知床観光船 沈没事故から2年 追悼式で犠牲者に祈り 不明者捜索

北海道の知床半島沖で観光船が沈没し、20人が死亡、6人の行方が分からなくなった事故から23日で2年です。

地元の斜里町では、乗客の家族などが参列して追悼式を行い、犠牲者に祈りをささげました。

2022年4月23日、知床半島の沖合で観光船「KAZU I」が沈没した事故では、乗客と乗員合わせて20人が死亡し、乗客6人の行方が今も分かっていません。

“遺骨のひとかけらだけでも” 行方不明の息子を待つ親

いまも行方不明の小柳宝大さん(当時34歳)は、当時、カンボジアに進出した日本の外食チェーン店で店長を務めていました。

カンボジアの3号店のオープンに向けて、忙しくなる前に一時帰国して北海道を旅行し、その後、福岡県の実家に帰省する予定だったということです。

事故は、上司と2人で観光に訪れた際に遭いました。

引き上げられた船内からは、宝大さんが持っていたリュックサックが見つかりました。

宝大さんは写真が趣味だったということで、中には1眼レフのデジタルカメラがあり、SDカードのデータを国の運輸安全委員会が調べたところ149枚の写真が残されていました。

そのほとんどは、出港したウトロ漁港のまわりの風景や海岸近くに出てきていたヒグマなどの写真で、船の様子を写した写真はありませんでした。

沈没現場に近い「カシュニの滝」とみられる写真では、写っている海面は穏やかで荒れている様子はみられません。

しかし、沈没の2時間ほど前の午前11時22分ごろに宝大さんが最後に撮ったとみられる写真では、船尾から海の様子が撮影されていて、大きな白波が立ってしぶきが舞っている様子が確認できます。

22日、福岡県に住む両親が網走港にある引きあげられた観光船が保管されている場所を訪れました。

父親の背中には、宝大さんのリュックサックがありました。

観光船は囲いに覆われ、その姿を見ることはできませんが、2人はその方向をじっと見つめていました。

母親(59)は「迎えに来たよ。早く帰ってきてという思いです」と涙を浮かべて話していました。

父親(65)は「最後に宝大が船内に置いてきたリュックサックなので、必ず背負ってきます。当時の心境を想像すると、悲しいし、悔しいです。素直で、正直で、明るい子でした」と話しました。

事故の4か月前にはカンボジアにいる宝大さんから電話があり「仕事ばかりしないで、体も大事だから趣味を作らんといけんよ」とたしなめられたということで、父親は「当時は、なぜそんなにうるさくいうのか不思議に思いましたが、あとから考えたら私の体のことを心配してくれていたんだと思いました」と振り返りました。父親は事故のあと眠れない日が続き、仕事は休職を余儀なくされたということです。

その後、父親は観光船が出港した斜里町のウトロ漁港を訪れ、岸壁で沖合の方向を見ながら手を合わせていました。父親は「もし生きていたら宝大は『そんな悲しんでばかりいないで』って言いそうだから、ちょっとだけ強くなって生きていくよって言いました。せめて遺骨のひとかけらでも見つかってほしい。そして、今まで大変だったねお帰りって言ってあげたいです」と語りました。

追悼式には乗員乗客の家族など参列

23日午後1時から地元の斜里町ウトロで、町などが主催する追悼式が行われ、乗客乗員の家族や地元の関係者など合わせておよそ150人が参列しました。

式では、はじめに斜里町の山内浩彰町長が「亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。安心して訪れてもらえる魅力的な知床であるために何をすべきか地域全体で繰り返し問い直し、安心・安全を実践していきたい」と述べました。

続いて、参列者全員で黙とうを行い、同時に町内2か所の消防署のサイレンが鳴らされました。

斜里町役場では、職員がサイレンを聞き、役場に設けられている献花台の前で黙とうし、祈りをささげていました。

献花の手入れをしてきた職員の女性は「海が冷たい時期に事故にあったということで職員も忘れることはない。乗客のご家族にとって、大切な方を亡くされたという気持ちは、時がたっても変わらないと思う」と話していました。

式では、知床斜里町観光協会の野尻勝規会長が「安全の誓い」を行い、「多くの町民にとってあの事故の記憶は忘れることができないもので、地元の観光事業者にとっても危機管理と安全対策の重要性を改めて思い知らされた。尊い命をなくされた方々の思いを胸に、安全の確保こそが最大の使命であるという決意のもと安全を誓う」と述べました。

