僕も、頑張ります

羽生結弦

フィギュアスケート

当時は高校1年生だった。2011年3月11日。仙台市内のリンク。練習をしている時に大きな揺れに襲われた。自宅も被害を受け、避難所での生活も余儀なくされた。

「もうスケーターとしての気持ちじゃない。とにかく地震から逃れて生活することが第一。身近にそういった被災した方々がたくさんいる中で、そのつらさを知っているからこそ、本当に自分が滑っていいのかと」

4月。迷いの中、羽生結弦はリンクに立った。神戸市で開かれた被災地支援のためのチャリティーアイスショー。「復興の勇気になれば」と思いを込めて演技した。

「地震の直後はどうすることもできない無力さと、自分が育った町が壊れていく悔しさを感じた。でも自分にできることはスケートしかない。(会場を訪れた人たちが)拍手してくれたり、感動して涙を流してくれたり。そういうのを見てやっぱりスケートをやりたいと純粋に思えた」

3年後の2014年。羽生はソチオリンピックで、日本の男子シングルで初となる金メダルを獲得した。試合後の会見。報道陣から、あまり笑顔を見せない理由を問われた。

「金メダルの実感がわかないこともありますが、震災からの復興のために自分に何ができたのかわからない。複雑な気持ちです。震災の後にスケートができなくて、本当にスケートをやめようと思って、本当に、生活することすらも精一杯で、ギリギリの状態でした。表彰台に上がったときに、本当に日本の皆さん、何千何万人もの思いを背負ってそこに立てたと思うので、すごいうれしかったですし、恩返しができたんじゃないかなと思っています」

そして思いを新たにした。

「オリンピックの金メダリストっていう、そういう人になれたからこそ、震災や復興のためにできることがあるんじゃないかと、それに対してのスタートなんじゃないかなと僕は今思っています」

震災の発生から5年となった2016年1月。被災地の復興支援のため盛岡で開かれたアイスショーに出演した。演じた曲は「天と地のレクイエム」。東日本大震災への鎮魂歌として作られた曲に合わせて苦しみや悲しみを表現した。

「自分の演技を見た時に、気持ちというものを皆さんの中に少しでも、自分の生きている証じゃないけど残せるような演技ができたらなと思いました。羽生結弦という存在として、ひとりの人間として被災地のというか、あの地震を経験したからこそ、たぶん僕たちはずっと考えつづけなくてはいけないと思うので、いちばん被害の大きな地域の近くにいた人間だからこそできる演技があると思います。その演技をして、でまた、それがみなさんの心に残ればいいなというふうに思います」

2018年のピョンチャンオリンピックで2連覇という偉業を達成。コロナ禍という困難な状況になっても羽生は、さらなる進化に挑み続けている。そして2021年3月11日。羽生は、この10年を経ての思いをことばにした。

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。

あの日のことはすぐに思い出せます。
この前の地震でも、思い出しました。
10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう
そんなことを考えると胸が痛くなります。
皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。
この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…
それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。
痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。
あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。
僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。
それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。
立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。
こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。
数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。
幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。
本当に、10年間、お疲れ様でした。

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

まだ、癒えない傷があると思います。
街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。
まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。

でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、
その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。

僕も、頑張ります

フィギュアスケート