西日本豪雨から6年 岡山 倉敷 真備町に献花台 犠牲者悼む

死者と行方不明者が300人を超えた西日本豪雨から6年となり、大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町には献花台が設置され、地域の人たちが訪れて犠牲者を悼んでいます。

倉敷市真備支所には献花台と犠牲者をまつった標柱が設置されていて、6日午前、伊東香織市長や地域の人たちが訪れ、献花台に花を手向け静かに手を合わせていました。

西日本豪雨で岡山県内では災害関連死を含めて95人が亡くなり、今も3人の行方がわかっていません。

このうち75人が亡くなった倉敷市は、特に被害が大きかった真備町で毎年追悼式を行ってきましたが、市はことし地元の人たちと協議し、河川や堤防の改修が計画どおり終わったことなどから1つの区切りとして追悼式を実施しないことにしました。

伊東市長は「追悼の気持ちはこれからも変わらない。犠牲になった人たちの思いを引き継ぎ、災害の記憶と教訓をこれからのまちづくりに生かしていきたい」と話していました。

「真備地区まちづくり推進協議会連絡会」の野田俊明会長は「被災して真備から転出したが、再び戻りたいという人もいる。協議会としてこうした人たちにどのような支援ができるか考えていきたい」と話していました。

自宅が水につかった男性「完全には爪痕は消えない」

倉敷市真備町の自宅の1階が水につかったという40代の男性が献花に訪れました。

当時、男性は職場がある岡山市内から家に戻れず、家族は自宅の2階に避難したということです。

男性は「私自身も被災者なので、毎年、献花している。自分は生きていることはできたが、亡くなられた方が大勢いるので、冥福の意を表しに来た。元に戻っているように見えるが、いまだに空いた土地があちこちにあって、完全には爪痕は消えないと思った」と話していました。

自宅と店舗が浸水した男性「大きな水害 きちんと伝えたい」

6年前、倉敷市真備町の自宅と店舗が浸水したという41歳の自営業の男性は、8歳の息子とともに献花に訪れました。

男性は「西日本豪雨のとき息子は2歳で、当時の記憶がほとんどありません。自分たちが住んでいた地域でこんなに大きな水害があったということをきちんと伝えたいと思い、一緒に献花に来ました」と話していました。

災害関連死含め30人が亡くなった広島 呉で追悼集会

広島県内で被害が最も大きかった呉市では犠牲者を追悼する集会が開かれ、父親を亡くした遺族も参列して犠牲者を悼みました。

西日本豪雨で、呉市では災害関連死も含めて広島県内で最も多い30人が亡くなりました。

このうち安浦町の市原地区では6日、犠牲者を追悼する集会が開かれ、地域に住む人など20人余りが参列しました。

寺の住職がお経を唱える中、参列者1人1人が花を手向け、手を合わせていました。

6日は父親の良治さん(67)を亡くした高取久美子さんも移住先の東広島市から参列しました。

良治さんは当時、自宅の外で避難の準備をしていたところ、近くで発生した土砂崩れに巻き込まれて亡くなったということです。

高取さんは、「先週も大雨となりましたが、毎年この季節になると思いが当時に引き戻されます。家族と過ごしたこの地域が好きですが、戻って不安なく過ごせるのかという思いと帰ってきたいという思いとを行ったり来たりしながら過ごしています」と話していました。

6月29日の良治さんの誕生日には7回忌の法要をしたということで「父はいましかできないことはいま楽しむ人だったので、悔いのない時間を過ごすという思いを引き継いでいけたらなと思います」と父親への思いを語りました。

広島県内の4つの川で警察と消防が行方不明者を捜索

広島県内の川では警察と消防がいまも行方がわかっていない5人の捜索を行いました。

2018年7月の西日本豪雨では、中国地方や四国などで土砂災害や川の氾濫、浸水被害が相次ぎ、死者と行方不明者は災害関連死を含めて300人を超えました。

広島県では災害関連死を含めて153人が亡くなり、6年がたった今も5人の行方がわかっていません。

6日は警察と消防が広島県内の4つの川で行方不明者を捜索しました。

このうち三原市を流れる沼田川ではあふれた川の水に車ごと流されたとみられる東広島市の男性の捜索が行われました。

捜索したのは男性の車が発見された場所からおよそ2キロ上流の中州の周辺で、警察官や消防隊員あわせて20人が川に入り、横一列になって棒で川の底をつくなどして手がかりを捜していました。

三原警察署の徳富裕司警備課長は「きょうは行方不明者の手がかりがあった場所から近い中州で捜索をしているので、少しでもほかの手がかりを見つけたい」と話していました。