私はこう考える
『危機の中だからこそ 民主主義の強化を』
東京大学 宇野重規さん

新型コロナウイルスの感染拡大という危機の中で、政治に強いリーダーシップを求める声は国内外で上がりました。そんな中、民主主義はどうあるべきなのか。国内外の政治や民主主義の歴史を研究している政治学者の宇野重規さんに伺いました。(2020年5月25日)

充実していなかった政治の危機管理システム

新型コロナウイルスの感染拡大の中で、日本の政治や民主主義の現状をどのように分析されますか?

宇野さん
日本においては政治の危機管理システムが十分ではなかったということです。阪神・淡路大震災以来、多くの自治体に危機管理監が設けられましたし、官邸においても危機管理システムが作られました。

これにより突発的な災害には対応できていると思いますが、今回のように危機が長期化し、通常の法律のルールを超え、休業補償みたいな社会経済的な話も含めて、ある程度長期的なものを考えるためのスタッフや組織があるかというと、今はすごく短期的なものしかできていない。

中長期的に物事を判断していくときに、リーダーの意思決定をサポートし、場合によってはリーダーに諌言(かんげん)してでも行動できるようなポストなり仕組みなりを本当は作っておくべきだった、もっと充実させておくべきだっと思います。

政治と科学者に適切な距離を

具体的にはどういうことですか?

宇野さん
こういう危機のとき、いつもやっている政治のコアメンバー、首相と側近だけで決めるというのは非常にぜい弱です。必要とされるのは科学的な専門家の視点です。今回、専門家の力をうまく取り込むということに関して、遅かったし非常に躊躇(ちゅうちょ)があったと思います。

例えば、韓国やヨーロッパなどと比較してみても、科学技術の専門家をある程度集めておいて組織化し、政治的なアドバイスをできるようにする仕組みは充実させてしかるべきでした。ただし、反面、専門家の発言の中には科学者が政治決定するようなことまで及んでいたものもありました。本当は科学者が政治化するというのは望ましいことではありません。政治家と科学者の関係はすごく難しいですが、科学者は専門的な知見の範囲でアドバイスをする、政治家はいろんな状況を判断しながら最終的に決定するのが役割だと思います。

こうした適切な距離を取った関係作りが今回準備不足でした。出遅れたことにより、今のところ科学者たちが前面に出ざるをえない結果となり、私は逆に気の毒だと思います。

結果的には、科学者に政治的な発言を求めることになり、良きにつけ悪しきにつけ影響や反響をぶつけられる立場に置いてしまったというところがあります。政治家と科学者の役割分担に関して、なお工夫の余地があると思います。

衆院予算委の参考人質疑で意見を述べる政府諮問委の尾身茂会長 2020年5月

政治は危機で肥大化

宇野さんは政治の危機管理システムが充実していなかったことを指摘する一方で、今後、政治がどう変わっていくかについても注意が必要だと指摘します。

宇野さん
過去の歴史を振り返れば、危機時に政治システムは肥大化するんです。かつてペストがはやったことによって権力は公衆衛生まで担当するようになりました。20世紀のスペイン風邪と、国民の生活や経済活動のあり方に積極的に介入しようとするいわゆる行政国家ができた時期が同じだったというのは決して偶然ではありません。行政国家の発展の歴史とも言えますが、こういう疫病とかに基づく危機時というのは権力が扱う対象が拡大し、財政が拡大する傾向にあります。

場合によっては、その後、平時に戻ったにもかかわらず、権力が元に戻らないで肥大化するきっかけにもなると思います。

逆に国民の側でも、危機のときは政府に依存的な態度が強まる時期でもあり、ややもすると大きな政府へ傾斜する。そして、このwithコロナ、afterコロナの難しい点は、当分完全にノーマルへ戻らないかもしれないということです。第2波、第3波がやって来る可能性がどうしても否定できないとなると、平時になったら戻りましょうとなかなか言えない。例外的な緊急事態と平時との境界線があいまいになり、なし崩しになっていく危険性があると思います。

強力なリーダーを求めるメンタリティー

実際に緊急事態宣言が必要だとする声が国民の方からも上がりましたが、なぜこうなったのだと思いますか?

宇野さん
日本においては歴史的な素地として、政治改革に対する失望や選挙や政党を通じての改革に対して不信があります。だからこそ、強力なリーダー探しみたいなものが、国民の中にメンタリティーとしてあると思います。

1993年の細川内閣以来、政治改革というのはありましたが、結局政権交代したからといって、より効率的な政府が得られるわけではないということを国民が身にしみて学習してしまった。フラストレーションみたいなものがあって、だからこそ、ある種有能なリーダーに一切を授権して対応してもらった方が楽だし、きっと効率的ではないだろうかという感覚が、この20年ぐらいをかけて国民の間に醸成されてきたと感じています。

