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98,611人
(平成28年2月時点)
この数字を見て、多いと思うだろうか。少ないと思うだろうか。
これは、いま現在、福島で避難する人の数である。
原発事故直後は、福島県内だけで約16万人が避難。
多くの人が、すぐ戻れると思って避難した。
しかし5年経った今でも、避難者の数は半分にもなっていない。
2016.2.23
除染廃棄物仮置き場(富岡町)2016.2.23除染廃棄物仮置き場
(富岡町)
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2016.2.24
除染廃棄物仮置き場(飯舘村)2016.2.24 除染廃棄物仮置き場
(飯舘村)
Photo by Kiyoshi Ota / Getty ImagesPhoto by Kiyoshi Ota
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家族の分散居住状況 (無回答3.5%)
世帯でまとまって
1か所に住んでいる
47.8%
家族が
複数か所に住んでいる
48.7%
(平成26年度 福島県避難者意向調査)
避難者を最も苦しめている問題の1つが、長期に渡る家族の分断。
狭い仮設住宅や子どもへの放射能の影響などを理由に、未だに半数近くが、家族バラバラの生活を強いられている。
原発事故は、故郷だけでなく、大切な家族の暮らしも奪ってしまった。
結梨花の乳母車を押して、
毎日、帰れなくなるくらい遠くまで散歩したこと、
梨狩りで結梨花の顔くらいの梨を食べたこと、
近くの海で遊んだこと。
全部が全部、なかったことにはしたくないんです
馬場由佳子さん(40)は、大熊町で、夫と生まれたばかりの長女の3人で暮らしていた。原発事故は、家族との思い出をすべて奪っていった。
事故直後、家族と一緒に実家のある南会津町に避難した。しかし、仕事の都合で別々に暮らすようになった夫とは、次第に気持ちがすれ違うようになり、事故から3年後に離婚。家族は2人だけになった。
"見えない溝"
避難している人たちは、今、仮設住宅や借り上げ住宅で暮らしている。しかし、多くの人が受け入れ側の地元住民と馴染めず、“見えない溝”に苦しんでいる。
その背景にあるのが、原発事故後に広がった複雑な感情だ。
道路の混雑や土地の値上がりなどで以前より暮らしにくくなったという受け入れ側の生活実感。避難者が仕事もせずに、受け取った賠償金で派手に暮らしているというイメージ。多くは誤解や偏見に基づくものだが、事故から5年が経って、“溝”はますます深まっている。
避難してきたとは言いません。
聞かれたら言わざるをえない場合もありますけど、
できれば避けています。
もうお金は一銭もいらない、元の生活に戻ることができるなら
双葉郡から避難した60代の夫婦は、各地を転々とする避難生活に疲れ果て、いわき市に移住を決断。ようやく手にしたはずの落ち着いた生活。しかし、かえって不安は大きくなったと語る。親しい友人にも賠償金のことを尋ねられた経験などから、常に「避難者」として見られていることが大きなストレスとなっている。
2016.2.24
飯舘村2016.2.24
飯舘村
原発事故から5年。各地で復興公営住宅の建設が進んでいる。
避難を強いられている人にとって、新たな生活が始まろうとしている。
5年目の節目
「なみえ復興まちづくり協議会」の原田雄一さんは、このまま時間だけが過ぎていけば、地域の“絆”がすべて消えてしまうと危機感を募らせている。
「事故から5年がたち、親しかった住民も、どこに住んでいるのか分からない状態になっています。いずれ仮設住宅がなくなれば、かろうじてつながっていた住民さえもバラバラになり、浪江がなくなってしまうかもしれない」
仮設住宅のすぐ近くでは、復興公営住宅の建設が進んでいる。福島県では、4890戸が70か所に分散して建設される予定だ。
県では、希望するすべての避難者を復興公営住宅で受け入れるとしているが、将来の見通しが立たないなどとして、多くの住民は入居を希望していない。
