自分のことを強いとは思わない

久保大樹

パラ競泳

その選手は泣き虫だ。パラ競泳の久保大樹。東京パラリンピックの参加記録を突破したレースで、そして、支えてくれている人のことばに何度も涙する。
オリンピックの表彰台にのぼる姿を将来の夢として絵に描いた少年は成長し、競泳の強豪、日本体育大学で主将を務めた。
しかし、24歳の時に手足に力が入らなくなる難病、「ギラン・バレー症候群」を発症。今も両手足にはまひが残る。そんな久保が、次に選んだ夢が、パラリンピックだった。

2018年、初めて臨んだアジアパラ大会で金メダルを獲得するなど、さっそく頭角を現した。大阪の物流会社から競技の支援を受け、正社員として働きながら、妻と2人の子供を養っている。家族、友人、コーチ、そして会社。支えてくれる人たちに東京パラリンピックで活躍する姿を見せ、恩返しをしたい。そう考えていた久保にとって、東京パラリンピックの1年延期は簡単には受け入れられなかった。

「延期になっても、会社に行くといろいろ気遣ってくれた。人生を懸けて東京パラリンピックに向かって努力してきたので、しんどかったし、苦しかったし、自分の中でどん底だった」

どん底まで落ちた久保の心。そんな時、心がけていることがある。周囲の人に頼ることだ。2年前、久保を社員として採用した当時の社長にメールで心の内を打ち明けた。
「自分は会社員アスリートとして何が残せるのか」
その返信-
「会社に何か残せるのかと考えなくていい。会社の宣伝などの下心や期待で来てもらったわけではない。気楽に考えてほしい」このことばに救われたという。

「病気になって、できないことが増えて、人に頼ることに抵抗はなくなった。自分自身のことを正直、強いとは思わない。しんどい時に隠さずにたくさんの人に相談する。いろんな意見を聞いて参考にして乗り越える」

病気になったからこそ身についた“哲学”かもしれないという久保の目には、また、涙が浮かんでいた。 吹っ切れたように練習に打ち込み始めた久保。外のプールで練習できなかった時は、自宅の屋上に設置した簡易プールで水の感触を確かめた。陸上でもトレーニングを重ね徹底的に上半身を鍛えた。

1年の延期は自分にとって決してマイナスばかりではない。競技に集中させてくれる会社、いつもげきを飛ばしてくれるコーチ、そして、それを応援し続けてくれる家族。東京の大舞台で表彰台に立つという夢は、いつしか、支えてくれる多くの人の夢にもなっている。

「世界で1番になりたいという目標があって、本当に1番になれば、絶対に人に勇気や感動を与えられるんじゃないか。僕には助けてくれる人がたくさんいる。すごい支えられている。それに対して僕は頑張らなければならない」

その夢が実現した時、久保はきっとまた、涙するだろう。

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