ガザ衝突も10日後に授業再開 憎しみ深まる中 なぜ共に学ぶ?

ガザ衝突も10日後に授業再開 憎しみ深まる中 なぜ共に学ぶ?
ガザ地区での戦闘が続き、イスラエルとパレスチナをめぐる情勢が混迷を極める中で、ユダヤ人とアラブ人双方が「共生」を模索し続けている学校があります。

ユダヤ人とアラブ人の子どもたちが同じ教室で互いのことばや歴史、文化を学び、理解を深めようとしています。

厳しい情勢の中でも、教師や保護者たちは「共生」への願いを子どもたちに託し、未来を見つめていました。
(政経・国際番組部 ディレクター 平尾崇)

“お互いを知って平和を” 親たちの思い

「ハンド・イン・ハンド エルサレム校」

幼稚園児から高校生までおよそ650人が通う学校です。

設立されたのは1997年。

イスラエルとパレスチナの二国家共存への道を開いた「オスロ合意」を受け、和平への機運が高まっていた時期でした。

イスラエルでは、ユダヤ人とアラブ人が別の学校に通うことがほとんどですが、「お互いのことを知らなければ、対立は解消されない」との思いを抱いた保護者たちによって、この学校は作られました。
現在、学校はエルサレムと、イスラエル国内に5校あります。

授業はユダヤ人とアラブ人の教師によって行われ、子どもたちはイスラエルの公用語であるヘブライ語と、アラブ人の使う言語であるアラビア語を共に教わります。

歴史は双方の観点から教えられ、宗教的な行事も共に経験することで、両者の理解を深めています。

分断の危機に学校は…

そんな学校を、去年10月に始まったイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘が大きく揺るがしています。
戦闘開始の当初、ここを含む全土の学校が休校となりました。

生徒の中には、親族が人質になったり戦闘で犠牲になったりした人もいるなど、大きな影響が出ています。

エフラト・マイヤー校長は、その苦悩を語りました。
エフラト・マイヤー校長
「10月7日、ユダヤ人とアラブ人にとって非常に難しい時間が始まりました。私たち全員にとって、感情的にもイデオロギー的にも困難なことでした」
しかし、戦闘開始から10日後には、授業をいち早く再開。

難しい時こそ、共に学ぶ「日常」を取り戻したいとの思いからでした。

大切にしてきたのが「対話」の授業です。

今回の衝突をどう思うか。

将来、共にどんな国づくりをしていくのか。

意見が分かれるテーマについて、ユダヤ人とアラブ人の子どもたちが一緒に話し合っています。
エフラト・マイヤー校長
「相手の話に耳を傾け、共感し、痛みを分かち合う『筋肉』を鍛えているのです。もちろん、難しく、痛みも伴うことですが、アラブ人とユダヤ人の生徒が共に勉強できる可能性があると知るだけで、多くの希望を与えることができます」

わが子には憎しみを持ってほしくない

保護者たちはどのような思いで、子どもたちを「ハンド・イン・ハンド」の学校に通わせているのか。

ユダヤ人とアラブ人双方の母親が答えてくれました。
4人の子どもを持つユダヤ人のマヤ・フランクフッターさん(50)です。

上の3人の子どもはこの学校の卒業生で、今は末っ子で中学2年生のタルさん(13)が通っています。

マヤさんは、ユダヤ人・アラブ人の双方が住むエルサレムで生まれましたが、アラブ人の友達は1人もおらず、アラブ人のことを全く知らずに育ってきたといいます。

出自によって差別があり、憎み合う状況に疑問を感じ、子どもたちにはそうなってほしくないとこの学校を選びました。
マヤ・フランクフッターさん
「お互いを知らないことで懐疑的になり、それが恐怖となり嫌悪につながります。わが子が相手を知ることなしに憎む人になってほしくなかったのです」
取材をしたのは、戦闘開始からおよそ7か月がたった5月上旬。

ガザ地区での戦闘が長期化するなか、イスラエル建国以来の戦没者やハマスによる攻撃などの犠牲者を追悼する日を迎えました。
学校では例年この日にイスラエル側とパレスチナ側、双方の歴史を教え、対話する時間を設けてきました。

ただ、ことしは子どもたちの気持ちを考え、自由参加とせざるをえませんでした。

こうした状況についてどう思っているか、マヤさんは息子のタルさんにたずねました。
マヤさん
「こういう日を前にすると、普通の学校のほうがよかった?」
タルさん
「普通の学校のほうが楽だったかな」
マヤさん
「なんで?」
タルさん
「悲しい日だから。ユダヤ人の学校のほうが楽だったと思う。戦没者記念日は、アラブ人とユダヤ人が一緒に学ぶ学校では、より大変に感じる」
一方で、タルさんは、アラブ人と共に学ぶことの意味も感じていました。
マヤさん
「あなたがユダヤ人の学校に通っていたら、パレスチナの歴史について理解していた?」
タルさん
「いいえ。今の学校でアラビア語を学ぶことでアラブ人のことをより深く知ることができたと思う。アラブ人の友達がいることは平和につながると思う」

