絶対に諦めたくないと思えたことで、1人の陸上選手になれた

村岡桃佳

パラアルペンスキー・パラ陸上

“二刀流”にはロマンがある。
その二刀流をパラリンピックという舞台で実現しようとしているのが村岡桃佳だ。2018年ピョンチャンパラリンピックのアルペンスキーで日本選手最多の5つのメダルを獲得。さらにパラ陸上の車いす種目で東京パラリンピックを目指しているのだ。しかし、“二兎を追う”彼女の前には多くの壁が立ちふさがる。予想もしていなかった大きな壁が、東京パラリンピックの1年延期だった。

「(東京)パラリンピックは諦めて、スキーに戻ったほうがいいんじゃないかという話が持ち上がった。私の中で諦めるという選択肢がなかったので、すごくショックが大きかった」

そう持ち掛けたのは村岡が支援を受けている会社だった。周囲の心配はもっともだ。大会の1年延期により東京パラリンピックが終わってから冬の北京パラリンピック開幕までの期間はわずか半年。これでは肝心のスキーに支障が出かねない…。 アルペンスキーで村岡は日本の絶対的エースだが、陸上ではパラリンピック出場に手が届く世界6位までタイムを伸ばしたとはいえ、まだ挑戦者という立場は変わらない。どちらを優先すべきか。まわりから見るとその答えは明白だった。 “二刀流”は一度は目指した夢として終わらせるしかないのか。悩んだ村岡は2019年から陸上の指導を受けている監督の松永仁志に相談した。 「桃佳が真剣にやってきたのも知っている。そう簡単に諦められないよな」 松永からそう言葉をかけられた。

「自分の中でぐるぐるぐるぐる、マイナス感情ばかりの時にいちばん近くで見てくれていた人に陸上を諦めたくない気持ちを理解してもらえた」

これまで自分のことを、どこかで陸上に挑戦している“スキーヤー”と捉えてきた村岡。心の中の壁が崩れた瞬間だった。

「私はパラアルペンスキーヤーかもしれないけど、1人のパラ陸上の選手でありたい」

村岡は、“二刀流”続行を決断。その先に待ち受けるのは、夏と冬、2つのパラリンピックを同時に目指す、日本のパラアスリートでは誰も経験したことのない道だ。

「陸上で東京を目指すことを絶対に諦めない、諦めたくないと思えたから、私は1人の陸上選手になれた。だからこそ、東京パラリンピックに出たいという気持ちが以前より強くなった。つらい道のりだけど、頑張るしかない」

二兎を追えば、もしかしたら一兎も得られないかもしれない。でも、たとえロマンチストと言われても、もう迷わない。本当の自分の気持ちに気付いたのだから。

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