サッカー現役引退の長谷部誠「フランクフルトで指導者の道に」

サッカー日本代表のキャプテンを長く務め、今シーズンかぎりで現役を引退した40歳の長谷部誠選手が都内で記者会見を行い「全く後悔がなく、大きな満足とともにキャリアを終えることができた」と22年間の選手生活を締めくくりました。

記者会見の詳しい内容は記事後半に時系列でお伝えしています。

ドイツ1部リーグのフランクフルトに所属する長谷部選手は、高い戦術理解力とたぐいまれなリーダーシップで、日本代表のキャプテンとして3大会連続でワールドカップに出場しました。4月、40歳となった今シーズンを最後に現役を引退することを表明し、リーグ最終戦を終えて24日、都内のホテルで記者会見に臨みました。

この中で長谷部選手は「まだ実感はわかないが、自分で引退の時期を決められたこともあり、全く後悔がなく、大きな満足とともにキャリアを終えることができた。今、自分に何が残ったかというと『人』だ。出会いが大きな財産だ」と話しました。

現役生活で印象に残った試合については「日本代表では2011年のアジアカップ優勝だったり、2018年のワールドカップの最後のベルギー戦であったりたくさんある。クラブでもウォルフスブルクで優勝した試合や、2年前にフランクフルトでヨーロッパリーグを制した試合など本当に多くの試合が印象に残っている」と感慨深げに話しました。

そして、8年間務めた日本代表のキャプテンについては「日本サッカー界のリーダー的なシンボルというイメージがあると思ったので、そこに自分を寄せていく部分があった。それが自分の人生を支えてくれた。まわりの人に本当に深く感謝している」と述べました。

今後はフランクフルトに残ってセカンドチームのコーチを中心に若い世代の育成に取り組むとした上で、将来的に日本代表の監督を目指すかという問いには「まずは経験をしっかり積んで、将来的に日本かドイツかは分からないが、高いレベルでやれる監督になりたい」と述べました。

さらに出身地の静岡県藤枝市でサッカーに取り組んだ時期を振り返って「サッカーの町、藤枝に生まれ、すばらしい指導者に出会い、環境もすばらしかった。粘り強さや歯を食いしばって踏ん張るところはあの時に培われた。今、キャリアを終えるときに改めてあの中で育てていただいた感謝の気持ちは強い」とふるさとへの思いを口にしました。

同席したフランクフルトのマルクス・クレッシェスポーツ執行役は「数々の成功を収めた特別なプレーヤーだ。選手やスタッフにとって手本となる存在で素晴らしい指導者になる」と長谷部選手の功績をたたえていました。

《記者会見 詳細》

記者会見始まる

記者会見は午前11時過ぎに始まりました。

「まだ引退の実感わかない」

長谷部選手は冒頭のあいさつで、いまの心境について「先週末に最終節の現役最後の試合が終わったわけだが、まだ引退したという実感はわかない。毎年のオフに入ったくらいの感覚で、頭は引退したことを理解しようとしているが、体が今すぐにでもボールを蹴りたいとうずいていて、体が理解してくれないという感覚がある。ただ全く後悔がなく、大きな満足とともにキャリアを終えられた。自分で引退の時期を決められたことが大きかった。クラブに対して非常に感謝している」と話しました。

「多くのすばらしい方との出会い 大きな財産」

自身のキャリアについては「サッカー選手としての能力は、何かぬきんでたものがあるわけではないし、人としても目立つわけではない。そういう選手がここまでのキャリアを築き、タイトルもたくさん取らせてもらった。これ以上のキャリアは自分の能力では積めないんじゃないかという評価をしてもらった。自分自身もやりきったと思う」と振り返りました。

そのうえで、「最初のクラブが浦和レッズだったのは大きく、幸運だった。浦和での6年間は自分にとって大きかった。その後、ワールドカップロシア大会までの10年間はクラブと代表の両立で非常に苦しんだ。いいこともたくさんあったが、難しさも感じ、いちばん人として成長できた。代表を退いてからきょうまでは純粋にサッカーを楽しめた。22年のキャリアで多くのすばらしい方と出会った。今、自分に何が残ったかというと『人』だ。出会いが自分にとって大きな財産としてある」と語りました。

