【詳細】サッカー岡崎慎司 引退会見「代表監督でW杯優勝を」

サッカー元日本代表のフォワードで、代表として歴代3位の50得点をマークした岡崎慎司選手の引退の記者会見が午後3時すぎから行われました。内容を詳しくお伝えします。

会見の冒頭「振り返りながら思い出を」

会見の冒頭、「久しぶりに緊張している。自分も振り返りながら思い出を話していきたい。自分にとってサッカー人生はどんなものだったか、引退会見は楽しみだった。よろしくお願いします」とあいさつしました。

引退理由「ひざのけががいちばんの理由」

引退を決めた理由について「ひざのけががいちばんの理由だった。去年のシーズンがスタートしてからずっとひざの痛みを抱えながらプレーしていた。若い選手、これから上を目指す選手がリスペクトしてくれる中で、すごく悔しい思いをしながら練習や試合をしていた。あのころだったらもっとこういうプレーができたというのを練習や試合で思いながらやっていた」と振り返りました。

そして、「12月にプレーができないくらいのけがになって、サッカー人生で初めて辞めたいと思った。今まで諦めたことは1回もなかったのに、辞めたいと思った時にこれが引退なのかというふうに自分がもう燃え尽きてしまったというか。引退する気持ちとこのまま終わりたくないという気持ちが芽生えた。みんなのために、というより自分がこうしたいと思ってサッカーをやってきた。やりきろうと最後までやってきた。自分にとってはポジティブな決断だった」と話しました。

選手生活「後悔はないが悔しさばかり」

選手生活で後悔はないかと聞かれ、「後悔だらけだ。自分が目標として口にしたものはほとんど達成できていない。ワールドカップの優勝、プレミアリーグでふた桁得点、四大リーグすべてでプレーする夢、40歳までプレーする夢もだ。やってきた事への後悔はないが、悔しさばかりが残っている」と話しました。

印象残る試合「レスターでオーバーヘッドシュート」

印象に残っている試合を問われ、「ほぼ全部残っているが、クラブでは優勝したイングランドプレミアリーグのレスターでのシーズンのオーバーヘッドシュートだ。自分のハードワークなどが認められたが、早く代えられることが多かったシーズンだった。ストライカーとしてゴールを取りたいだけでなく、見返したい、岡崎はこういう選手だという枠を超えるためだった。その印象的なゴールの1つとしてオーバーヘッドは残っている。代表ではあげるものがないので悔しさが残っているが、ワールドカップ南アフリカ大会のアジア最終予選のゴールなどうれしかったゴールはたくさんある」と話しました。

自分の記録「満足していない」

レスターでの優勝を振り返って「うれしかったっていうのは本音の部分で、優勝決まる直前までは点を取りたい、チームのためにこうしないといけない、その先にゴールがないといけないと考えて必死にやっていた」と話しました。

また、選手生活を通じて残したみずからの記録については「満足していない。もっと取れたし、もっと重要な記憶に残るゴールを取れると思ってやってきた」と話していました。

今後は指導者としてキャリアスタート

今後は、ドイツ6部リーグのクラブで監督を務め、指導者としてのキャリアをスタートさせるということで「ヨーロッパでいかに競っていくかを次の世代に伝えていきたいし、自分にとっても戦いの場がほしい。今後も指導者として悔しさを経験して成長していきたい」

指導者での目標「日本代表監督でW杯優勝したい」

指導者として何を目指すのかと問われ、「日本代表の監督が目指すところだ。日本代表の監督としてワールドカップで優勝したい」と話しました。

その上で「ヨーロッパで強さを実感する中、日本が世界を目指すには戦える人がもっと必要だ。そんな人たちのきっかけになりたい」と話しました。

感謝の思い「特に清水エスパルスに」

「ヨーロッパで引退するが、清水エスパルスには特に感謝を伝えたい。プロ最初の6年間が日本で、それがあったからこそ海外での厳しい競争や環境にギリギリ耐えられた。たくさんのクラブに感謝はあるが、清水エスパルスや滝川第二高校など、日本で17年サッカーをやり、育ててもらったことを胸に海外でプレーした。日本の皆さんが応援してくれて走り切れた」と振り返りました。

そして「家族がいなかったら、ここまで長くプレーできていなかった。たくさん失敗もしたが、家族と一緒に成長したし、奥さんがいてくれてやりたいことができた。そういったことでサッカーでのつらさは乗り越えられた」と家族への感謝の思いを口にしました。

子どもたちへメッセージ「諦めるな」

今後の指導者としてのプランについて「計画自体はそこまでなく、時間がかかるだろうと思っている。サッカー選手として感覚でやってきた選手がいきなりは指導者になれない。チャレンジする場があるから辞める決意がついた。ヨーロッパでずっと悔しさを受けてやってきたので、指導者として悔しさを経験して、吸収して成長していきたい。時間をかけてでも監督としての経験や実績を積んでいきたい」と決意を述べました。

また、子どもたちへのメッセージとして「シンプルかも知れないが、諦めるな、のひと言だ。反骨精神は自分自身に自信がないと反骨する気持ちもうまれない。諦めず考え抜いてやる。諦めるときは勝手にくるのでそれまでは諦めなくていい」と話しました。

ダイビングヘッド「諦めるなということばの1つ」

自身の代名詞でもある「ダイビングヘッド」についてどのようにして身につけたのか問われると、「イングランドでもヘディングはあまりするなと言われていて、今の時代、なかなか話しづらい」として報道陣の笑いを誘いました。

そして「ダイビングヘッドをすることが意図ではなくて、かっこつけている前に届くか届かないところに飛び込んでみろということだと理解している。今も同じようにやっているかというとそうではないが、そのメンタリティーは染みついている。諦めるなということばの1つにダイビングヘッドや飛び込むことがある。すごく理にかなっていると思う」と話しました。

会見の最後 「この先もサッカー界を盛り上げていく」

記者会見の最後に「もうちょっと話したかったが1日かかると思う。自分がプロの監督になったときに、また取り上げてもらえるように頑張る。この先もサッカー界を盛り上げていきたい。これからもよろしくお願いします」と話し、拍手で見送られながら会場を後にしました。

岡崎慎司選手とは

岡崎慎司選手は兵庫県宝塚市出身の38歳。守備の裏にタイミングよく飛び出す俊敏性が持ち味のフォワードで、闘志あふれるプレースタイルで日本を代表するストライカーとして活躍しました。

ボールに向かって体ごと飛び込んで頭で合わせる豪快な「ダイビングヘッド」は代名詞となりました。

小学2年生でサッカーを始め、神戸市の滝川第二高校から2005年にJリーグの清水エスパルスに加入して、中心選手として活躍しました。

2011年からは海外に挑戦し、ドイツ1部リーグのシュツットガルトやマインツを経て、2015年にイングランドプレミアリーグのレスターに加入し、初のリーグ優勝に貢献しました。

その後、スペインのクラブを経て、おととしからベルギー1部リーグのシントトロイデンでプレーしてきました。

日本代表では2010年の南アフリカ大会から2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会と、3大会連続でワールドカップに出場しました。

日本代表として出場した119試合は歴代5位で、50得点は釜本邦茂さん、三浦知良選手に次ぐ歴代3位の記録となっています。

明るく、気さくな人柄でチームメートの信頼も厚く、同じシントトロイデンでプレーする藤田譲瑠チマ選手は、引退する岡崎選手について「自分が試合に出られない苦しい時期に近くで寄り添ってくれて、常に声をかけてくれた。いろいろアドバイスをもらって学びになった」と感謝の思いを話していました。