“イップス”を乗り越えて~DeNA 徳山壮磨【告白】

「自分は“イップス”だ。野球人生でこんなことはこれまでなくて、どうしたらいいかわからない」

プロ野球・DeNAの徳山壮磨投手。高校・大学では華々しい輝きを見せてきましたが、これまで当たり前のように投げていたストライクが入らず、ベンチに戻ると腕が震えるまで追い込まれました。

「野球をやめたら楽になる」とまで思い悩んだ3年目の24歳は、それでも周りの支えを受けながら努力と工夫を重ねてはい上がり、今シーズン、プロ入り後、初めてとなる1軍のマウンドにたどり着きました。
若き右腕の苦悩と努力の軌跡を取材しました。
(スポーツニュース部 記者 DeNA担当 阿久根駿介)

【※一口メモ「イップス」】
これまでできていた基本的な動作などができなくなる運動障害。発症の原因や克服方法などまだ解明されていない部分も多い。心理面だけでなく、最近は脳の指令の異常などが原因とする研究や治療も進められている。

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エリート街道を突っ走った アマチュア時代

プロ入りまでの徳山投手の球歴は、まさに野球界の“エリート街道”ともいえる輝かしいものでした。

大阪桐蔭高校のエースでセンバツ優勝(2017年)

高校時代は大阪桐蔭高校のエースとして2017年の春のセンバツ大会で優勝。

早稲田大時代(2018年)

進学先の早稲田大学では、東京六大学野球で最優秀防御率のタイトルを獲得するなど神宮球場で活躍、アマチュア球界のトップで結果を残し続けてきました。

その輝かしい経歴をひっさげ、2021年のドラフト会議ではDeNAからドラフト2位で指名を受け、即戦力投手として大きな期待をかけられました。

DeNA 新入団発表(前列左から2人目が徳山投手)

初の1軍キャンプ ブルペンで感じた異変

1年目にいきなり抜てきされた1軍キャンプ。

そのブルペンで最初の違和感に襲われたと言います。

1年目の春季キャンプ(2022年2月)

徳山壮磨 投手
「自分の後ろに監督、コーチ、さらに横にはファンの方がいて、どんな球を投げるか注目が集まっている中、いい球を投げようとしているうちに自分をコントロールできなくなってしまった。ボールを指にひっかけたり、抜けたりして『今までこんなことなかった。感覚が変だ』と感じてしまった」

「イップス」の初期症状でした。

2年目の奄美大島 症状がピークに

1年目はなんとかだましだましピッチングを続けて2軍で17試合に登板しましたが、迎えた2年目の奄美大島での2軍キャンプで「イップス」の症状がピークを迎えます。

「ライブBP」と呼ばれる実戦形式のバッティング練習。

ピッチャー、バッターともに紅白戦やオープン戦が始まる前の時期に調整の一環として行い、試合に近い感覚で臨みます。

バッティングピッチャーとしてマウンドに上がった徳山投手の当時の映像は驚くようなものでした。

ボールが抑えられずに右バッターの足元付近に抜けるなどボールが続いたかと思うと、左バッターにはボールが引っかり、背中の後ろを通るボールも。

およそ20球を投げましたがストライク以前にキャッチャーすら取れないボールが続き、まったくと言っていいほど制御ができない状態になりました。

ほかの日には同じバッターに2回デッドボールを与えたこともありました。

原因も分からないまま大きな異変に見舞われたこの時期の追い込まれた心境を明かしてくれました。

「自分で『ああしよう、こうしよう』と考えれば考えるほど迷路に入るじゃないですけど、わからなくなっていった。本当にマウンドに立つだけで足が震えたり、手が固まったり、負の要素しか頭に浮かばず投げることができなかった

“ここで野球を辞めたら楽”それでも…

この時期は寝ていてもボールが指に引っかかってストライクが取れない夢を見るなど「フラッシュバック」に悩まされる日々で、当時は「ここで野球を辞めたらすごく楽なんだろうな」と考えたことすらあったといいます。