「家族の存在大きかった 心から感謝伝えたい」

選手生活の支えとなった家族については「ここにこうしていられるのは、家族の存在が大きかった。愛情たっぷりに育ててくれた祖父母、公私ともに全力で支えてくれた姉と妹、娘と息子は自分にとって宝物のような存在ですね。僕にサッカーを与えてくれて厳しく育ててくれた父親、そして、母親と妻の2人はとくに心からの感謝を伝えたい。とにかく真面目で、自分の人間形成において、一番影響を受けた。母親のもとに生まれてきて、大きな喜びを感じている。妻に関してはとても大きな負担をかけた。かなり振り回されたと思うし、自分と一緒になることで大好きな仕事を犠牲にしないといけなかった。これからは彼女の好きなことをもっとサポートしたいし、家族との時間を大切にしていきたい」と話していました。

「フランクフルトで指導者の道に」

長谷部選手は、今後について「まずは数か月の休暇をとって、そのあとは、フランクフルトで指導者の道に進もうと思っている。アンダー21、セカンドチームでのコーチをメインにいろんなカテゴリーを見る。最終的に自分の目指すところはやはりトップチーム、一番上のところではある。また、日本ユニセフ協会大使としてこれからも引き続き、世界の厳しい環境にある子どもたちのサポートをしていきたい」と話しました。

引退決断「3月下旬ぐらいに」

引退を決断した瞬間について、「いつごろというのははっきりは分からないが時間をかけてというのはある。正式に自分の中で決めたのは2か月前ぐらい、3月下旬ぐらいだと思う」と話しました。

そして、最初に伝えた相手について「いちばん近くにいた妻にいろんなコミュニケーションを取りながら最初に伝えた。あとは両親はすぐに伝えた。妻や母親は素直に受け入れてくれたが、父親は怒っていた、俺は認めないと。そのときお酒が入っていて、半分お酒の力で(笑)」と話しました。

そして、最後の試合のあと自身の子どもたちを抱きしめた時の心境について聞かれると、「自分でも時間をかけて引退の準備ができたのであまり感情的になることはなかったが、子どもたちが駆け寄ってきたときは何か、あふれる思いが出てしまった」と振り返っていました。

「本当に多くの試合が印象に残っている」

現役生活で印象に残る試合として、「多くの試合に強い印象があるので1つという話はできない。日本代表では2011年のアジアカップ優勝だったり、2018年のワールドカップの最後のベルギー戦であったり、印象に残っている試合はたくさんある。クラブでもウォルフスブルクで優勝した試合や、フランクフルトでのカップ戦優勝、2年前にヨーロッパリーグの優勝した試合もそうで、本当に多くの試合が印象に残っている」と振り返りました。

「高いレベルでやれる監督になりたい」

今後、指導者の道に進む長谷部選手は、「ヨーロッパにいるとたくさんのすばらしい指導者に出会う。ドイツ1部リーグで対戦した監督で、いつでも俺のところに研修に来いよと言ってくれる人もいる。つながりもできたので多くの監督のやり方をこれから学びたい」としたうえで、将来的に日本代表の監督を目指すかという問いには「まずは指導者の道をスタートするにあたり、経験をしっかりと積んで、将来的に日本かドイツかは分からないが、高いレベルでやれる監督になりたい」と述べました。

「浦和レッズで成長 サポーターの存在大きかった」

プロ生活をスタートさせた浦和レッズ時代については「浦和レッズというチームで自分がここまで成長できたのは、サポーターの存在が本当に大きかった。5万人以上入る時もあったし、それだけの応援があるとプレッシャーもあるが、そのプレッシャーが自分を成長させてくれた。そういう意味ではファン、サポーターとの出会いは非常に大きかった」と述べました。

そのうえで「毎年、日本代表クラスの選手が入ってきて、その中で自分も競争に勝たなければいけない。そういう中で自分も負けん気の強さを発揮してすごく成長できたと思う」と振り返りました。

「日本サッカー 選手 指導者 ファンすべてのレベルアップ必要」

長谷部選手は日本代表がワールドカップでベスト8の壁を越えるために必要なものとして「間違いなく日本のサッカーは進歩しているとは思うが、ここからの段階のほうが今までのより大変な領域に入っている。マンチェスターシティーやレアルマドリードなどのビッグクラブで中心としてプレーする選手がもう少し出てきたら、安定的に上に行けるんじゃないかと思う。選手、指導者、ファン、すべてのレベルアップが必要で近道はない自分もヨーロッパのような高いレベルで指導者として経験を積み重ねていって何か還元できることがあればいいと思う」と話しました。