親たちには逆風も

アラブ人のミミ・パキアさん(50)も、この学校に4人の子どもを通わせてきました。

長男はすでに学校を卒業しましたが、現在は3人の子どもが通っています。
ミミ・パキアさん
「私はユダヤ人とアラブ人の共存を信じる家庭で育ってきました。両親は紛争や暴動などが起きたときに、それに関与することはありませんでした。子どもたちもそれを続けてくれると思ってこの学校に入れました」
長女で中学3年生のダリヤさん(15)は、幼稚園からユダヤ人の友人とともに学んできました。
ダリヤさん
「私にとって学校のみんなは第2の家族です。先生も生徒も、アラブ人もユダヤ人も、私たちはすべてのことを分かち合っています」
しかし、ガザ地区で多くの犠牲者が出る中で、同じアラブ人のコミュニティーからは、子どもをユダヤ人と同じ学校に通わせていることに、批判的な声もあるといいます。
ミミさん
「戦闘が始まったとき『あなたはまだ子どもをあの学校に通わせているのか』と言われました。困難な時を迎えている今こそ、共に生きることが重要です。毎日会って、一緒に仕事をして、コーヒーを飲みながら話す。そうすれば相手を知ることができ、相手も私のことを知ることができます」

対話の先にある“共生”を信じて

4人の子どもを学校に通わせてきたユダヤ人のマヤさん。

いま、ある葛藤を抱えています。
学校を卒業した長男と長女が兵役のため、イスラエル軍の一員として戦闘にかかわることになったのです。
マヤさん
「自分の子どもには軍隊に入ってほしくありませんでした。彼らには違う考え方を持って欲しかったからあの学校に通わせたのです。しかしイスラエルの法律では軍隊に入らなければならないのです…」
戦闘下で厳しい現実を突きつけられたマヤさん。

同じ子を持つ母親として、どう考えたらいいのか、ミミさんに胸の内を明かしました。
マヤさん
「長男はガザに行きました。彼はそこで何を見て、何を経験し、どんな状況なのか…」
ミミさん
「毎秒毎秒、彼のことが頭を離れないのね」
子どもたちには、いまとは異なる未来を生きてほしいと願う2人の母親。

対立が深まっている今こそ、学校の存在はますます重要になると考えていました。
マヤさん
「どんな教育がいいのか。それぞれが自分の意見を言わず、対話もしないほうがいいと思う?」
ミミさん
「子どもたちは違うと思う。学校では対話の授業で自分たちの意見を語り合っている。娘には、『言葉は銃弾のようなものだから、誰かを傷つける前に、よく考えなさい』といつも伝えているの」
マヤさん
「そのとおりだと思う。安心して対話できる場所が必要だと思う。私があなたを信じて、あなたが私を信じる。そうすれば、私たちは互いを信じて共に生きていくことができるし、すべてをオープンにして語り合うことができる」

教育で平和の実現を

ガザ地区での戦闘が続き、分断が深まる中、ユダヤ人とアラブ人の共生は可能なのか。

母親のマヤさんとミミさんが強調していたのが「教育」の重要性です。

子どものころから一方の価値観だけでなく、同じ社会で生きる、もう一方の価値観を理解することで、さまざまな「壁」を取り払うことにつながる。

教育のあり方次第で、憎しみあうのではなく、共生を実現することができる。

そう信じて、子どもたちをこの学校に通わせているのです。

取材を通して、彼女たちと同じことを話していた人たちのことを思い起こしました。

79年前の沖縄戦で多くの犠牲を出した「ひめゆり学徒隊」の元学徒たちです。
私は沖縄放送局に勤務していた当時、彼女たちへの取材を行っていました。

ひめゆりの生徒たちは、学校でアメリカへの憎悪を植え付けられ、「軍国少女」として育ってきたと言います。

誤った教育により戦争に加担させられ、犠牲を出してしまったとの思いから、生き残った元学徒たちは教師になり、平和な世の中を実現しようとしてきました。

今回取材した「ハンド・イン・ハンド」のエフラト校長は「こうすれば平和になるという即効性のあるヒントはない。子どもたちに他者に対する共感や敬意を持つことを教え、違う歴史も教えていく。これは長い時間がかかることで勇気も必要になる」と話していました。

長い時間がかかっても教育を通して、平和を実現しようというこの取り組み。

学校の運営は国の資金のほか、インターネットなどを通じて、理念に共感する世界中の人たちからの寄付でまかなわれています。

いまも地道に続けられている共生に向けた取り組みが芽吹き、平和という大きな実りにつながることを願ってやみません。

(6月27日「国際報道 2024」で放送)
政経・国際番組部 ディレクター
平尾 崇
2016年入局
沖縄局を経て現所属