静岡 熱海 土石流から3年 28人犠牲の伊豆山地区で追悼式

静岡県熱海市で大規模な土石流が発生してから3年となる3日、28人が犠牲となった伊豆山地区で追悼式が開かれ、遺族たちが祈りをささげました。

2021年7月3日、熱海市伊豆山地区で大規模な土石流が発生し、地区を流れる逢初川の上流部に違法に造成された盛り土が崩れ、災害関連死も含めて28人が犠牲となりました。

土石流の発生から3年となる3日、熱海市は午前9時から伊豆山地区にある小学校の体育館で追悼式を開きました。

式では、亡くなった28人の名前が読み上げられたあと、参列した犠牲者の遺族や行政関係者など合わせて69人が黙とうをささげました。

続いて熱海市の斉藤栄市長があいさつし、「3年の歳月がたちますが、時を経てもなお、最愛の家族や友人を失った方々の悲しみは決して尽きることはありません。去年9月1日に『警戒区域』を解除して、少しずつ被災した地域に明かりがともり始めています。一日でも早く平穏な生活を取り戻していただくために、皆様の声をしっかり聞き、復旧復興の事業を着実に進めてまいります」と述べました。

また、ことし5月に就任し、追悼式に初めて出席した静岡県の鈴木知事が「熱海市とともに被災された方々の生活再建と伊豆山地区の復興に全力で取り組み、不適切な盛り土行為にきぜんとして対応してまいります」と述べました。

このあと、参列者は献花台に白い菊の花を手向けて、犠牲者に祈りをささげていました。

会場となった伊豆山小学校の体育館では、3日午後3時まで一般の献花を受け付けています。

土砂が流れ下った川の周辺は「警戒区域」に指定され原則として立ち入りが禁止されていましたが、去年9月に解除され、熱海市によりますと、当初、区域から避難していた158世帯のうち、先月末までに区域内に帰還したのは、14%にあたる22世帯にとどまっていて、100世帯余りはすでにこの区域を離れて生活を再建させています。

“ちゃんと向き合って” 遺族が鈴木知事に語りかける

追悼式に出席した遺族の小磯洋子さん(74)は、3年前の土石流で娘の西澤友紀さん(当時44)を亡くしました。

小磯さんは3日の追悼式のあと、静岡県の鈴木知事のもとに歩み寄り、娘の遺影を見せながら「土石流の原因究明は何も始まっていないし終わってもいないです。娘は44歳でした。4歳の子どもを残して亡くなりました。娘の死をむだにしないでちゃんと向き合ってほしい」と語りかけ、鈴木知事はうなずきながら聞いていました。

小磯さんは「1年も3年も節目は私たちにはなくて、今も発災の日と同じ苦しみを抱えています。熱海市も県も最初から復旧復興に目がいって青写真ができていたので、行政にはもっと遺族と向き合ってもらい、これだけ多くの人が亡くなったということを今一度考えてくれたらうれしいです」と話していました。

父親を亡くした女性「人が帰還することを第一に考えて」

父親を災害関連死で亡くし、三重県鈴鹿市から追悼式に出席した伊東真由美さん(60)は、「自分らしく生きることが父がいちばん喜んでくれることなので、生きているものとしては前に進むしかない。残っている盛り土とかすべて取り除いて安全にして、人が帰還することを行政は第一に考えてほしい」と時折、涙ぐみながら話しました。

そのうえで、土石流が発生した責任の所在について、「なぜ父が死ななければならなかったのか、何が起きたのか真相を知りたい気持ちが強くなっている」と話していました。

被害者の会 会長「変わらない怒りを持っている」

静岡県熱海市で起きた土石流の「被害者の会」の会長で、亡くなった瀬下陽子さんの長男の瀬下雄史さん(56)は、2人の弟とともに伊豆山地区の陽子さんの自宅があった場所を訪れて、花を手向けました。

そして、3年前の7月3日、最初の通報があった午前10時28分にサイレンが鳴ると、土砂が流れ下った海の方向に向かって静かに目を閉じて手を合わせ、母親の死を悼んでいました。

瀬下さんは「3年たっても、気持ちは何も変わらない。残っている建造物を見ても風化が進んでおり、さみしい思いだ。盛り土を造成した業者にも、行政に対しても、変わらない怒りを持っている。この場所に立つと、母の最期を想像してしまう。天国で他界した父と2人で仲よく過ごしてくれれば」と話していました。

献花台に訪れた地域の人「いまだに信じられない」

熱海市伊豆山地区の寺に設けられた献花台には地域の人たちが訪れ、手を合わせました。

同級生の両親や知人を亡くしたという50代の女性は「3年たっても、いまだに信じられません。自分にとっては、ついこのあいだのことのようですが、周りに忘れられていってしまっているようで、つらいです。身内を亡くされた方の気持ちを考えると、いたたまれない思いです」と話していました。

また、実家が流されたという70代の男性は、「家だけでなく家族を亡くした方は二重にも三重にも打ちのめされていると思います。それぞれ事情は違いますが、諦めずに生きていくしかない」と話していました。

被災者の夫妻 避難先から自宅があった場所を訪れ黙とう

土石流で自宅が全壊する被害を受けた太田滋さん(67)と、妻のかおりさん(58)は、避難先の神奈川県湯河原町のアパートから伊豆山地区の自宅があった場所を訪れました。そして、3年前に最初の通報があった午前10時28分にサイレンが鳴ると、土石流が流れ下った川の上流部と下流部に向かってそれぞれ手を合わせて黙とうをささげました。

太田滋さんは「きょうで3年になったが、何も風景が変わっていない。伊豆山に戻るという気持ちがどんどん衰えているように感じるが、前の生活に戻れるように自分だけでも気持ちを強く持ち続けたい」と話していました。

一方、妻のかおりさんは伊豆山地区の復興計画について、市と意見交換を行う懇話会の委員を務めていて、3日午前、ほかの委員らとともに鈴木知事と面会しました。

かおりさんは「知事に対して、『被災して困っている人に向き合って復興を進めてほしい』と話したところ、知事からは『住民に寄り添っていきたい』という返答がありました。住民が何を求めているか直接話を聞いたうえで、スピード感を持って復興を進める新しい方法を考えてもらいたい」と話していました。

熱海市長と静岡県知事が再び黙とう

追悼式のあと、熱海市の斉藤栄市長と静岡県の鈴木知事は、3年前に最初の通報があった午前10時28分にサイレンが鳴ると、再び黙とうをささげました。

これに先立って熱海市の斉藤市長は報道各社の取材に対し、「われわれがやるべきことは、被災された方やご遺族の生活再建と心のケアを丁寧に行うことだ。用地買収に時間がかかり、復旧や復興が遅れていることは否めないが、着実にスピードアップをはかっていきたい」とと述べました。

また、鈴木知事は、土石流の起点にあった盛り土の造成をめぐり、県の第三者委員会が当時の県と市の対応を「失敗だった」と総括したことについて、「委員会の結論をしっかり受け止めて、二度とこういうことが起こらないように、再発防止に向けて努めていきたい」と述べました。