新潟水俣病集団訴訟 きょう判決 新潟地裁

新潟水俣病と認定されなかったり、特別措置法による救済策でも対象から外れたりした新潟県に住む人など47人が、国と原因企業に賠償を求めている裁判の判決が18日、新潟地方裁判所で言い渡されます。同様の集団訴訟では去年大阪地方裁判所が原告全員を水俣病と認めて国などに賠償を命じた一方、先月熊本地方裁判所は原告の訴えを退けていて、新潟地裁の判断が注目されます。

新潟県阿賀野市などに住む50代から90代の47人は、手足のしびれなどの特有の症状があるのに水俣病に認定されていないなどとして、国と原因企業に1人当たり880万円の損害賠償を求めています。

「水俣病の最終解決を図る」として2009年に施行された特別措置法に基づく救済策では対象者が、住んでいた「地域」や「年代」で区切られ裁判では
▽こうした基準に当てはまらなくても水俣病と認められるかどうかや
▽メチル水銀の排出を規制しなかった国の責任などが争われてきました。

同様の集団訴訟では去年、大阪地方裁判所が原告全員を水俣病と認めて国などに賠償を命じた一方、先月、熊本地方裁判所は原告の訴えを退け司法判断が分かれる形となっています。

今回の裁判は最初の提訴から10年以上が経過していて、先行して審理が終わった47人に対して言い渡される18日の判決で、新潟地裁がどのような判断を示すのか注目されます。

水俣病 原告の思い

今回の裁判の原告の1人の75歳の男性は、阿賀野川流域にある旧安田町、今の阿賀野市で生まれ育ちました。

阿賀野川で小学生のころからきょうだいや地元の人と一緒に川魚をとり、毎日のように食べていたと言います。

男性が手のしびれを感じるようになったのは、1965年に新潟水俣病が公式に確認されてからおよそ5年後の22歳のころで、30代後半になるとほかにもこむら返りや耳鳴りなど症状に苦しむようになりました。

原因がわからない状態が続きましたが、65歳のころに新潟水俣病被害の救済を呼びかけたチラシを見て、自分も水俣病ではないかと思い、医療機関を受診しました。

その結果、水俣病と診断され、それを受けて男性は認定申請を行いましたが「棄却」されました。

理由について感覚障害以外の症状が認められなかったとみられ、男性は当時を振り返り「こんなに苦しんでいるのに理解されないのはなぜかと思いがっかりしました」と話していました。

男性は「棄却」された場合に備えて国などに賠償を求める集団訴訟に加わり、水俣病の認定を求めることになりました。

同様の集団訴訟で大阪と熊本の地方裁判所の判断が分かれたことについて、男性は「大阪での判決を聞いた時は私も救われるのではないかと希望を持ちました。一方で熊本判決は苦しんでいる人がいるのに真逆の結果がでることに疑問を感じました」と話していました。

18日、言い渡される予定の新潟地方裁判所の判決について男性は「新潟では47人の原告全員を水俣病と認定してもらいたいです。認められることでほかの原告の救済にもつながると信じています」と話していました。

集団訴訟の背景と争点

今から59年前の1965年に公式に確認された新潟水俣病をめぐっては、国の基準に基づいて患者と認定されれば一定の補償が受けられ、環境省によりますと、ことし2月末までに716人が認定されています。

一方、新潟水俣病と認められない人は国や原因企業の昭和電工、今のレゾナック・ホールディングスなどを相手に認定や賠償を求めて多くの裁判を起こし、国も解決を図るため救済策を2度実施しました。

水俣病の「最終解決」とうたわれた2度目の救済策は2009年に施行された特別措置法に基づいて行われ3万8320人が救済されましたが、
▽住んでいた「地域」や、「年代」で対象が区切られて補償が受けられない人や
▽申請の締め切りに間に合わない人が相次ぎました。

このため合わせて1750人以上がこうした基準外でも水俣病にり患する可能性があるとして、新潟のほか東京や大阪、熊本で集団訴訟を起こしました。

新潟の裁判では原告は149人ですが、18日はこのうち先行して審理が終わった47人について判決が言い渡されます。

主な争点は
▼原告が水俣病であるかどうかと
▼メチル水銀の排出を規制しなかった国の責任の有無
それに
▼不法行為から20年が経過すると民事裁判で賠償を求める権利が消滅するという、改正前の民法に規定されていた「除斥期間」が適用されるかです。

同様の集団訴訟では
▽去年9月大阪地方裁判所が原告全員を水俣病と認めて国などに賠償を命じ
▽先月熊本地方裁判所は一部の原告を水俣病と認めたものの「除斥期間」が過ぎているとして原告側の訴えをいずれも退け、司法判断が分かれる形となっています。