H3ロケット 失敗からの再起 技術者たちの348日

H3ロケット 失敗からの再起 技術者たちの348日
ことし2月、国産の大型ロケットとして30年ぶりに開発された新型ロケット「H3」が打ち上げに成功。日本の宇宙開発の新時代に向けて大きな一歩となった。

これまで2000億円以上の国費を投じた巨大プロジェクト。しかし、その道のりは長く厳しいものだった。

打ち上げは延期に次ぐ延期。当初の予定から2年遅れてようやくたどりついた去年3月の初号機打ち上げは、2段エンジンに着火せずに指令破壊。

痛恨の初号機打ち上げ失敗から、2号機の打ち上げ成功までの348日に密着した。
(科学文化部記者 平田瑞季)

痛恨の打ち上げ失敗

2023年3月7日。鹿児島県・種子島宇宙センター。

「ロケットはミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送信しました」

アナウンスが流れると、中継の準備をしていた私(平田)は息をのんだ。
その十数分前、快晴の青空に吸い込まれるように上昇していくH3の初号機を見送ったばかりだった。記者やカメラマンが状況を少しでも把握しようとJAXAの報道担当者を囲み、プレスセンターは騒然となっていた。

そのころロケットの管制室。H3初号機の打ち上げをつぶさに記録しようと、事前に特別な許可を得て設置したカメラに、一部始終が記録されていた。
失敗直後、管制室のエンジニアたちが慌ただしく動き始めるなか、1人ぼう然とする人物がいた。

H3の開発プロジェクトを統括してきたJAXAの岡田匡史プロジェクトマネージャだ。顔を机に突っ伏し、15分間ひと言も発しないままだった。
打ち上げ失敗はロケットを失っただけではなかった。

H3初号機には国が280億円を投じて開発した地球観測衛星「だいち3号」(ALOS-3)も搭載されていた。高精細な地上の画像を撮影でき、防災の新たな切り札となる衛星だった。
まさかの失敗、そして衛星を失った痛手について岡田はのちにインタビューでこう答えている。
JAXA 岡田匡史プロジェクトマネージャ
「まさか、ですね。打ち上げは自信をもって打ち上げるので、その自信がいったいどうなってしまったんだろうかと。そして一番思うのは、ALOS-3(だいち3号)を失ってしまったことの重さです。果たすべき役割は非常に大きかったわけで、本当に申し訳なかった」

日本の“新たな切り札”H3

宇宙をめぐる国際競争は激しさを増している。

内閣府によると、去年世界で成功した打ち上げは212回と過去最多に上っている。その半数はアメリカで、続いて中国。そして日本はロシア、フランス、インドに次ぐ位置となっている。
さらに、高性能化に伴い大型化する衛星を打ち上げられる大型ロケットへの期待は高まっている。H3はまさにこうしたニーズに応えようと開発されてきた。

現在の日本の大型ロケットはH2AとH2B。98.2%と高い打ち上げ成功率を誇っている。しかしネックになるのが、1回100億円という打ち上げ費用だった。

そこでH3は、イーロン・マスク率いるアメリカの宇宙開発企業スペースXが75億円とも言われるなか、50億円を目標とした。ロケットの推力を引き上げ、あらゆる衛星を打ち上げられる能力を持ちながら、低コスト化も実現するという難しい目標に挑む。まさに日本の宇宙開発の「切り札」として進められてきたプロジェクトだ。

JAXA=宇宙航空研究開発機構と三菱重工業が中心となり、これまでに2000億円以上の国費が投じられてきた。

2014年から開発に着手したH3は苦難の連続だった。主力エンジンの開発が遅れるなどで、当初2020年度に予定されていた初号機の打ち上げは延期に次ぐ延期を余儀なくされた。

紆余曲折の末、ようやくこぎつけた去年3月の打ち上げだっただけに、失敗の衝撃は関係者にとっては計り知れないもので、テレビや新聞などで大きく報じられた。

原因究明の苦闘

まさかの「指令破壊」。原因究明は失敗直後から始まっていた。
2段目のエンジンはなぜ着火しなかったのか。

残された手がかりは、機体が破壊されるまでの間にロケットから刻々と地上に送られていたデータだ。分析を進めていくと、第2段エンジンの周辺で電流と電圧に異常が起きた可能性を示していた。
そこで、より詳細に原因を究明するため、岡田たちが使ったのが「故障の木解析」と呼ばれる手法だ。

事故や製品の故障など、あらゆるトラブルの原因を見つけるために使われてきた手法で、起きた結果をもとに考えられる要因をすべて洗い出し1つずつ検証していく。
しかし、答えにたどりつくのは容易ではなかった。

