新紙幣でつながるネパールと日本の絆

7月3日に流通が始まった20年ぶりとなる新しい紙幣。
その原料となっているのが「ミツマタ」という樹木です。

かつては国内で調達されていましたが、高齢化の影響などで生産量が減少し、入手が難しくなってきています。
そのピンチを救ったのが、日本からおよそ5000キロ離れたネパールです。

新たな紙幣がつないだ日本とネパールの絆を取材しました。

日本で新紙幣が発行された日 ネパールを訪れる取材班

ネパールの首都カトマンズ。

ヒマラヤ山脈への登山やトレッキングの拠点としても知られる街です。

郊外にある倉庫に、日本の新紙幣の原料として使われることになっているミツマタの木の皮が、束になって大量に保管されていました。

表面はなめらかで、触ると独特の手触りがあります。

現地の人たちが一枚一枚カビや汚れなどをきれいに削り取り、日本に輸出する前の最後の仕上げをしていました。

取材班が訪れたのは、ちょうど日本で新紙幣が発行された7月3日。

まだ新紙幣を見たことがないというネパールの人たちに、NHKの国際放送のニュースをパソコンで見せると、興味津々でのぞき込んでいました。

まだ新紙幣を見たことがないというネパールの人たち

仕上げ作業の担当者
「一生懸命に高品質に仕上げたミツマタが日本で紙幣となったのを実際の映像を見て驚いたし、とてもうれしい。触ってみたいし、できるなら手に入れたいよ」

仕入れ会社の責任者
「ネパールは輸出が少ない国なので、ネパールのものが、日本の新しいお札になるというのは、ミツマタを育てている農民も非常に喜んでいます」

10年間で30回超ネパールへ ミツマタ輸出に取り組む日本の会社

日本でも春になると黄色の花を咲かせるミツマタですが、もともとはヒマラヤなどが原産地と言われています。

繊維が柔軟で強く、紙にすると独特の光沢もあり、明治以降は紙幣の原料として使われるようになりました。

そのミツマタの栽培を、もともと自生しているネパールで広め、日本に輸出できるようにしようと取り組んできたのが、政府刊行物の販売などを行う日本の会社です。

社長の松原正さんは、この10年間余りの間に、30回以上、ネパールへ足を運び、契約農家を指導してきました。

貧困削減や地震復興にも役立ってきた「ミツマタ栽培」

ミツマタが栽培されているのは、カトマンズから車で7時間以上かかる標高2000メートル以上のヒマラヤ山脈のふもとの村々です。

秋に収穫したあとには、凍りつくような寒さの冬の間に、冷たい水にさらし、乾燥させる過酷な作業も必要です。

それでも山間部で暮らす人たちにとって、ミツマタの栽培は貴重な現金収入の手段として、貧困削減にも役立ってきました。

2015年のネパールの大地震では、多くの農家も被災し、一時はミツマタの生産も激減するという困難もありましたが、生産量は次第に回復し、ミツマタによる現金収入が復興にも役立ってきたと言います。

10年前にはおよそ30トンだったネパールからのミツマタの輸入量は、いまでは100トンにまで増え、ネパール各地で1000人以上の住民が生産に関わるようになりました。

“今やネパールのミツマタがなければ日本の紙幣は作れない”

輸入している会社の松原正社長
「当初はネパールの貧困対策のためと思って取り組んできました。ところが今やネパールのミツマタがなければ、なかなか日本の紙幣が作れないという状況です。しかも今回は新札のため、大量のミツマタが必要だったので、ネパールのミツマタがなければどうしようもなかったと思います。今となってはネパールのみなさんが作ったミツマタが日本の経済を、いわば支えている。まさにウィンウィンの関係だと思います」

新紙幣を手にしたときは ネパールを思い出して

新紙幣の原料をめぐって支え合う、日本とネパール。

松原さんは、新紙幣を手に取ったときには、ネパールの農家の人たちのことも思い出してほしいと話していました。