新型コロナウイルス 感染者・家族 遺族の証言
夫の死から2か月
日常を取り戻そうとする
社会の中で…

結婚記念日を祝うため夫婦でクルーズ船に乗船し新型コロナウイルスで夫を亡くした女性。4月4日に行ったインタビューをこのページでお伝えしましたが、夫の死から2か月近くたってようやく葬儀が執り行われました。女性はこの日々をどんな思いで過ごしてきたのか、再び話を聞きました。

4月4日に行ったインタビューはこちら

癒えない喪失感

女性とは前回の取材以降もたびたび連絡をとりあってきた。ようやく葬儀を行うことになったと聞き、自宅を訪ねた

こうやって何か月か過ぎたけれども、過ぎたという感覚が全然ない。相変わらず同じように傷ついているし、悔しいし。彼のことを考えないときはない。四十九日が過ぎるまでは魂がそこの家にいるって言いますからね。だから、まだそこにいるような思い。

ご飯ができたときに、(夫は)たいてい2階にいるから大きな声で「ご飯よ」って私は呼んで。そうすると「おお」とか言いながら、すぐに駆け下りてきてくれる。そういう姿が本当に忘れられないですね。

いろんな手続きだとかに追われて、そのときだけはそちらに集中するから忘れてはいられるけれども、ふっと外れて夕方とか、夜寝る前とか、夜中に目が覚めたとき、彼が感じただろう絶望だとか苦しさだとか、いっぱい想像してしまう。

大事な人を亡くすということは決して過去にならないんだ。それを私は今、身をもって感じているところですよ。いるはずの人がいないという、歯が抜けたような感じというか、何と言うのかしらね、欠落した状態というか。それは、いつ埋まるのか分からない。いつになったら穏やかに笑って彼のことを話せるのか、まだ分からないわ。

時間がたつにつれ、クルーズ船の中でのことが思い出されるという。夫が病院に運ばれたのは発熱を訴えてから4日後だった

相変わらず私の中で、ふに落ちない部分、どうしてあれだけSOSを出しているのに取り扱ってもらえなかったのか。その憤りで眠れなくなっちゃうこともありますよね。体温計を配られたときに、すでに38度超えてたんだから。なぜ対応してくれなかったのか。その、なぜ、なぜというのが、いつも頭の中にありますね。

船の医務室のほうで何が起こっていたのかは分からないけれども、目の前で熱がどんどんどんどん上がっていって、全てをつぶさに見ていたから、何もしてもらえないことに対する憤りと腹立たしさと悔しさと。やっぱり解答が欲しいのね。なんで彼は無視されてしまったのか。そこのところをはっきりさせてほしいのよ。それがないと、私のコロナは終わらないんだ。

ようやく行えた葬儀

葬儀まで2か月近くかかった理由のひとつは、体力的にもぎりぎりの状態が続いてきたためだった

やっと今度の16日の土曜日に、彼の菩提(ぼだい)寺で、お葬式と埋葬をする予定です。やっとそれで落ち着いて、お墓の中に彼がおさまる。私の体力も本当じゃなかったし。だって、船室で閉じ込められていて、それから今度(女性自身の感染が確認されて)隔離病棟で。今度は夫の看病というか、それもタクシーで行ってタクシーで帰ってくる。

それからなるべく感染源にならないようにと思うから、うちにこもりっきり。だから、もう全然、体力に自信はないし。うちで毎日お経をあげて、お線香とかお水とかお茶をずっとあげていて、それで話しかけてたけれど。

でも、それだけでは、やっぱり彼の魂って落ち着かないだろうな。非常に信心深い人だったから。そのまま放っておかれることが、どのぐらい彼にとっても納得がいかないことだったかしらって、すごく思うんですよ。火葬も私と(夫の)すぐ上の兄が、お窯にお棺(かん)が入っていくのを見ただけ。そのときのむなしさというか、哀れさだとか、それは本当に刻まれてしまって忘れられないし。そうやってお骨になったまんまでお寺さんにお預けしていることが本当に気がかりでした。それが終わるというか、一区切りつけられるのかなと思って。ほっとしてますね。

周囲からの励ましも

夫を亡くした直後はクルーズ船に乗っていたことさえ周囲に話していなかった女性。ようやく最近、周囲からの励ましを感じられるようになってきたという

(夫の)仲のよかった大学のお友だちの10人ぐらいのグループがあるんですけども、「彼がそういうかたちで亡くなったのは悔しかっただろう」っていうことをおっしゃっていただいて。そうやって何人か、私の友人も、いろんなメールをくださったり、電話くださったりして、いくぶんか気持ちが和らぎましたけど。

私に「大変な思いをなさいましたね、何かあったらおっしゃってくださいね」という手紙をそっと入れてくださった方が(近所に)あって、それは本当にうれしかったですね。そういう方と、何気なく「おはようございます」とか、ちょっとしたあいさつができる。そういうことにはなっているから、だんだんだんだん分かってきてくださるだろうと思うし。

でも、本当の意味で寄り添ってくれる人と、そうじゃない人っていうのがやっぱり、はっきり見えてきちゃってる。だから、まあ、それもある意味ではよかったかもしれないね、これからの人生に。いろんな意味で自分を深めていく時期なのかしらとも思う。とにかく前向きにという気持ちは、すごくあります。

日常を取り戻そうとする社会の中で

話を聞いたのは、39県で非常事態宣言が解除された5月14日。新型コロナウイルスで家族を失った遺族として、世の中の動きに何を感じているのか

外国でも緩和した途端にまた感染者が出たでしょう。だから、この新型コロナウイルスのしぶとさというか不可解さというか、やっぱり侮っちゃいけないんだというふうに思ってますね。非常事態宣言って、いろんな影響がいろんな人たちに出て大変だと思うけれども、もしも野放しにしてしまったときの感染の広がりを考えたら、これは仕方がないことなんじゃないかしらって思いますね。

こうやってステイホームって言われて、こもっていなきゃならないことの大変さ。でも、コロナで死んじゃうほうがいいんですかって聞きたいぐらい。若いから大丈夫なんていうことは絶対あり得ないし。この感染症で亡くなることの恐ろしさというのを本当に初めて知った。

こういう経験って本当にしたくないし、ほかの方たちにもさせたくないって、すごく思いますよね。

(2020年5月14日取材 社会部 山屋智佳子)