そもそも、ロケットに使われている部品や装置は、どれも厳しい検査をくぐり抜けてきている。

それでも、想定外の事が起きていないか。宇宙環境と似た真空状態にできる施設でトラブルが起きたとみられる部分の装置を入れて検証を行ったり、実際に切り離し動作を確認するためにシステムを組み上げて再現実験を行ったりしたが、いずれも異常はなかった。
JAXA 岡田匡史プロジェクトマネージャ
「本当に起きたことを地上で再現するのはなかなか難しかったです。ちょっとした条件が変わると再現しなかったり、無理やり再現できてしまったりしていた。そのなかで安易に○もつけられないし、一度×を打ったものはもう検討の対象から外すことになってしまうため、ものすごく慎重にやらないといけなかった」

意外な“助っ人”も

原因究明にはスピードも求められていた。実は、H3初号機の失敗によって、2024年度までに7つの人工衛星を宇宙に送り届ける予定だったがすべて延期。さらに、日本が計画していた月や火星の探査計画も遅れが生じる事態になった。

しかし、原因と見られる問題をなかなか絞り込めずに時間ばかりが過ぎていった。

そうしたなか、意外な助っ人が現れた。きっかけはH3プロジェクト電気班の責任者、小林泰明が受け取った一通のメール。
「詳しい資料を見れば自分たちも原因を探る役に立てるかもしれない」と書かれていた。メールを送ったのはJAXAの川北史朗。川北は、打ち上げ失敗とともに破壊された地球観測衛星「だいち3号」の担当者だった。
集まった助っ人の4人は、かつて人工衛星で電気的な故障の原因を究明した経験があった。「だいち3号」の“弔い合戦”と言いながら、原因究明の作業に加わった。

川北たちが注目したのは、第2段エンジンで火花を起こす点火装置だ。30年も前に開発され、これまで200回近くのロケット打ち上げを支えてきた、極めて信頼性の高い装置だ。

電圧や電流、オンオフのタイミングなどさまざまな条件で徹底的に試験を行った。
JAXA 川北史朗さん
「朝に議論し実験を繰り返す、そして夕方に答えを出して翌朝考える。そうしたスピード感で進む作業は全然ちがいました。実験を繰り返し、本当に再現できるのか、壊れるような現象が起こるのかを繰り返し確認していました」
実に1000回以上もの試験が繰り返された。

その結果、電気的な異常が生じる可能性はゼロではないという結論に至った。原因だと断定できないが、対策を打つべきだという判断が下された。
JAXA H3プロジェクト電気班責任者 小林泰明さん
「助っ人の皆さんはもともと電源系のスペシャリストでもあるので、我々ロケット全体の電気をやっている人間より電気系に関しての知見を持ち、勘どころを押さえていた。本当に助けられた」
一方、三菱重工業などで行われていた試験でも、他にも対策を取るべき装置が見えてきていた。
これまでの打ち上げの実績を重ねてきている点火装置とは違って、H3で新たに取り入れた制御装置だ。エンジンやタンクの圧力の制御などに使われる。これも部品の故障などで過剰な電流が流れれば、エンジンに着火しない可能性があることが確認された。

痛恨の打ち上げ失敗から170日。考えられる要因が7つにまで絞り込まれ、これ以上の特定は難しいとすべてに対策が打たれた。ようやく再チャレンジへの道筋が立った。

再挑戦に向けた大規模な試験

2023年12月11日。

この日、岡田は総仕上げとして、これまで経験のない大規模な試験を行おうとしていた。着火に必要な装置を、実物大に組み上げて行う試験だ。

大きさは直径およそ4メートル。丸ごと真空空間に入れ、飛行中と同様に作動させて火花が出るか確かめる。

岡田はロケット一筋35年。前の世代のロケットから開発を担当してきた。

時には爆発という大きな事故を経験し、トラブルのリスクを減らすことの難しさを、身をもって痛感してきた。3度の打ち上げ失敗もあったが、そのたびに原因を究明し、ロケット開発を前進させてきた。
岡田が作成に関わった「ロケットエンジニア心得」という文書がある。過去の失敗を教訓に、「リスクには厳格に対処せよ」とか「リスクの解決に対して甘い判断は禁物」と明記されている。

リスクにはたびたび向き合ってきた岡田。かつてない試験に挑むことになった。

試験は完全非公開で、愛知県の三菱重工業の工場で丸2日間、行われた。実験を終えてようやく出てきた岡田は、安堵の表情を浮かべていた。
JAXA 岡田匡史プロジェクトマネージャ
「なんとか打ち上げに確信の持てるようなデータが取れたと思います。まだいくつか確認しないといけないことがありますので、それらを全部確認しきって自信をもって打ち上げに臨みたい」

新たに成功すべき3つの階段

その後の確認作業も終わり、いよいよ再挑戦の打ち上げが近づいてきた。

今回、新たに成功させるべきことが3つある。まず前回失敗した第2段エンジンの着火。次に超小型衛星を軌道に投入すること。H3が初めて宇宙に人工衛星を届ける瞬間となる。

そして最後に、だいち3号と同じ重心と重さを持つ代替品、いわば「ダミー衛星」を無事に切り離せるかどうかを確認すること。これが成功すれば今後、自信を持って大型の人工衛星を載せられる。