「日本代表キャプテン務めたことは誇り」

日本代表でキャプテンとして苦しんだ時期を明かし「ザッケローニ監督のときに、クラブで全くベンチにも入れなかった時期はつらかった。移籍問題でうまくいかず、チームで練習も一緒にさせてもらえない時期があった。それでも代表に選んでもらい、キャプテンとして周りの選手に示さなければいけなかった。キャプテンというものは言葉で伝えることもあると思うが、やはりプレーヤーでいろんなところを背中で見せなきゃいけない部分もあると思っている。説得力がない部分を感じた」と話しました。

そのうえで、「8年間日本代表のキャプテンを務めたことは自分にとって本当に誇りだった。日本代表のキャプテンというものは日本サッカー界のリーダー的なシンボルとなるイメージがあると思ったので、そこに自分の中で寄せていく部分もあった。自分のキャラクターも少し変わった部分があると思う。今振り返ればとても大きなもので、それが自分の人生を支えてくれた。岡田監督をはじめ、歴代の日本代表監督の皆さんには本当に感謝している。チームメートの存在がなかったら自分はキャプテンを務められなかったと思うので、まわりの人に本当に深く感謝している」と話しました。

「サッカーの町 藤枝で培われたものが芯にある」

長谷部選手は出身地の静岡県藤枝市でサッカーに取り組んだ時期を振り返って「サッカーの町、藤枝に生まれ、すばらしい指導者に出会い、環境もすばらしかった。自分の根底には静岡、藤枝で培われたものが芯としてある」と話しました。

そのうえで「厳しいトレーニングや教育を受け、それが自分の中にある。自分の粘り強さや歯を食いしばって踏ん張るところはあの時に培われた。今、キャリアを終えるときに改めてあの中で育てていただいた感謝の気持ちは強い」と振り返っていました。

「いつか僕が監督でカズさんが選手で一緒に」

同じ静岡県出身で親交があり、今も現役を続ける57歳の三浦和良選手について「カズさんにいちばん引退を言いづらかった。『認めない』と言われると思ったが、カズさんも『そんなこと言えるわけないだろ』と言ってくれた。いつか僕が監督でカズさんが選手で一緒にやれる機会を楽しみにしたい」と笑顔で話していました。

「『君のキャリアは出来すぎだよ』と自分に」

長谷部選手はもう1人の自分がいれば、今、自分にどんなことばをかけたいかと問われ「『君のキャリアは出来すぎだよ、君の能力で』という感じがいちばんの率直な感想だ。ただ、多くの困難や苦しい時期、大変な時期もあったので、それを歯を食いしばってやってきた自分に対してはしっかりねぎらいのことばをかけたい」と話しました。

《長谷部選手 今シーズン最後に現役引退を表明》

今季限りでの引退表明(2024年4月)

ドイツ1部リーグのフランクフルトに所属する長谷部選手は、高い戦術理解力とたぐいまれなリーダーシップで、日本代表のキャプテンとして3大会連続でワールドカップに出場しました。

W杯ロシア大会(2018年)

長谷部選手は4月、40歳となった今シーズンを最後に現役を引退することを表明し、5月18日のリーグ最終戦に途中出場して試合後におよそ10年間プレーしたフランクフルトのサポーターにドイツ語で感謝の思いを伝えました。

◇長谷部誠 W杯3大会連続で代表主将

W杯ロシア大会(2018年)

長谷部誠選手は、静岡県藤枝市出身の40歳。的確な状況判断と攻守両面で見せる高い戦術理解力をベースに、守備的ミッドフィルダーやセンターバックなどミッドフィルダーとディフェンダーのさまざまなポジションでプレーしてきました。

浦和レッズ時代(2007年)

藤枝東高校を卒業したあと2002年に浦和レッズに入団し、主力としてチームのJ1制覇や、ACL=アジアチャンピオンズリーグの初優勝に貢献しました。

2008年にドイツ1部リーグのウォルフスブルクに移籍し、その後、ニュルンベルクを経て2014年からフランクフルトでプレーしてきました。

日本代表としては歴代7番目の通算114試合に出場し、たぐいまれなリーダーシップで2010年から8年余りの間キャプテンを務めました。

W杯ロシア大会(2018年)

2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会とワールドカップに3大会連続でキャプテンとして出場し、代表のキャプテンで出場した試合は、歴代最多の81試合を数えます。

また、ドイツリーグでも5月18日のリーグ最終戦で通算の出場試合数が384試合となり、外国人選手として歴代2位に並びました。

現役最後の試合(2024年5月)