そして、最後に、参列者が1人ずつ会場の献花台に花を手向け、亡くなった20人を悼むとともにまだ見つかっていない6人の発見を願って静かに手を合わせていました。

追悼式では、事故を起こした観光船の運航会社、「知床遊覧船」の桂田精一社長の姿は見られませんでした。一方、会場には、桂田社長が「知床遊覧船代表取締役」として贈った花が置かれていました。

行方不明の男性の父親「命あるかぎり会いに来るよ」

追悼式には、行方不明となっている小柳宝大さんの両親も出席しました。

両親は午前10時ごろに会場に到着し、会場の一角でほかの遺族たちと、これまでどういう日々を過ごしてきたのかを語り合ったり、観光船の今後の扱いなどについて検討したりしたということです。

そして午後1時からの追悼式に参加し、祈りをささげました。

追悼式のあと、観光船が出港したウトロ漁港で取材に応じた父親は「事故当初に駆けつけたときから毎年、海の水に手をつけているのですが、しばらくつけていたら手が痛いんです。こういうところに飛び込んでいたらと思うと想像を絶します。二度とこういう悲惨な事故は起こさないようにしてもらわないといけません。2年がたってもつらさはまだまだ癒えません。あと何年、追悼式に来られるかわかりませんが、『命あるかぎり、体が動くかぎり、会いに来るよ』と息子に語りかけました」と話していました。

斜里町長「安心安全 どう提供するか考えたい」

追悼式のあと、斜里町の山内浩彰町長は「2年前の事故を町の歴史に刻み、多くの人たちに知床の自然を体験していただくため、安心・安全をどう提供していくか、考えていきたい」と述べ、安全体制の強化に力を入れていく考えを示しました。

また、式に先だって乗客の家族から「慰霊碑を設置してほしい」と要請を受けたことを明らかにしましたが、設置については「ご家族の皆さんのさまざま気持ちや意見を受け止めながら、これから考えていきたい」と述べるにとどめました。

町観光協会会長「乗客の家族に寄り添う」

追悼式の実行委員長を務めた、知床斜里町観光協会の野尻勝規会長は「知床の観光に携わる者として今後も乗客の家族に寄り添っていきたい」と話していました。

そして、知床の観光客の回復が遅れていることについては、「観光業にとっては非常に苦しい2年だったと思う。1人でも多くの人に知床へ足を運んでもらえるよう、積極的な誘客をしていきたい」と話しました。

犠牲者を悼み 花を手向ける人の姿

献花台には、午前中から犠牲者を悼む人が訪れ花を手向けています。

地元の斜里町役場には事故直後から献花台が設けられていて、事故から2年を迎えた23日も、犠牲者を悼んで花を手向ける人の姿が見られました。

去年に続き、4月23日に献花台を訪れたという町内の40代の女性は「まだ見つかっていない人がいるので、『何か少しでも手がかりが見つかるといいな』という気持ちで献花しました。この日がくると事故のことを思い出して胸が苦しいです」と話していました。

町によりますと、事故以降、町に寄せられた献花は、22日までに2594組にのぼっているということです。

斜里町役場での献花の受け付けは23日、午後5時半で終了し、24日からは役場のウトロ支所で受け付けるということです。

事故後に遺族が利用した宿泊施設の元従業員の杉浦登市さんは、「亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、ご家族の気持ちが安らぐようにという思いで手を合わせました。犠牲になられた方のご家族に寄り添わなければ、知床の観光は戻ってこないと思う」と話していました。

船体の保管場所で犠牲者の家族が献花

沈没事故を起こした観光船が置かれている北海道網走市内の保管場所では、犠牲者の家族が訪れて、花を手向けました。訪れたのは3組の家族で、斜里町ウトロで開かれた追悼式のあと、車で移動してきました。家族は、担当者の案内で、保管庫の中に入って船体を確認し、臨時で設けられた献花台に花を手向けたということです。

事故の捜査は

去年9月には事故を調査していた国の運輸安全委員会が最終報告書をまとめ、船は甲板のハッチのふたが確実に閉まっていない状態で、海水が流入したとしたうえで、運航会社には安全管理体制が存在していない状態だったなどと指摘しました。

第1管区海上保安本部は、この事故について業務上過失致死の疑いで捜査していますが、捜査関係者によりますと、実際に甲板のハッチから海水が流入したことの証明や過失の認定にはハードルがあるということです。

海上保安本部は専門家を交えて事故の再現実験を行ったほか、運航管理者だった運航会社の桂田精一社長から任意で事情を聞くなどして引き続き、捜査を進めています。

船の検査 課題は人手不足

事故をめぐっては、国の運輸安全委員会が最終報告書の中で、JCI=日本小型船舶検査機構について事故の3日前に観光船を検査したにもかかわらず、沈没の原因とみられるハッチの不具合を見抜くことができなかったなどと指摘しました。

