頑張れ」というエールの声が響いていた。

ショッピングモールに突然響いた市民のコール

徹底した抑え込みで混乱が収まったように見える今の香港だが、それでも市民1人1人の頭の中、心の中まで統制することはできないと思う時がある。東京オリンピックさなかのショッピングモールでこんなことがあった。

香港のフェンシングの選手が金メダルを獲得した時のこと。香港にとって25年ぶり2個目、1997年の中国返還後では初めての金メダルだった。

多くの市民が歓喜し見守るなかで、表彰式では香港の旗が掲揚され、中国の国歌が流れた。

ショッピングモールで表彰式を見守る人々

香港は中国の一部なのだから当然だが、このとき市民の中からブーイングとともに「私たちは香港(We are Hong Kong)」というコールが響いた。

私が週1回通う広東語教室の先生は「これまでは中国の選手が出ていれば何となく応援していたけれど、今回は応援する気になれない」と話していた。

「愛国心」が高まるオリンピックで集まった人たちが強く意識したのは「中国」ではなく、自分たちの住む「香港」だったのだ。

裁判所では今でも

私が裁判所に通い始めた1年半前に比べると、確かに「傍聴師」「送車師」の数は減った。裁判所の前で何かのアピールを行うことがいっそう難しくなりつつあるからだ。周辺でするどい目を向ける警察官の数は何倍にも増えた。裁判がある日には朝早くからオレンジ色の規制線が張られ、車が出入りする駐車場にも容易には近づけなくなった。

最後まで罪を認めなかった鄒幸彤氏らの裁判の最中、印象的なことがあった。法廷内にいた男性が、傍聴席を次の人に譲るため退廷しようとした時、被告席に向かって頭を下げたのだ。法廷に出入りする時に正面に向かって一礼をする形式的なおじぎではなく、心をこめてゆっくりと、そして深々と。被告たちに敬意を示そうとするその姿に、思わず胸が熱くなった。

また12月のある日には裁判所近くで初老の男性が、クリスマスカードの束が入った紙袋を両手に抱え、集まった人たちに配っていた。拘置所や刑務所で年末を迎える被告や、留守を守るその家族たちにメッセージを書こうと呼びかけていたのだ。1人で何枚も受け取る人たちが次々に現れ、みるみるうちに用意した数十枚がさばけていく。それを見てまだ多くの人たちが、拘束されたままの「仲間」たちと同じ気持ちなのだと思った。

拘置所からの手紙

この秋、拘置所に勾留されている活動家から手紙を受け取った。国家転覆を図ったとして国家安全維持法違反の罪に問われている47人の1人だ。起訴されたことへの不満がつづられていた。

それとは別に、もう1年以上になる「中」での暮らしぶりについても書かれていた。

ほかの勾留者からの薦めで読んだ東野圭吾氏の推理小説にはまり、中国語に翻訳された東野作品をもう10冊以上読んだのだという。また仲間たちと村上春樹氏はノーベル賞をとれるだろうかという話題になり、「ノルウェイの森」を読み返したら日本を旅行している気分になったとあった。「中」に入って読書の新たな楽しみを見つけたのだという。

傍聴席から見かけた時にはとてもやせたように思えたが、不自由な生活の中で日本の小説が癒やしになっていることが、少しうれしかった。面会を続ける支援者によると、元気に裁判に向けて準備を進めているという。

まだできることがある

赴任以来、ずっと突きつけられている問いがある。

「私たちはどんな社会で生きていきたいのか」

香港での取材を通じて、当たり前だと思ってきた価値観が、統治する側の意向次第でどのようにでも、あっという間に変わりうることを痛感させられている。

香港にいると日本での選挙が話題に上るたびに「なぜこんなに投票率が低いのか理解できない」と、とても悔しそうに話す人に出会う。「私たちの欲しいものを持っているのに、その権利を使わないなんてもったいない」と。

自分たちの国や街をどんな社会にしたいのか。私たちはきちんと民意で示し、決めることができるのだ。でもそんな環境を守るのは簡単ではないことを、いま一度かみしめなければならないと思っている。

香港の「音」】街中を走るトラム

香港の「音」】街の市場

香港の「音」】繁華街(銅鑼湾)

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。まだまだ書き足りないこともありますが、もう少し香港の状況を見つめつつ、また機会を見つけてお伝えできればと思います。

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