新型コロナウイルス 感染者・家族 遺族の証言
親子で感染 死の恐怖とSNSの中傷

仙台市に住む50代の男性は4月9日に新型コロナウイルスへの感染が確認され、22日、退院しました。しかし不安は拭えません。同様に陽性となった息子をめぐるSNS上の中傷があったからだと言います。

まずは長男 診断は“かぜ”

男性は大学生の20代の長男とふたり暮らし。先に症状が出たのは長男だった。東京で5日間の就職活動をして戻ってきた3月27日の夜、熱が出た

夜に私が帰ってからですかね、横になっていたので「どうした?」って。熱測ってみたら38度台の熱がありまして、たまに熱出す子だったので通常の市販のかぜ薬を飲んで次の朝まで様子を見て。

朝なかなか起きてこなかったんで土曜日で私もいましたから、様子を見に行ったところ、熱があるようなことを言うんで、もう1回測らせたら39度2分かな? 熱出していて。東京から帰って来たっていうことがやっぱ頭にあったもんですから。いちばん感染者多かったですから。どこかで誰かと接触してうつる怖さがあったので、もしかしたらということが少し頭をかすめたんですよ。

とりあえず医者に連れて行かなきゃいけないなということで、近くのかかりつけ医に電話して、「東京から帰って来て」って言ったところ、やっぱり東京っていうのがネックになったみたいで。その病院にはCT設備とかそういう撮影とかできないので「ちょっと受診はお断りしたい」ということで。

そこのかかりつけ医しか行ったことなかったので、どこに行ったらいいのか分かんなくて、東京帰りということでコロナの宮城県のコールセンターに電話しました。

帰国者・接触者相談センターから専用の外来を紹介された

そこでは血液検査と胸のレントゲンとインフルエンザの検査をしたんですが、いずれも異常ないということで、普通の解熱剤とかぜ薬を処方しますと。「これを飲んで熱が下がれば、ただのかぜでしょう」という診断でした。
肺もきれいですねって、素人が見てもわからないんですけど、なにも影みたいなことがなくて、肺炎の兆候もないようだということで、コロナではないのかなと。ただのかぜなんだなとしか感じとらなかったですね。

今度は自分 診断は“長男のかぜがうつった”

30日、長男の熱は下がった。ところが翌日、今度は男性自身に熱が出た

今度私の話になりますけど、息子はもうすっかり下がったんで一安心というところだったんですが、私はちょっと…発熱して。38度なんぼあったな、数字的なところはちょっとはっきり覚えていないですけど、耳が膜張ったように聞こえづらかったので、ちょっとこれ、ただごとじゃないなと思って。

最初に息子も受診した内科に相談して、耳の症状もあるようだって耳鼻科を紹介されました。「寝る方向が悪かったのか、水入って耳垢つまったんだね」っていう形で、それで聞こえるようになったんですけど、かぜの兆候もあって熱もあるし、のども痛いのでって風邪薬と解熱剤を処方してもらいました。まだ体はだるいっていう感じはなかったんですけれども、熱よりも耳の方が心配で。

男性の熱はその後次第に下がり4月3日は平熱に戻った。しかし翌日、再び高熱が

あれ?って思って。ただ、その時もコロナを疑うわけでもなく、また熱上がってきたな、薬効かなくなってきたのかなって。やっぱり耳鼻科の薬じゃ効かないのかなと思って、内科で薬もらおうかっていう感覚で(内科に)行きました。

何も検査はなかったです。「レントゲンとか撮らなくていいですか?」って聞いたら、「息子さんのかぜがうつったんでしょうから」って。

熱は上がったり下がったりを繰り返した

火曜日になって7日か、また熱が出た。朝は全然大丈夫だったんですけど、夕方になって熱が出て。こんなに乱高下するかと思って、ちょっとこれは本格的にやばいなと思ったんで、夜7時ごろにもう一度コールセンターに電話しました。

ようやくつながったのは9時ぐらいで。2時間かけて、ようやくつながって。9時ということで対応できなかったのかもしれないんですけども、「翌日に保健所の方から電話します」っていうことで、その日の夜は処方された薬を飲んで寝ました。

翌日は電話を待ってたら午前中に電話が来まして、いろいろ今までの経緯を話したところ、「熱は続いてはいないけれど、全然おさまってないね」ってことで「PCR検査を受けてください」ということになりました。

ひどかったせき 死の恐怖さえ感じた

最初の発熱から8日後、PCR検査を受けた男性。この頃からひどくなっていたのがせきだったという

もう話しながらせきが出る感じで。電話の向こうの保健所の方も「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」って、せきはひっきりなしに出てた。呼吸が苦しくなるようなせき。1回出ると何回もこう10回とかそのくらい何回も、げほげほ、げほげほ出る感じ。

特に夜寝る時はせきで目覚める。あおむけになってると出やすくなる感じで、横向きになって寝たりとか。腹筋がこらえられなくなって、ちょうどみぞおちのあたりの腹筋がつりそうな感じにもなって、もう本当に苦しかった覚えがありますね。

腰もかなり痛かった。ずっと寝てたせいもあるんでしょうけど、立って歩けないくらい、つえついてよぼよぼって歩くようなおじいちゃんのような感じで歩いてましたね。このまま呼吸困難になったら、呼吸できなくなったらどうなるんだろうなって思ったこともありました。もうそのまま死ぬんじゃないかなと、そこまで思ったことありました。