これを受けてJCIは、ハッチの検査については目視だけではなく、実際に手で開け閉めするなどして確認するようにしたほか、船を陸に揚げて船底まで確認する頻度を増やすなど検査内容を見直し、そのために現場の検査員を増やすなど体制強化に向けた計画を示していました。

しかし、3月末に国に提出した実施報告書では、この1年、採用を増やしたものの離職者も多く、検査員の数は全体で142人と5人の増員にとどまり、人手不足が課題だとしています。

そのうえで今後は、引き続き検査員の確保に取り組むとともに、配置の見直しやITを活用したリモート検査も活用し、検査の強化にむけた取り組みを進めるとしています。

海上保安本部が知床半島沿岸部で捜索

北海道の知床半島沖で観光船が沈没した事故から2年となる23日、海上保安本部は22日に引き続いて半島の沿岸部で捜索を行い、行方が分かっていない6人の手がかりを捜しています。

沈没現場に近い半島先端の沿岸部では冬の間、捜索が中断されていましたが、第1管区海上保安本部はきのうから捜索を再開していました。

23日は、海上保安本部の機動救難士や潜水士などおよそ10人が半島の西側と東側に分かれて捜索にあたり、ヘリコプターも上空から支援することにしています。

これまでのところ、半島の西側では悪天候のため捜索を開始できていませんが、東側では潜水士が浅瀬に潜ったり岩陰を確認したりして行方不明者の手がかりを捜しているということです。

第1管区海上保安本部によりますと、午前11時半現在、新たな手がかりの情報は入っていないということです。捜索は天候を見ながら日没ごろまで続けられ、24日も行われる予定です。

釧路航空基地のヘリコプターも捜索に参加

行方が分からなくなった6人の海上保安庁による捜索には23日、釧路航空基地のヘリコプターも参加しました。

釧路航空基地では午前9時すぎ、ヘリコプター1機にクルー5人と海面からの吊り上げや潜水での救助活動などを専門的に行う機動救難士2人が乗り込み、知床半島に向かって飛び立ちました。

ヘリコプターによる捜索は午前と午後の2回、およそ1時間ずつ行われます。

当初は2機で捜索する予定でしたが、現場の天候が悪いため午前中は1機に変更されました。釧路航空基地では沈没事故で現場到着に時間を要したことなどを受けて、
▽2023年4月に機動救難士9人を新たに配置したほか、
▽2024年3月には配備されているヘリコプターを1機、増やすなどして態勢の強化を進めてきました。

ヘリコプターによる捜索は24日も行われる予定です。

国の運輸安全委「観光と運輸の安全は一体」

23日に開かれた定例の記者会見で、国の運輸安全委員会の武田展雄委員長は「同じような事故が二度と起きないように、1つ1つの事故の調査を行い、安全確保に必要な提言や情報発信を続けたい」と述べました。

その上で船舶の安全対策について隔壁の水密化や、連絡手段の確保などは進みつつあるとした一方で「観光と運輸の安全は一体となっている必要があるので、地域の力が非常に重要だ」と述べ、観光を推進する地域で安全意識を醸成し、取り組みを進めていくことの重要性を指摘しました。

斉藤国土交通相「一丸となって旅客船の安全確保」

斉藤国土交通大臣は閣議のあとの記者会見で「お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともにご家族に対してお悔やみを申し上げます。事故に遭遇された方々とそのご家族の皆様に心からお見舞いを申し上げます」と述べました。

事故を未然に防げなかった国の監査や検査の体制を問う声があることについては「監査は研修の充実による能力の向上や体制の強化を図るとともに、抜き打ち監査の実施や通報窓口の設置などを進めている。検査はJCI=日本小型船舶検査機構において検査員への安全第一の意識改革の徹底や旅客船検査担当部署の設置など体制強化の取り組みを行っている」と述べました。その上で国土交通省としてもJCIに対して指導や助言を行い、実効性の確保を図っていく考えを示しました。

そして「このような痛ましい事故が2度と起きることがないよう、引き続き国土交通省関係職員が一丸となって旅客船の安全確保に向けて強い決意を持って取り組んでいきたい」と述べました。

林官房長官「対策は着実に進められている」

林官房長官は、閣議のあとの記者会見で「事故を受けた旅客船の安全・安心対策は、船舶運航事業者への抜き打ち監査など可能なものから順次、速やかに実施している。また改正海上運送法で、今月1日から旅客不定期航路事業に関する許可更新制度が導入されるなど対策は着実に進められている。痛ましい事故が2度と起こることがないよう引き続き、政府としてしっかり取り組んでいく」と述べました。