輪島市では、校舎や体育館が使えない小学校のうち6校が消防署のホールで合同の入学式を行いました。
式は、3校ずつ2回にわけて行われ、このうち、鳳至小学校、大屋小学校、河原田小学校の3校の式には、新1年生合わせて28人が出席しました。
式ではまず、能登半島地震で犠牲になった人に黙とうをささげました。
そして、それぞれの児童の名前が読み上げられると、1人ずつ元気よく返事をしていました。
入学式 2次避難先の両親と離れ、輪島市の学校へ入学する子も
「楽しみです。うん」
入学式を迎えた新1年生の男の子。恥ずかしがりながらも、元気よく答えてくれました。
両親が暮らす2次避難先の石川県加賀市から輪島市へ。祖父母が暮らす市内の避難所から、小学校に通います。
被災地の新学期、子どもたちの声を聞きました。
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入学式は消防署のホールで
「たくさんの仲間がいます」
代表で、鳳至小学校の山岸多鶴子校長があいさつしました。
「地震が起きて、怖い思いやつらい生活をしている中、いろんな人からの応援や励ましがありました。こうして入学式ができることを大変うれしく思っています。慣れないことがあるかもしれませんが、たくさんの仲間がいます。楽しく元気に過ごしましょう」
6つの小学校は、1学期のあいだは中学校の空き教室で合同で授業を行い、2学期から、市内の小学校の敷地に建てる仮設の校舎に6校そろって移る予定です。
新入生たちは9日から中学校の校舎に通います。
市外などで避難を続け、リモートで授業を受ける子もいるということです。
新1年生と保護者たちは
合同入学式の会場には、真新しい制服姿の新1年生たちが、晴れ着姿の保護者などと一緒に姿を見せました。
鳳至小学校に入学する、市外で避難生活を送っていた女の子は。
「お母さんと離れてさみしかったです。新しい制服を着ることができてうれしいです。勉強を頑張りたいです」
また、女の子の母親は。
「この日を無事に迎えられると当初思っていなかったのでうれしいです。離れて生活していたので、改めて成長したなと感じました」
また、同じく鳳至小学校に入学する男の子は「勉強を頑張ります」と恥ずかしそうに答えました。
男の子の父親は。
「小学校に通う6年間で街もがらっと変わると思います。どういうふうに輪島のまちが復興していくのかを子どもの目で見てもらえたらと思います」
2次避難した両親と離れ、輪島の学校に通う子も
入学した輪島市の新入生のなかには、市外に2次避難した両親と離れ、輪島の学校に通うことを決めた子どももいます。
谷内涼真くん(6)です。
両親と幼い2人の妹たちと一緒に、ことし1月以降、石川県南部の加賀市の旅館に2次避難しました。
入学する小学校をどうするか悩みましたが、涼真くんの希望もあり、避難先の近くではなく、輪島市の小学校への入学を決めました。
しかし、避難先から通学できる距離ではありません。
家族が仮設住宅に入居できるまでは、祖父母と輪島市内の避難所で生活しながら学校に通うということです。
涼真くんに話を聞くと。
「楽しみです。うん」
少し恥ずかしがりながらも、元気に答えてくれました。
そして「体育や勉強を頑張りたいです」と話していました。
父親の勝次さん(45)
「震災直後はここ輪島で入学式を迎えられるとは思っていなかった部分もあったのでえ、みなさんの努力のおかげで地元で入学式を迎えることができて本当にありがたいし、うれしいです。
こんなにかっこよくなって、1年生になったなっていうのを実感しますね。これからたくさんのお友達をつくって、本当にいつもと変わらない元気いっぱいな姿を見せてほしいです」
母親の香奈子さん(42)
「オンラインもありますが、1人で授業を受けるとなると、なかなか友達の輪に入っていくのも難しくなるかなと思って、まずはこの子は祖父母と一緒にしばらく避難所から学校に通うことにしました。
なるべく私たちもこっちに戻って来たいんですけど、仮設入居が決まれば一番いいんですけど、それもいつになるかわからないし。いろいろと心配は尽きないですが、これから本人の自主性に任せていきたいというのもあるし、お兄ちゃんになっていくのも楽しみではあるので頑張ってもらいたいです」
6つの小学校 地元中学校の校舎を間借りし新学期
また輪島市では、校舎や体育館が使えない小学校のうち6校が市の中心部にある輪島中学校の空き教室を間借りして始業式を迎えました。
離れた地域に住む子どもたちのために6台のスクールバスが用意され、輪島中学校には朝7時半すぎから子どもたちを乗せたバスが次々と到着しました。
道路沿いなどに多くのがれきが残る中、慣れない道を保護者と一緒に歩いて登校する姿も見られました。
始業式は午前9時から行われ、各教室に教頭の話がオンラインで配信されたということです。
市教育委員会によりますと、6つの小学校の授業は学年ごとに2クラスから3クラスにして合同で行われます。
市内の小中学校では、2次避難に伴う転校などで子どもの数が地震の前より4割近く減少していて、教育環境をどのように整備していくかが課題となっています。
「離れたみんなが戻ったらまた遊びたい」
輪島を離れる子どもたちもいる中、市内の河井小学校に通う岡垣良くん(10)は、地震のあとも大きな被害を免れた自宅で過ごしてきました。
学校は2月から近くの高校の校舎で再開されましたが、仲のよかった同級生の多くが金沢市や県外に避難しています。
私たちが1月下旬に取材した際、良くんは「(友だちと)会えないとは思わないようにしている。いなくなったら悲しい。またいつか会いたい」と話していました。
8日、いまもがれきが残る道路を歩いて学校まで登校していました。
始業式では、同じクラスになったほかの小学校の子どもたちと、春休みをどのように過ごしていたかなどを話したということです。
帰り道、良くんに今の思いを聞くと。
「うーん。会えなくて本当にさびしかったけど、だんだんと帰ってきて戻ってきて、会えるようになってうれしかった」
それでも、輪島を離れている子どもたちも少なくありません。そのことについて聞くと。
「まだもっと帰ってくるって信じている。また戻ってきて一緒に遊んだりできるようになってほしい」
(能登半島地震取材班 吉倉崇唯 井出瑞葉 長谷川拓 齋藤貴浩)