
ウクライナから数多くの避難者が逃れてくる、隣国ルーマニアの鉄道駅。4月上旬、到着したばかりの1組の夫婦と、駅の待合室で出会いました。
声をかけると、やつれた様子で、ウクライナ東部のマリウポリから避難してきたことを教えてくれました。

夫は、アナトリーさん、妻はアーラさんといい、ともに63歳でした。
ロシア軍による侵攻後、蓄えていた食料は底を尽き、自宅は爆破されてしまったといいます。
ロシア軍によって、強制的にロシアに連れて行かれそうになりましたが、ボランティアの助けを得て、車や列車を乗り継いで、ルーマニアまで逃れてきたのだと話しました。

「今夜、泊まる場所がありません。これからどうしたらいいのでしょうか」
途方に暮れ、涙ながらに話す2人の姿を見た、1人のルーマニア人の女性が「私の自宅で受け入れる」と声をかけ、首都ブカレストにある彼女の家で、一時的に滞在させてもらえることになりました。
翌日、改めて夫婦の滞在先を訪れると、駅で会ったときには見られなかった、明るい表情を、少しだけ見ることができました。

「近所を散歩しました。ブカレストは美しい街ですね。マリウポリも戦争がなければ、この街のように美しい都市に発展していたはずです」
そう話すアーラさんですが、ブカレストの空を飛行機が飛んでいるのを目にしたときは、身構えたといいます。爆撃機が来たと、反射的に受け止めてしまったからです。
「あなたに見せられなくて残念」
アーラさんが私に「見せたい」と言ってくれたのは、住んでいたマンションの前にあったという、きれいな花壇。でも、空爆ですべて無くなったといいます。

これまで見てきたことや感じたこと。ふるさとマリウポリのこと。アーラさんと夫のアナトリーさんは、次から次へと私に話してくれました。
実は、アーラさんとアナトリーさんが話す言葉はすべてロシア語です。ウクライナ東部にはロシア語を話す人が多く、夫婦も「ウクライナ語よりロシア語が得意」だといいます。
そして、私(記者)自身は、大学時代ロシア語学科で学んでいたことから、ロシア語で会話をすることができました。2人は、異国の地でロシア語を使って気兼ねなく話せる相手が見つかり、安心しているように見えました。
一方で、侵攻して多くのウクライナ人の命を奪っているロシアの言葉「ロシア語」を使うことに複雑な気持ちを抱いていないのか。率直な疑問を投げかけてみました。

「私たちは、ずっとロシア語を使って生活してきました。もちろん、戦争のせいで、ロシア語を憎むようになり、ロシア語を一切使わなくなったウクライナ人もたくさんいます。でも言葉は言葉でしかありません。言葉に罪はありません。それに、ロシア語があるから、私たちもあなたとこうやって、分かり合うことができたのです」
過去、ウクライナでは、ウクライナ語を使うことが禁止され、ロシア語の使用が強制された時代がありました。
こうした複雑な歴史から、今もウクライナには、ロシア語を日常的に使う人たちが数多く暮らしています。そして、アナトリーさんとアーラさんは、使う言葉はロシア語でも「ウクライナ人」としての誇りを持っています。
「同じ言葉を使う国」が始めた軍事侵攻によって、罪のない人たちが苦しみ、互いを分かり合うためにこそ使われるべき言葉が、憎しみの対象になってしまっている。
夫婦との会話を思い出すたび、今、ウクライナで起きている現状に、やり場のない感情を覚えます。