深刻な問題は民主主義への失望

より深刻だなと思うのは「民主主義ってやっぱりだめなんだ」という意見が聞こえてくることです。

民主主義というのは、基本的にノーマルな動きをしているときに機能するように設計されていて、政治権力による人権の侵害を食い止め、あとで取り返しのつかないような決定に対する歯止めになっています。

しかし、どうしても時間がかかり、なかなか明確なひとつの意思決定にたどりつかないものです。緊急事態だけではなくて、やっぱり現代のように物事をスピード感を持って早く決定しなければならない時代において、民主主義というプロセス自体がもう時代遅れだとされることへの危惧です。

中国の習近平体制は独裁だと批判されていましたが、今回かなり強権的な対応とはいえ、ある意味迅速に危機を克服したと言われていますし、韓国についても、かなり個人のプライバシーにまで対して踏み込んで行動を追跡して隔離を徹底していて、権利を制限する強権的なことをやっているわけです。

武漢を視察する中国の習近平国家主席 2020年3月

そうしてみると、やや独裁的な手法の方がよかったのではないかと議論になりますが、私は長期的に自分たちの政府を自分たちで支えるという精神を弱めることにつながるので、独裁的手法というのは決してオールマイティーではないと思っています。

事後の厳しいチェックが必要

そこで、宇野さんは政治へ一時的に強力な権限を与えるとしても、事後の厳しいチェック体制を設けることが必要だと訴えます。

宇野さん
後から考えてみると非常によくない判断をしていた、それは手続き面もそうだし、結果として国民を幸福にしたのか不幸にしたのかという点からも含めて、事後的に厳しくチェックしなければならない。したがって、どういうプロセスで誰がどういうふうに決めたのかということは、きちんと記録して残さなければならない。

つまり緊急時にも民主主義的に対応することです。国会の議論では緊急事態宣言の際、事前に野党の合意を取り付けることが非常に強調されましたが、むしろ事後に、この段階でなぜこういう決定を下したのか、誰が責任を取るのかということをきちんと検証することが同じくらい重要だと私は思っています。

事後の検証が弱い日本の政治

今の日本でそういう事後検証は可能なのでしょうか。

宇野さん
残念ながら、今の日本の政治が最も弱い部分がそこであろうかと思います。私は政治を担う人間が、時として民意とぶつかりながらも物事を決めなければならない瞬間というのはあると思います。

政治家というのは、いろんなことを考えなければならないわけですから、世論に反する決定を下す場合もあるかと思いますが、やはり政治家の政治家たる誇りは、自分の判断が歴史の検証に耐えうるかどうかということへの自覚です。そういう意味で、きちんと記録を残す、資料を残す、データを残す必要があるのです。

そうした精神を持った政治家は、亡くなった中曽根康弘元総理大臣など、日本でもいたと思うんですが、今の政治家を見ると、現政権に限らずそうした自覚は弱い。記録を捨ててしまうし、都合の悪いものは消してしまう。西洋の政治家を理想化するわけではないですが、チャーチルにしてもドゴールにしても、歴史家の検証に耐えるため、資料を残しておいたうえで、自己正当化も含めて、俺はちゃんと考えたんだということを一生懸命残そうとした。

また、政治家が死ぬと、研究者などが、その人のいろんな資料を出してきて検証し、論文やら長い伝記を書くという伝統もあります。

日本の場合は、そこまでしつこくないというか、次にもうちょっと良い政治家が出てきて世の中を良くしてくれればいいじゃないかということにすぐ目が行って、過去の政治家がやったことをしつこく検証するというのが、国民やメディア、あるいは学者の側も含めて必ずしも強くない。

そういう意味でいうと、野党についても単に批判するだけではなくて、ちゃんと言質を取り、どこで誰が決定したのか記録をとり、後でちゃんとチェックする仕組みをもつ発想もあっていいはずです。

危機の中だからこそ民主主義の強化を

ポスト・コロナの時代に向けて、何が求められると思いますか?

宇野さん
新型コロナウイルスの感染拡大は、短期的に見ると民主主義にとって危機に見えますが、むしろ緊急時だからこそ、これを機に民主主義というものを強化していく、バージョンを上げてクオリティを上げていくことができると思います。

今まで、やや選挙制度ばかりに集中しすぎて、みんな食傷しているかもしれませんが、誰がどこで意思決定したか、ちゃんと説明してもらう。それがうまくいったか、うまくいかなかったかを事後的にきちんと検証し、責任を取ってもらう。そのプロセスにおいては人々の多様な声をきいてもらう。こうした作業を通じて、みんなの政治とか統治とかに対する意識や要求は高まると思うんですね。だから、危機の時においてこそ民主主義の強化をすべきだと考えています。
(社会部記者 中村雄一郎)

【プロフィール】

宇野 重規(うの・しげき)

1967年生まれ。東京大学社会科学研究所教授を務める。専門は政治思想史、政治哲学。主な著書に、『〈私〉時代のデモクラシー』、『政治哲学的考察――リベラルとソーシャルの間』、『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』など。