
ことし2月、上野動物園の「シャンシャン」、それに、16頭の子どもをもうけたスーパーパパ「永明」など、4頭のパンダが中国に返還されました。
日本で愛されたパンダたちは、今後、中国でどのような生活を送るのか。
私はカメラを抱え、返還先となる四川省の施設に向かいました。広大な敷地で取材を始めると、目に飛び込んできたのは“パンダの楽園”と書かれた赤い文字でした。
(中国総局カメラマン 海津悠紀)
“パンダのふるさと”四川省へ
4頭のパンダの返還に先立って、私が向かったのは四川省の中心都市・成都です。
私が駐在する北京からは飛行機で3時間。シャンシャンのように、東京から直行便で行く場合は5時間半ほどかかる場所です。
四川省はまさにパンダのふるさとです。
およそ1800頭いる野生のパンダのうち、7割以上が四川省に生息しています。

パンダの繁殖や飼育、野生に復帰させる取り組みを行う世界的に有名な保護研究センターもあり、その一部は観光客に開放されています。
ちなみに、ここ四川省を代表する料理は、日本でもおなじみのマーボー豆腐。パンダたちは知るよしもありませんが、しびれるほど辛いのが四川料理の特徴です。
シャンシャン 新生活はどこで
日本から返還されたパンダ4頭は2つの場所に分かれて隔離されています。
私は成都の空港に到着したあと、はじめに南西に100キロあまり離れた「雅安」という町に向かいました。雅安はシャンシャンが移送された場所です。
道中、車窓から見える山々の斜面はうっそうとした竹で覆われ、パンダの取材に向かう気分が盛り上がります。澄みきった水が流れる小川の脇には、川魚料理をふるまうレストランが並んでいて、自然の豊かさを感じます。
車で走ること2時間半、ようやく目的地の「中国ジャイアントパンダ保護研究センター・雅安碧峰峡基地」に到着しました。国の研究施設ということもあり、敷地は広大です。

公式ホームページによると、なんと400ヘクタールもあります。
東京ドームおよそ85個分の大きさです。そこの一角に、およそ60頭のパンダが飼育されています。
帰国パンダ楽園?!
基地には遊歩道が整備されています。緑に囲まれた中を歩くのは、さながらハイキングのようです。
山を切り開いて作られた起伏のある道を進んでいきます。すると、ひときわ大きな文字が目に飛び込んできました。

「帰国パンダ楽園」
岩に赤字でそう書かれていました。
中国語の文字の横には、日本語でも書かれています。
海外から返還されたパンダがいるのだろうと歩みを進めると、ちょうどパンダが竹を食べているところでした。名前を見ると「貝貝」となっています。
近くで観察 竹をバリバリとかみ砕く音も聞こえる

「貝貝」は、2015年にアメリカで生まれ、その年に米中首脳会談にあわせて習近平国家主席とともに訪問した彭麗媛夫人が、オバマ大統領のミシェル夫人と一緒に命名。
両国の友好を演出したパンダとして知られているそうです。
その「貝貝」と私との距離は実におよそ5メートル。竹をバリバリとかみ砕く音がはっきりと聞こえるほどの近さです。
パンダにとって「楽園」なのかは私にはわかりませんが、飼育エリアには森のように木々が広がっていました。動物園とは違って、一見するとまさに山の中。自然に近い環境だと感じました。
シャンシャンは2月21日に到着し、検疫のため1か月間、この施設の一角で隔離されます。その後、最終的にどこで飼育されるかはまだ明らかになっていません。
中国ジャイアントパンダ保護研究センターは、四川省に4つの施設を持っていますが、どの場所も豊かな自然に囲まれ、えさとなる竹も豊富にあります。
シャンシャンは隔離を終えたあと、3月下旬に四川省のどこかで一般公開される予定です。
16頭の子どももうけた永明は どこに
私が次に向かったのが、成都の中心部からもアクセスのよい「成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地」。通称「成都パンダ基地」です。
入り口には、パンダの形をした巨大なゲートが待ち構えていました。