浪江町住民意向調査(H27.11.17)
5年目の節目
「なみえ復興まちづくり協議会」の原田雄一さんは、このまま時間だけが過ぎていけば、地域の“絆”がすべて消えてしまうと危機感を募らせている。
「事故から5年がたち、親しかった住民も、どこに住んでいるのか分からない状態になっています。いずれ仮設住宅がなくなれば、かろうじてつながっていた住民さえもバラバラになり、浪江がなくなってしまうかもしれない」
仮設住宅のすぐ近くでは、復興公営住宅の建設が進ん
5年目の節目
でいる。福島県では、4890戸が70か所に分散して建設される予定だ。
県では、希望するすべての避難者を復興公営住宅で受け入れるとしているが、将来の見通しが立たないなどとして、多くの住民は入居を希望していない。
“絆”を求めて
二本松市では、「なみえ復興まちづくり協議会」が民間のディベロッパーと協力して、復興公営住宅の隣に宅地を開発。その宅地を浪江町の住民に購入してもらう新たな取り組みを始めている。用意した敷地は2ヘクタール余。復興公営住宅に入居する人も合わせれば、260世帯の住民が住める“ミニ浪江町”ができることになる。
福島市で家族と暮らす須藤カノ(64)さんは、仮設住宅で4年半暮らしている。
しかし知らない場所に移り住むことに不安を覚え、仮設からの移転に踏み出せずにいたが、ミニ浪江町”であれば、安心して生活を始められるのではないかと期待を寄せている。
「別の場所に引っ越した人が、地域になじめず孤立しているという話はよく耳にします。同じ立場の浪江の人たちと一緒に暮らすことができれば、少しは安心して暮らすことができるのではないでしょうか」
須藤さんは、こう語る。
浪江町住民意向調査(H27.11.17)
“絆”を求めて
二本松市では、「なみえ復興まちづくり協議会」が民間のディベロッパーと協力して、復興公営住宅の隣に宅地を開発。その宅地を浪江町の住民に購入してもらう新たな取り組みを始めている。用意した敷地は2ヘクタール余。復興公営住宅に入居する人も合わせれば、260世帯の住民が住める“ミニ浪江町”ができることになる。
“絆”を求めて
福島市で家族と暮らす須藤カノ(64)さんは、仮設住宅で4年半暮らしている。
しかし知らない場所に移り住むことに不安を覚え、仮設からの移転に踏み出せずにいたが、ミニ浪江町”であれば、安心して生活を始められるのではないかと期待を寄せている。
「別の場所に引っ越した人が、地域になじめず孤立しているという話はよく耳にします。同じ立場の浪江の人たちと一緒に暮らすことができれば、少しは安心して暮らすことができるのではないでしょうか」
須藤さんは、こう語る。
帰還への足がかりに
浪江町では、来年3月に避難指示の一部解除を目指しているが、病院や学校などのインフラが整い、住民が安心して暮らせるようになるまでには、まだ時間が必要である。
地域の絆さえ維持できれば、たとえ、すぐ戻れなくても、故郷への帰還の近道になる。「なみえ復興まちづくり協議会」は、“ミニ浪江町”を帰還の足がかりにしたいと考えている。
取材の最後に協議会の原田さんは、こう話してくれた。
「いつ故郷に戻れるかも分からない今の状況では、まずは同じ故郷で暮らしていた人たちが、一緒に生活し浪江の文化や価値観を残すことが大切だと思います。住民がまとまってさえいれば、故郷の土地に戻るという選択肢が残り続けるのではないでしょうか。」
帰還への足がかりに
浪江町では、来年3月に避難指示の一部解除を目指しているが、病院や学校などのインフラが整い、住民が安心して暮らせるようになるまでには、まだ時間が必要である。
地域の絆さえ維持できれば、たとえ、すぐ戻れなくても、故郷への帰還の近道になる。「なみえ復興まちづくり協議会」は、“ミニ浪江町”を帰還の足がかりにしたいと考えている。
取材の最後に協議会の原田さんは、こう話してくれた。
帰還への足がかりに
「いつ故郷に戻れるかも分からない今の状況では、まずは同じ故郷で暮らしていた人たちが、一緒に生活し浪江の文化や価値観を残すことが大切だと思います。住民がまとまってさえいれば、故郷の土地に戻るという選択肢が残り続けるのではないでしょうか。」