熊本地震 2度目の“震度7”から8年 各地で黙とう

災害関連死も含めて276人が犠牲になった一連の熊本地震で、2度目の震度7の揺れを観測した日から16日で8年です。多くの人が亡くなった人たちを悼んでいます。

犠牲者を悼み復興願う「阿蘇ちょうちん祭」 阿蘇市

一連の熊本地震で2度目の震度7を観測した日から8年となった16日、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の前の広場では、地震の犠牲者を悼むとともに復興を願う「阿蘇ちょうちん祭」が行われています。

高さ6.3メートル、幅13メートルのやぐらに、全国から集まったおよそ1150個のちょうちんが飾られています。

ちょうちんには、復興への感謝を伝えるメッセージなども書かれています。

祭りは16日が最終日で、午後6時40分ごろ明かりがともされると、地震のあった日付、「4.16」の文字が浮かび上がりました。

ちょうちんは16日午後10時までともされています。

阿蘇神社前の広場で追悼行事 阿蘇市

8年前の熊本地震で、震度6弱の揺れを観測した阿蘇市では、一連の地震であわせておよそ1000棟の住宅が全半壊し、災害関連死で20人が犠牲になりました。

16日は、阿蘇市の阿蘇神社の前の広場で追悼の行事が行われ、市の職員や地元の人たちおよそ40人が参列しました。

午前10時になると、市内に追悼のサイレンが鳴り響き参列した人たちが犠牲者に黙とうをささげました。

このあと阿蘇市の佐藤義興市長は「復興の象徴である阿蘇神社の楼門が復旧したあと、初めての追悼式です。地震の教訓を風化させることなく、引き続き防災、減災にまい進していきます」とあいさつしました。

旧阿蘇大橋近くの展望所で犠牲者を悼む 南阿蘇村

8年前の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の旧阿蘇大橋近くの展望所では、午前中から、犠牲者を悼んで手を合わせる人の姿が見られました。

また、訪れた人は、震災遺構として残されている旧阿蘇大橋の様子や被害の状況を伝える石碑を見て、被害の大きさを改めて実感していました。

阿蘇市から訪れた80代の男性は「8年前はまさか橋が崩れるとは想像しておらず、ここを通るたびに切ない気持ちなった。当時の恐怖や苦労は忘れられない」と話していました。

また、熊本地震で被災し、現在は福岡に住む30代の男性は「地震からの8年間の長さの感じ方は人それぞれだと思います。

ことし1月には石川県で大きな地震もあり、いつどこで何が起こるかわかりません。今まで起きてきたことを教訓として引き継いで発信し続けることが大事だと思います」と話していました。

倒壊した下宿の夫婦 亡くなった学生に祈りささげる 南阿蘇村

熊本県南阿蘇村では、地震で倒壊した下宿を営んでいた夫婦が、亡くなった学生に祈りをささげました。

南阿蘇村の黒川地区は、かつて東海大学農学部の学生およそ800人が暮らし、「学生村」とも呼ばれていましたが、8年前の熊本地震で下宿やアパートが倒壊し、学生3人が亡くなりました。

このうち当時1年生だった男子学生が亡くなった下宿の大家の渡邉ヒロ子さん(79)と渡邉馨さん(87)の夫婦は、地震から3年後、営んでいた下宿の跡地に自宅を再建し、庭には亡くなった学生をしのんで花壇を作りました。

花壇には、四季折々の花が植えられ、今はサクラソウやシバザクラそれにアネモネなど、10種類ほどの花が咲いています。

16日朝、草取りなど花壇の手入れをしていた渡邉さん夫婦は、午前8時半に村の防災行政無線のサイレンが鳴ると、かつて学生が暮らした部屋を向いて黙とうし、亡くなった学生に祈りをささげていました。

渡邉ヒロ子さんは「命の大切さを一番に感じて祈りました。会えないけど、ここにいるような気がして、亡くなったことを忘れないように、花壇を一生懸命きれいにしておきたいです」と話していました。

渡邉馨さんは「毎年この時期になると、1人でここに来て地震に遭遇した学生さんにとっては残念だったんじゃないかという気持ちになります。この子のためにも2人で力を合わせて、償いだと思いながら花壇の手入れを続けていきたいと思います」と話していました。

