群馬 邑楽町 終戦前後の3年間つづった元町長の日記が見つかる

群馬県邑楽町でのちに町長を務めた男性が太平洋戦争の末期、アメリカ軍の空襲を受けた時の様子や、戦後の復興に向かう思いなどを3年間つづった日記が見つかりました。専門家は「敗戦から戦後の復興を市民がどう見ていたのかがよく分かる貴重な資料だ」としています。

日記は、終戦前から今の群馬県邑楽町に住み、昭和56年から2期、町長を務めた相場定利さんが自宅に保管していたもので、息子の一夫さんが見つけました。

昭和20年1月から昭和22年12月までの3年間、ほぼ毎日つづられていて、NHKは2人の専門家に分析を依頼しました。

昭和20年2月10日、自宅に近い太田市を中心に160人余りが犠牲になったアメリカ軍の空襲については「敵機約90機が来襲し焼い弾と爆弾を投下する」と記す一方で、アメリカ軍の爆撃機、B29が墜落したことについては「手をたたいて萬歳を叫ぶ」とつづっています。

また、終戦の日の8月15日にはラジオで玉音放送を聞いた時の心境を「日本民族の発展は永遠に終止符を打った。空虚な気持ちだ」などと記しています。

そして日本国憲法が公布された昭和21年11月3日には「新憲法で敗戦日本も進むべき道が朗らかに示されてきた」と復興への希望について触れています。

日本近現代史が専門で日記を分析した志學館大学の茶谷誠一教授は「この時期の公文書が徹底して焼却処分された中で、敗戦から戦後の復興を市民がどう見ていたのかがよく分かる貴重な資料だ」と評価しています。