2024年2月16日、打ち上げ前日。
高さ57メートルのH3が姿を現し、ロケット組み立て棟からおよそ400メートル離れた発射地点に移動した。

ロケット全体が初めて外に出る瞬間だ。岡田は30分かけて移動する様子をじっくりと眺めていた。いよいよ、再挑戦だ。
JAXA 岡田匡史プロジェクトマネージャ
「前回に比べてロケットが力強く頼もしく見えた。ロケットが変わるわけではないので、きっと気持ちの違いがそう見せたのだと感じています」

あの日から348日 ついに打ち上げ成功

2月17日、打ち上げ当日。

種子島宇宙センターからほど近い見学場には、打ち上げをひと目見ようと全国各地から多くの人が集まっていた。島内のホテルは満室状態。中にはキャンピングカーで島までやってきた人もいた。

管制室ではモニターに機体の状態などが映し出され、エンジニアたちが一つ一つ確認していた。

午前9時22分55秒、「リフトオフ」。

ロケットがごう音をあげて空高く飛び上がった。
1年越しの再チャレンジ。管制室の張り詰めるような緊張感は、窓の外から見ていた私も息をするのも忘れるほどだった。
打ち上げから5分経過。まもなく前回失敗した、第2段エンジンの点火だ。

「第2段エンジン第1回燃焼開始」とアナウンスが流れると、「よっしゃー!!!!!きた!!!きたーーー」と岡田が叫んだ。

小さな拍手が起きた。まずは前回の失敗を乗り越えた。

エンジンの燃焼時間は674秒。まだ安心できない。エンジニアたちは祈るように画面を見続けた。

打ち上げから15分経過。いよいよ次は、超小型衛星の分離だ。

「CE-SAT-1E(超小型衛星)分離」

1つめの超小型衛星の分離を知らせるアナウンスが流れた。

「よし!!やったーーー!!!!」

席から飛び上がって喜ぶ岡田の姿があった。
H3が初めてロケットとしての仕事をやりとげた。岡田は、周りの仲間たちと抱擁を交わした。目には涙があふれていた。

管制室は大きな拍手に包まれ、他のエンジニアたちも抱き合うなどして、これまでの労をねぎらっていた。
しかし、まだ終わりではない。だいち3号のダミー衛星の切り離しが残っている。管制室とは別の部屋に詰めている電気班の小林は、静かにその時を待っていた。

途中でモニターを見ていた小林が不意にハンカチを取り出し、あふれる涙を拭った。
目に飛び込んできたのは、「だいち3号」を失い原因究明に参加してくれた助っ人たちの写真。多くのエンジニアたちの努力でようやくこぎつけたきょうの再挑戦だった。
そして、打ち上げから1時間48分後。

「VEP-4(ダミー衛星)分離」

小林「うおーーー」

切り離しが成功したことを示す信号が届き、小林が声を上げた。
そして、エンジニアたちが集まる管制室に移動し、一人一人に感謝を伝え、頭を下げながら挨拶してまわった。
打ち上げ失敗から348日、H3は、ようやく第一歩を踏み出した。

岡田は打ち上げ成功をこう振り返る。
JAXA 岡田匡史プロジェクトマネージャ
「神様ではない以上100%はありえないので、確率の問題としか言いようがないが、大きなどん底から未来に向かって1歩1歩進んで行くっていうのはすごく大事なことだった。迷ってもしょうがないことは迷わないというか、迷いなくシンプルにこの道をずっと歩いてきたことで、途中で厳しい状況になったとしても乗り越えられたのかと感じる」

挑戦は続く

打ち上げから1か月がたった3月半ば。

アメリカのワシントンで、衛星ビジネスに関する国際見本市が開かれていた。450社ものブースが設置され賑わう会場に、H3で衛星を打ち上げたい顧客を探そうと担当者たちが乗り込んでいた。
しかし、H3にはまだ課題が残されている。各国と競うためには大幅なコストダウンが欠かせない。
見本市に参加したイスラエルの衛星事業者
「日本の宇宙産業は一歩を踏み出したと思います。しかし、競争力のある値段になることが重要です。品質が確かなことはわかっていますが、コストが非常に大切です」
同じ頃、愛知県にある工場では、次のH3の機体が種子島へ向け船で出発していた。次の打ち上げにむけた準備はもう始まっている。

JAXAは、今後機体を量産できるしくみや、補助ロケットを装着しない打ち上げ形態などの準備が整えば、目標の打ち上げコスト50億円にも近づいていくとしている。

H3はいわば“スタートライン”に立ったばかり。日本の宇宙開発の未来に向けた挑戦は続いていく。
科学文化部 記者
平田瑞季
2018年入局
初任地の鹿児島局で自然やロケットを中心に取材
去年夏に科学文化部に異動し、現在は宇宙分野などを担当
種子島の安納芋はソウルフード