本震の土砂崩れで亡くなった大学生の両親が祈り 南阿蘇村

8年前の熊本地震の本震による大規模な土砂崩れで亡くなった大学生の両親たちが熊本県南阿蘇村の現場近くを訪れ、地震の発生時刻にあわせて祈りをささげました。

8年前の4月16日の未明に発生した熊本地震の本震で南阿蘇村では、国道にかかる橋が崩落する大規模な土砂崩れが発生し、近くを車で走っていた熊本県阿蘇市の大学生、大和晃さん(当時22歳)が土砂に巻き込まれ亡くなりました。

16日未明、両親たちが晃さんが見つかった現場の近くを訪れ、ろうそくに火をともして花をたむけました。

そして、地震が発生した時刻の午前1時25分になると、静かに祈りをささげていました。

父親の大和卓也さんは「地震が起きたときの状況を自分たちも感じることで息子の痛みが少しでも和らいだらと思い、この時間に手を合わせに来ました。8年という月日は自分たちにとってあっという間です。息子はいつも自分たちのそばで、見守ってくれていると思います」と話していました。

全線運転再開の南阿蘇鉄道 多くの乗客でにぎわう

熊本県の南阿蘇村と高森町を結ぶ南阿蘇鉄道は、8年前の熊本地震で線路や橋りょうなどが大きな被害を受けました。

地震のあと、全線のおよそ6割の区間で運休が続いていましたが、去年7月、7年ぶりに全線で運転を再開しました。

2度目の震度7の揺れから8年となる16日は、多くの乗客でにぎわい、阿蘇山の雄大な風景や新緑に覆われた田園風景を楽しんでいました。地震で被災して掛け替えられた「第一白川橋梁」に列車がさしかかると乗客は景色を写真に収めていました。

南阿蘇村の70代の乗客は、「橋りょうを渡るときに汽笛が長く鳴り、ぐっと心にきました。田んぼで働く人の様子を見ることができるなど普通に戻って来たんだなと幸せな気持ちになりました」と話していました。

南阿蘇鉄道の玉目一将運転士は、「地元の方々の熱意と応援のおかげで全線で再開できたと思うので、あすもあさっても、9年目も10年目も運行できるように日々の仕事を頑張ります」と話していました。

阿蘇神社の「楼門」復旧 ツアー客など訪れる

阿蘇市の阿蘇神社は8年前の熊本地震で国の重要文化財の「楼門」が倒壊するなど大きな被害を受け、復旧工事が進められた結果、去年12月に「楼門」が再建されました。

本震から8年となる16日はツアー客や家族連れなど多くの人が訪れ、「楼門」から神社に入ると修復された場所を見たり手を合わせて参拝したりしていました。

阿蘇市の夫婦は「地震を機に人の温かさや家族の大切さを学びました。能登半島地震で被災された方は大変な思いをしていると思いますが、阿蘇が8年経って復興したように頑張ってほしい」と話していました。

東京から訪れた50代の女性は「崩れた楼門を見たときは地震の怖さを知りました。長い時間がかかりましたが、こうやってひとつひとつ復興していくのが感慨深いなと思います」と話していました。

阿蘇神社の阿蘇惟邑宮司は「地震の直後は大変な思いもしましたが、みなさんの支援のおかげで前に進むことができました。多くの方にお越し頂きこれから恩返しできるようつとめていきます」と話していました。

震度7の揺れ 2度観測の益城町で救助訓練

訓練は、益城町にある益城西原消防署の訓練用の施設で行われ、熊本市と益城町の消防隊員、あわせて11人が参加し、はじめに地震で犠牲になった人に黙とうをささげました。

訓練は、地震で倒壊した家屋から人を救助するという想定で行われ消防隊員たちは、救助のための通路を確保しようと倒れた大きなコンクリートを鉄のバールで持ち上げ、内部に入って捜索していました。

また、削岩機を使って厚さ20センチほどの鉄筋コンクリートに穴を開け、取り残された人を救助していました。

熊本地震から8年がたち、地震の後に採用された職員も増えていて消防では救助の経験や技術の継承に力を入れています。

8年前、救助活動などの指揮にあたった熊本市消防局の吉本直樹消防司令長は、「人は忘れてしまうので訓練で新しい職員たちに熊本地震で活動した時の気持ちや経験を伝えたい」と話していました。

また、地震当時は大学生だった今田康陽消防士長(29)は、「災害への意識が薄まらないよう訓練を通して気持ちを高めています。市民の方にも防災意識を高めてほしい」と話していました。