パンダの「タンタン」ありがとう 追悼式でファンなど別れ 神戸

神戸市の王子動物園で20年以上親しまれてきたジャイアントパンダ「タンタン」の追悼式が行われ、動物園の関係者やファンなどが別れを惜しみました。

2000年に阪神・淡路大震災からの復興などを願って中国から貸し出され、神戸市の王子動物園で飼育されていたメスのジャイアントパンダ「タンタン」は復興のシンボルとして親しまれてきましたが、ことし3月31日、人間では100歳くらいに相当する国内最高齢の28歳で死にました。

10日、王子動物園では追悼式が行われ、動物園の関係者のほか抽せんで選ばれたファンなど合わせておよそ160人が参列しました。

式では、タンタンが寝転がったり竹などを食べたりする愛らしい姿を記録した動画が上映され、動きが活発だった当時の思い出を振り返りました。

続いて、これまでタンタンを支えてきた動物園の関係者などが壇上にあがり、追悼のことばを述べました。

このうち飼育員の梅元良次さんは「気難しいあなたに、竹を選んであげることもおいしそうにたけのこを食べる姿を見ることももうできないと思うと悲しいです。あなたと過ごせた16年間は本当に楽しかった。ありがとう」と語りかけました。

このあと参列者は一人一人祭壇に花を手向けてタンタンの死を悼みました。

参列した神戸市の50代の女性は「タンタンは笑顔がとてもすてきで、悲しいときも元気づけてくれる私にとっての“笑顔の先生”でした」と話していました。

中国総領事「非常に優秀な外交官」

追悼式のあと、大阪にある中国総領事館の薛剣総領事は「タンタンは非常に優秀な外交官の1人で、私としては外交官の先輩でもあると思っています。これまでもたくさんのイベントを開催するなどタンタンを介して日本の多くの人たちとすばらしい交流ができました」と話していました。

“お嬢様” タンタンとは

穏やかでおっとりとした性格から「神戸のお嬢様」として親しまれてきたタンタン。

阪神・淡路大震災が発生した1995年に中国・四川省で生まれ、4歳になった2000年7月に震災からの復興を後押ししようと、中国からオスの初代「コウコウ」とともに王子動物園にやってきました。

元気にささを食べたり、寝転んでくつろいだりする愛くるしい姿は瞬く間に来園者の人気を集め、2000年の来園者は、前の年に比べて100万人多い198万人となりました。

タンタンは繁殖や研究のため、人工授精による出産も試みてきましたが、2007年には死産し、その翌年の2008年には出産したものの赤ちゃんは3日後に死にました。

当初10年だった貸与期間は2度延長され、2020年7月15日を期限に中国に返還される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で日程が決まらないまま2021年3月に心臓の病気が見つかりました。

タンタンは投薬による治療を受け、体調は一時改善しましたが、一般公開を取りやめて治療が続けられてきました。

去年10月以降は食欲や運動量が少なくなり、体内に水分がたまりやすくなるなど身体機能が低下したことから、日中双方の専門家が「長時間の移動に耐えられない」という意見で一致し、返還期限はことしの年末まで延長されていました。

ことしの3月中旬からは液体の栄養食も飲まないようになり、一日のうちほとんど寝て過ごすタンタンを飼育員が24時間態勢で様子を見守るなど対応を続けてきました。

そして、3月31日の夜、飼育員が屋内で衰弱しているタンタンに気付き蘇生措置を行いましたが、心臓疾患に起因した衰弱死で死にました。

人間では100歳くらいに相当する28歳でした。

飼育員が語るタンタンの闘病生活

これまで10年以上にわたってタンタンの飼育員を務めてきた梅元良次さんと吉田憲一さんの2人が追悼式を前にNHKのインタビューに応じ、「チームタンタン」として支えてきた日々について語りました。

2人によりますと、2021年にタンタンに心臓の病気が見つかって以降、獣医師などとともに合同チームで治療に当たってきましたが、投薬や検査の際には、タンタンが嫌がるそぶりを見せることもあったということです。

当時の様子について梅元さんは「タンタンに疾患が見つかってからの3年間は獣医師と私たち飼育員の二人三脚で支える日々でした。投与する薬を決めるのは獣医師の仕事ですが、どのようにしてタンタンに薬を投与するかを考えるのは飼育員である私たちの役割なので、自分たちの技術の中で、何をしてあげられるかをずっと模索していました」と振り返りました。

このため、タンタンを喜ばせることでストレスを軽減しながら治療を継続する「タンタンファースト」の考えを大切にしてきたといいます。

当初はリンゴやブドウなどに薬を入れて与えていましたが、次第に嫌がるようになったため、タンタンの好物のサトウキビをジュースにして薬を混ぜると飲んでくれるようになったということです。

また、吉田さんはタンタンが薬を飲めるとご褒美として優しくブラッシングをしてあげたということで、「長い期間飼育しているうちにタンタンのことがわが子のように感じられ、間違って自分の子どもの名前で呼んでしまったこともありました」とエピソードを語りました。

タンタンが死んだ日は緊張しながら、動物園に向かったということで、吉田さんは「チームのみんなで心臓マッサージをするなど、処置を続けていましたが、その様子を見ているうちに『タンタンはもう精いっぱい頑張ったんじゃないか』とも感じました。すごくさみしかったですが、『今まで一緒にいてくれてありがとう』と今は思っています」と話していました。

また、梅元さんも「タンタンが姿を見せると一気にお客さんが笑顔になる光景がとても好きでした。いろいろな経験をさせてもらい、私の飼育員人生の中でタンタンは大きな存在です」と話していました。

献花台には連日多くの人が訪れる

王子動物園のパンダ館にはタンタンが死んだことが公表された翌日の先月2日から献花台が設置され、連日多くの人が訪れています。

パンダ館には訪れたファンにタンタンとの思い出を振り返ってもらおうと、これまでの成長の記録を伝える写真などが展示されています。

また、献花台には来園者が供えた花が隙間なく置かれていて、これまでに5000ほどの献花が寄せられているということです。

花だけでなく、タンタンの好物とされるにんじんやたけのこのほかイラストなども供えられていて、中には「精いっぱい生きてくれてありがとう」とか「タンタン大好きだよ、ゆっくり休んでね」といったメッセージも残されています。

園内にある「動物科学資料館」では11日から、タンタンが遊び道具として愛用していたタイヤや、飼育員が使っていたブラシなどを見ることができる特別展が開催されるということです。