それでも、ある出来事をきっかけに前に進むことを決意しました。

「これも夢なんですけど、自分が野球を辞める夢を見て。そのときにすごく自分が後悔していた。『このままじゃ終われない』って言っていた。そのときに今、野球選手として野球ができていることって、すごく幸せな時間をすごせているんだと自分の中でふに落ちたというか。今、この苦しんでいる時間も悩んでいてももったいないと思った

イップスと正面から向き合う

これまで意識せずにできていた動作ができなくなる運動障害「イップス」については、原因の解明や克服に向けた研究が進められていますが道半ばなのが現状で、特効薬や治療方法はまだまだ確立されていません。

それでも悪夢の中ですら“このままじゃ終われない”と歯を食いしばって前を向いた徳山投手。

自分がイップスであることに向き合い、もう一度かつてのようなピッチングを取り戻すことを決意するとすぐに動き出しました。

当時2軍の投手コーチを務めていた大家友和コーチと向かったのはブルペン。

周囲の目を気にしなくて済むように他のピッチャーがいないタイミングを選んだといいます。

2人でマウンドから10球を投げて何球ストライクが入るか勝負するという遊びのようなトレーニングから始めました。

この練習で大切にしたことは「成功体験」でした。

「まずは全力で投げるのではなく、110から120キロでいいからストライクを投げる感覚を養いました。あと、考え方の部分で10球投げて例えばその日6球ひっかけるボールを投げたとしたら『次は5回にするように頑張ってみよう』と課題を明確にしていって、本当に小さい成功体験を1つ1つ積み重ねながら自信につなげていった」

さらに、投球フォームも改良しました。

(左)かつてのフォーム(右)現在のフォーム

これまではセットポジションから足を大きく上げて投げていましたが、足を上げてからリリースするまでの間にマイナスのイメージがよぎる余地があったことなどから、クイックモーションに変えました。

正解が分からない中でしたが、大家コーチや小杉陽太投手コーチとともに、恐れずに技術面でのさまざまなアプローチを試していきました。

メンタル面ではチームのメンタルコーチや外部の医師にも相談しました。

外部の医師からはストレートを投げるときの状況について、このように分析されたと言います。

【医師の分析】
「『いいところを見せないといけない』と周囲に意識が行ってしまうことから、そのプレッシャーや失敗への思いが生じて不安感や緊張感が生まれる。そうすることで力が入ってしまっていて、うまく投げられなくなっている」

この悪循環を払拭するために、医師からは“達成可能なテーマを選んで集中する”など自分のやるべきことだけに目を向けるようアドバイスを受けました。

徳山投手はマウンド上では『きょうはストライクを取ることだけに集中する』など、意識の方向をすべて自分に向けることで、相手バッターのレベルや“打たれてしまうかもしれない”といった不安を意識することが徐々になくなっていきました。

2年ぶりの1軍キャンプ トラウマのブルペンに

周囲の支えを受けながら心身両面のアプローチを重ね、少しずつかつての状態を取り戻していった徳山投手。

昨シーズン中盤からは2軍の試合でも登板するようになりました。

1軍で迎えた春季キャンプ(2024年2月1日)

そして3年目となる2024年。

2年ぶりに1軍でキャンプをむかえることになりました。

その初日の2月1日、いきなりむかったのはイップスの引き金となったあのブルペン。

対戦相手もいない、なんの記録にも残らないブルペンでのピッチングに不安を感じた一方で大きな手応えも手にしたと言います。

「正直よくなってきていても自分が狂い始めた場所だったので、 すごく不安があった。ただ、コーチからも『すごくよかった』と褒めてもらいまた1つ乗り越えることができたと思えた。2年間なにやっていたんだって思われるが、この経験はすごく大きい。この2年があったからことしいいスタートを切れた。2年間の成長を初日で感じた」

イップスで苦しむ人の光に

その後のブルペンでも力強いボールを投げ込み、周囲の評価も上がっていった徳山投手。キャンプ中に行われた子どもたちとの野球教室で改めて決意を固める出来事がありました。

