沖縄がアメリカの統治下にあった1959年6月30日、現在のうるま市の宮森小学校にアメリカ軍嘉手納基地を飛び立った戦闘機が墜落し、児童11人を含む合わせて18人が命を落とし、200人以上がけがをしました。
30日で事故から65年になるのを前に、現場となった宮森小学校で28日全校児童およそ400人、それに近くの小学校の児童なども参加して追悼集会が開かれました。
沖縄 うるま 米軍機墜落事故から65年を前に 小学校で追悼集会
アメリカの統治下にあった沖縄で小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童など18人が亡くなった事故から30日で65年になるのを前に、現場となったうるま市の小学校で追悼集会が開かれました。
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事故で小学3年生の弟を亡くした上間義盛さんは遺族を代表して「ことしも児童の皆さんに追悼集会を開いてもらい感謝しています。皆さんが安全で安心して学校生活が送れるよう亡くなった人たちが天国から見守っていると思います」と呼びかけました。
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全員で黙とうをささげたあと、小学6年生の児童たちが「平和を大事にして目先の利益だけに心を奪われないで」と平和の誓いを読み上げました。
そして、代表の児童たちが犠牲者の名前が刻まれた碑に花を手向けたり、事故のあと中庭に建てられた「平和の鐘」を鳴らしたりしました。
参加した6年生の上原姫愛さんは、「ジェット機が墜落してたくさん人が死んでしまったから平和は大事だと思いました」と話していました。
6年生の前原陽太さんは、「ぼくのおじいちゃんが小学校5年生の時にジェット機が落ちて公園で遊んでいて逃げて助かったと聞きました。平和を大切にして、二度とジェット機は落ちてほしくないです」と話していました。