この施設は、和歌山県白浜町にあるテーマパーク「アドベンチャーワールド」と、パンダの繁殖について共同研究を行っています。
返還された▼30歳のオスの「永明」、▼8歳のメスの双子「桜浜」「桃浜」の3頭が過ごします。
「永明」は関西圏を中心に人気のジャイアントパンダです。16頭の子どもをもうけ、世界屈指の繁殖実績を残した「スーパーパパ」として親しまれています。
人間に例えると90歳に相当するという「永明」。パンダ基地では、高齢のパンダが健康に暮らせる飼育方法を研究することになっています。
「永明」の子どもたちの姿も
このパンダ基地には、およそ230頭のパンダが飼育されています。そのなかには、和歌山県で生まれ、先に返還された4頭の「永明」の子どもたちもいます。
今回の取材の目的の1つは、その子どもたちの映像を撮影することでした。

しかし、お目当てのパンダを探すことは簡単ではありません。
というのも、敷地面積230ヘクタールを超え、東京ドーム50個分の広さがあるからです。
私はまず、永明の初めての子ども「雄浜」を探すことにしました。「雄浜」は2001年に生まれ、2004年に返還されました。
スタッフにおおよその飼育エリアを聞き、すぐに見つかるだろうと向かいました。しかし、歩き回ること3時間。なかなか見つかりません。
この間に50頭以上のパンダを見ましたが、私には見た目では区別がつかないため、柵にとりつけられた看板の名前を1つ1つチェックするほかありません。
遊歩道が整備されているとはいえ、迷路のように入り組んでいます。起伏もあるため体力を消耗します。スマホの歩数計を見ると、すでに2万歩を超えていました。
「ションバン!ションバン!」
歩き疲れてきたところ、中国人の観光客が竹を食べているパンダに向かって名前を呼びかけていました。
「雄浜」の中国語読みです。ようやく出会えました。

ただ、喜びもつかの間、食事をしている光景は貴重な撮影のチャンス。これを逃すわけにはいきません。
元気に動き回っている映像を次にいつ撮影できるか、わからないからです。
あわててカメラを取り出し撮影を開始。撮影を始めて5分ほど、やはり「雄浜」は木の下で寝てしまいました。活動している姿を撮影できたのはラッキーでした。
今回は4頭の子どものうち2頭を撮影しました。広大な敷地には、有料の電動車も走っています。
子連れでこの施設を訪れる観光客には電動車での移動をお勧めします。
ただ、パンダ基地のスタッフによると、飼育されている場所が特定できても、必ずしもその日にいるとは限らないということで、お目当てのパンダに出会えるのかは運も左右しそうです。
飼育員の中には 日本人も
パンダ基地にはおよそ100人の飼育員がいて、実はその中には唯一の外国人飼育員がいます。
日本人の阿部展子さんです。

阿部さんは、日本のパンダファンから一目置かれる存在です。SNSには「阿部さんがいるならパンダが中国に戻っても安心」といった書き込みもあるほどです。
阿部さんは日本の大学を卒業後、四川省の大学で野生動物の保護について学びました。ジャイアントパンダの保護研究センターで働いたあと、日本に戻って上野動物園でパンダの飼育を担当。
しかしそこで、つらい経験をしました。担当するパンダが産んだ初めての赤ちゃんが生後わずか7日目で死んでしまったのです。
2度と悔しい思いをしたくないー。
飼育技術を向上させるため、6年前に成都パンダ基地に戻りました。いまは、中国人の同僚と6人1組でチームを組み、そのリーダー役として2頭のお母さんパンダと6頭の幼いパンダの飼育を担当しています。
16頭のパパパンダの「永明」について、阿部さんは「アドベンチャーワールドのスタッフから、永明はグルメで竹のより好みをすると聞きましたので、毎朝とれたての新鮮な竹を提供したい。四川省の竹をバクバク元気に食べている姿を見てもらい、日本のファンに安心してもらいたい」と話しています。
この施設では、およそ10種類の竹を準備していて、その中から季節に応じ3種類ほどの竹をえさとして提供しているということです。

また、今回返還された8歳のメスの双子「桜浜」と「桃浜」の繁殖が成功した場合、阿部さんもその子どもたちの飼育を担当する可能性もあるということです。
日本で愛されたパンダたちは、中国のパンダファンからも注目を集め、現地でも大いに歓迎されているようです。
一般公開されたら、再び現地を訪れ、竹をむしゃむしゃ食べるパンダたちの姿にレンズを向けたいと考えています。