息子に「もしせき止まらなかったら救急車呼んでくれよ」とまで言ったような覚えがあります。

検査の翌日に陽性と判明し、男性は4月10日に入院した

入院したその日の夜からアビガン投与と吸引薬、オルベスコっていうやつを処方されました。(オルベスコの)吸引は1日3回、1回が2プッシュずつ。私はこの吸引薬がいちばん嫌で、逆にむせてせきが出てくるんですよ。すーって吸い込んだときに本当は息5秒から10秒くらい止めなきゃいけないんですけど、その間にむせちゃって。すぐには効かなかったような気がするんですけど、徐々に効いていって、知らないうちに楽になっていたというか…。せきがだんだん、腹の底から来るようなせきじゃなくなってきました。

長男も感染確認

濃厚接触者として検査を受けた長男も、男性が入院した翌日に陽性と判明。長男は12日、男性と同じ病院に入院した

家で同じもの食べて、この狭い空間で生活していたら、うつるのは当然だわなって2人では言ってました。ニュースでもやっぱり家族でかかったっていうのは結構多かったですから。私も息子も熱あるときは出かけなかったですね。

熱が下がったときは、生活していますから、いろんな食料だったりそういうものはスーパーに行ったり。やっぱり生活ありますから。特にうちは私と息子の2人暮らしなので、買い物に行かないわけにもいかず。そのときもマスクはして。あとは、いつも店員さんにレジ打ってもらうんですけど、セルフレジに並んだりとか。コロナだって言われれば、それは外出しませんけど、やっぱり最初に息子が熱出して、平熱に戻って、「かぜだ」と医者に言われたことがどこかに残っていて。

でも、「もしかしたらコロナかもしれない」ってことは(頭の)片隅ではあって、人とあまり近づかないようにしていました。

予期せぬ中傷

男性は陰性となり4月22日に退院。しかし不安は拭えない。長男をめぐって思わぬ非難が起こったためだ。男性はこう説明した

息子が陽性だと判明してそれで11日かな。11日に大学が休みだったんで事務局も休みだろうということで部活の顧問に(息子が)電話したと。顧問にコロナに感染したと(連絡した)。

その内容は詳しくは聞いていないんですけど、そこでいろいろ聞かれたんだと思います。「部活はしたのか?」って聞かれたと思うんですけど、息子は前日の保健所との話で発熱後の行動を調査されてたんですけど、息子はその頭しかなくて、顧問にも発熱後の行動だと思って「大学には行っていない。部活には行っていない」と報告したと。

そのあとのアルバイトも、医者から「解熱すればただのかぜだよ」という話しをされていたので、本人はコロナの疑いもなくてアルバイトに行っていた。その辺を(顧問に)報告しなかったのは、本人は、私が入院して1人でいる中で気が動転したとか、慌ててたとか、不安があったとか、いろんな絡みで言うのを忘れてしまったというのが本当だと思うんですけど。

翌日、大学はホームページで「東京から帰って以降、一貫して自宅待機していた」と公表した

12日に訂正の電話を入れようとしたところで、顧問の先生からもう一度電話来たらしいんですね。そこで初めて(東京から戻ってきた)3月27日の昼に部活に行ったと。(感染が確認される前の)4日には友人の家に行って30分くらいいたと。で、アルバイトもしたと、そこで初めて顧問に言ったんですが、そのときすでに遅しで。

大学は3日後、「調査が不十分だった」として内容を訂正。アルバイトや友人の家に行っていたことをホームページに掲載した。これをきっかけにSNS上で非難する投稿が相次いだ。中には「検査で陽性が出てからバイトに行った」などの誤った情報もあった

東京に住んでいる娘から聞かされて初めて知ってネットで調べたら、これはまずいなって。もうすでに(入院中で)部屋は別々で顔を合わせることはできなくて、LINEや電話でやり取りしていたんですけど。なんでいちばん大事なところを報告しないのかって、いきなり怒ったんですけど。もう言っても仕方ないですから。

投稿見てみると、いいこと書いている人は誰1人いなくて。なかには「コロナって分かっているのになんで出かけたの」とか、「東京へ遊びに行ってうつされたんだろう」とかいろんなひぼう中傷があって、それを息子も見たもんですから。かなり傷ついてまして。「死ね」まで言われましたからね。

何かにつけてああいう批判とかあるのは知ってましたけど、いざ自分がそういう立場に立ってみると、やっぱり何も知らないわけですよね。投稿したり文句を言ったりする人。何好きなこと言ってんだって。本当の事情知らないくせに何言ってんだ、このやろうって。芸能人だと弁明する場所とかあるので、一般のわれわれもそういう場所があったら、出て行って釈明したいなという気持ちにもなりましたね。

取材を受けることで誤解を晴らしたいと考えたという男性。長男は今も入院している

息子は「学校に行けない」みたいになってまして、これはどうしようかって。大学ともやり取りしたけど何も応じてくれなくて。「彼はうそをついていない」みたいなことをホームページなりで言ってもらえれば、また変わったのかなと思います。その交渉もしたんですけど受け入れてもらえなくて。

娘がまとめたお願い文を学長に送ったんですけど、大学がどう動いてくれるのか。大学がまだ始まっていないんですけど、再開されて学生が通うようになったときに本人は負い目を感じていくと思うんですよ。後ろ指さされているような気にもなると思うんです。

犯人捜しみたいな感じで学生の間で騒がれると彼の居場所がなくなるので、それがいちばん心配しているところです。

(2020年4月22日取材 仙台放送局 平山真希)