子どもたちが体を目いっぱい使ってボールを投げる姿を見ていた徳山投手が、ぽつり、つぶやきました。

「自分も小さいころ、こういうプロ野球選手を見て、こうなりたいと思ってずっと野球を続けてきた。これから自分がいいピッチングをして活躍していけばイップスで苦しむ人たちに『頑張ってみよう』と思ってもらえるかもしれない。そういうふうな選手になれるよう頑張りたい」

開幕1軍つかみ いきなり第2戦で登板

オープン戦でも結果を残し続け、初の開幕1軍をつかみ取った徳山投手。

むかえた開幕第2戦に、いきなり公式戦初マウンドが回ってきます。

場面は5点リードながら9回、2アウト一塁三塁。

さらに過去最多、3万3000人を超える観客が詰めかけ、DeNAファンは開幕2連勝の瞬間を待ちわびて大声援を送るシチュエーション。

かつて周囲の視線を気にしすぎてイップスになったピッチャーにとっては酷とも言える初舞台にも思えました。

開幕2戦目で初登板(2024年3月30日)

1球目はストレートが浮いてボール。

嫌なイメージを思い起こさないか心配になるような高めに抜けたボールでしたが、徳山投手は球場の雰囲気に飲まれず、自分のやるべきことに集中していました。

2球目はカーブでストライク。

3球目はストレートでファウルを打たせ追い込みます。

そして4球目。

冷静に低めにフォークボールを落とし、空振り三振で締めくくりました。

試合後、徳山選手は満足そうな笑顔を浮かべながら、こう話してくれました。

「すごく遠いマウンドだったけど、苦しいときこそ前向きにやっていれば自分のようにじゃないがイップスから戻ってこられるというのをきょう改めて証明できたし、もっともっと活躍をして苦しむ人たちに夢を与えていきたい

自分が輝くマウンドという舞台に戻ってきた徳山投手。

ただ、これはプロとしての第一歩を踏み出しただけにすぎません。

これからチームの中心選手として誰からも認められるほどの活躍をしていくとともに、その活躍で同じ症状に苦しむ人たちのより大きな目標や希望になっていくことを期待したいと思います。

《取材後記》

徳山投手から「自分は“イップス”だ。野球人生でこんなことはこれまでなくて、どうしたらいいかわからない」という告白を最初に聞いたのは去年2月、奄美大島での2軍キャンプを取材していた時のこと。

記事中にある信じられないようなコントロールの乱れも一部は実際、目にした。

これまでにもプロ野球の世界でイップスが引き金となって調子を崩し、選手生命を絶たれた選手がいることを知っていたため大きな衝撃を受けた。

去年は1軍のマウンドで姿を見ることはなく、その後の状況はずっと気にかかっていた。

現役選手がイップスであることを公言することは相手に弱みを見せることになるのに加え、再発の可能性がゼロでないことなどを考えると、極めて異例で、仮に報じる側に明かしたとしても、それを詳細に報じることまで了解してくれるケースはあまり聞いたことがなかった。

それでも自分が克服した姿を見せることで、この症状に苦しむ人の光になりたいと、徳山投手はことしのキャンプに入った直後にインタビューを受けることを了解してくれた。

その後、キャンプやオープン戦の登板後など、開幕1軍が決まる前の不安定な状況でも快く取材に応じてくれた。

開幕戦で好スタートを切ると、4月を終え10試合の登板で失点はわずかに「1」、防御率0.87と最高のスタ-トを切った徳山投手。

4月の終わりには「求められて投げられていることに幸せを感じながら腕を振っている」と今の心境を話してくれた。

実質プロ1年目ともいえる今シーズン、これからどのようなピッチングを見せてくれるのか、DeNA担当として楽しみにしたい。

スポーツニュース部 記者
阿久根駿介
2013年入局
福岡局、津局、札幌局を経て2021年から現所属
DeNA担当3年目
大学まで野球一筋でポジションは投手

(2024年5月1日「ニュースウオッチ9」で放送)